青木牛之助&千町無田開拓年表

 西暦 和暦   出来事 参考 
1846 弘化03 7月、青木牛之助、誕生(幼名啓太郎)
1863 文久03  青木、藩兵として京都に派遣される。 8月、徳川慶喜、京都の実権掌握。
1867 慶応03    10月、慶喜、大政奉還。
12月、王政復古宣言。
 1868 明治01    9月、明治元年。
 1869 明治02    5月、戊辰戦争終結。
 1871 明治04    7月、廃藩置県。三潴県設置。
1872  明治05    2月、田畑永代売買解禁。
4月、庄屋制廃止。
12月、太陽暦採用。
 1873 明治06   青木、海田ツルと結婚。 7月、地租改正。殖産興業進む。
 1874 明治07    2月、佐賀の乱。
6月、北海道屯田兵制度制定。
 1875  明治08   12月、士族に秩禄公債発行。
1876 明治09    3月、廃刀令。
8月、三潴県を廃し福岡県に統合。
8月、家禄制度の全廃。
10月、秋月の乱。
 1877 明治10    2月、西南戦争勃発。
明治10年代、筑後農民経済破綻。
 1878 明治11    久留米の士族、安積開拓移住。
 1880 明治13    自由民権運動展開。
 1888 明治21    市町村制公布。 
 1889 明治22  7月、 筑後川、歴史的な大洪水。
青木、被災農民の救済に立ちあがる。
神奈川県庁に、ハワイ移住を申請。
2月、大日本帝国憲法公布。
4月、福岡市・久留米市誕生。
7月、東海道線全線開通。
 1890 明治23  青木、千町無田視察。
第1・第2回開拓出願。却下される。
政府に官有地払い下げを申請。却下。
日出台地区(山岳)を追加申請。
第3回出願も、資金不足を理由に却下。
博多−久留米、鉄道開通。
 1891 明治24  青木、上京して山岡鉄舟に嘆願。
第4回出願。出願書受理の知らせ。
博多−門司、鉄道開通。
 1893 明治26   正式許可遅延に、促進嘆願書提出。
正式許可。
先遣隊、現地調査。
 
 1894 明治27  大分県知事と契約書交わす。
青木、先遣隊を率いて千町無田入村。
8月、日清戦争勃発。
 1895 明治28  春、移住開拓団本体(家族)入村。
秋、台風襲来。開拓団に決定的打撃。
 
 1897 明治30  硫黄運搬で日銭稼ぎ。
大分牧場、吉部地区から撤退。 
 
 1898 明治31  試験田で、初めて米3俵収穫。
開拓団内部に青木批判続出。稲作を一時断念。
 
 1899 明治32  生活苦と失望で脱落者続出。
開拓村内に小学校設立。生徒数39人。
 
 1900 明治33  小倉の師団司令本部、日出台開拓地返還命令。
開拓団、千町無田に一本化。 
 
 1902  明治35 開拓団、年の神祭礼から追放される。
開拓地内の朝日神社に、年の神と水天宮を合祀。
米づくり本格化。 
 
 1904 明治37  入植者数、最高の43戸に。
水稲品種「関山」、秋田から入手。
2月、日露戦争勃発。
 1905 明治38  大分県知事に、開拓成功届。
入植者に土地配分。
「青木牛之助氏開墾記念碑」を朝日神社内に建立。 
 
 1907  明治40 青木、久留米に帰る。  四十年恐慌・株暴落。
外務省、ハワイ移住を禁止。
ブラジル移民、781人出発。
 1910 明治43  第2次入植、20戸。  
 1923 大正12  3月、青木牛之助死去。享年77歳。  
 1926 昭和01  千町無田の米売れなくなる。  
 1933  昭和08 「陸羽132号」を千町無田に適応。活気取り戻す。  
 1934 昭和09  久大本線、久留米−大分全通。  
1941   昭和16 太平洋戦争勃発。  
 1945 昭和20 終戦時、開拓村の小作律率60%に。
その後、農地改革で再び自作農に。
 
       
       

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