04/09

―人の心に闇があるのは、当たり前。

 

 佐世保で、小六の女の子が同級生を殺害する、というショッキングな事件があった。
 もちろんオレも、そんな事件に衝撃は受けた…そんなことがあるのか、と思った。

 でもな、思い出してもらいたい。大人諸君。
 キミたちだって、子供のころ、同級生に「死ね」と言ったり「死ねばいいのに」と思ったりしたこと、無いか?

 オレは、あるね。たまーに親にも「このクソ親、死んじまぇヴァカ」と思ったし、ノートの端の落書きレベルでなら、実際に何度か殺してる。
 光だけで生きている人間など、いない。誰の心の中にも「闇」の部分は存在する。

 「ムカつく」→「ぶっ殺したい」→「本当に殺しちゃった」というのは、闇の深さでいえば、まだまだ浅い。実にストレートで実に単純な図式じゃないか?
 世の中には、愛しているのに相手を殺してしまう人、愛と憎しみが交じり合って、どうしていいのか分からず傷つけしまい、ひどい罪悪感に襲われる人…など、深い闇にとらわれて、見てる周りもどうしようもないような人だって、いるんだぜ。

 だから本当の問題は、その子の心に闇の部分があったことではない。
 所詮は一過性に過ぎない怒りや恨みを制御できなかった、自制心の欠如にあるんだ。

 心の闇なんか誰でも持ってるモンなんだから、それが悪いというよりは、心の光が弱すぎたのが悪いところじゃないだろうか・

 子供が人殺しをすんのだって、歴史を見れば特異なことじゃ無ぇ。
 ゲルマンの男子なんて、12歳で成人して戦場に行ってたんだぜ。12歳で人殺しなんてのも、まぁ、その当時のゲルマン社会ではアリガチで、むしろ「勇敢なこと」だったのかもしれん。子供による子供殺しは、現代日本でやったら犯罪だというだけのこと。
 常識なんて、そんなもんだ。常識に反しているから危険、悪、そう人は言うかもしれないが、基準となる、その常識は、決して絶対のものではない。今という時代の、この場所でしか通用しない。


 オレは、世間の騒ぎ方が危険だと思う。
 興味を持つのは分かるが、殺害の詳しい状況を再現して流したり、教室の見取り図を描いて何処で殺されたかを詳細に報道したりするのは、やりすぎじゃないのか。
 Yahoo!NEWSに至っては、犯人となった女児のサイトから、なんと、その女児の書いた詩を勝手にコピーして全文掲載!
 いい加減にしろよ。常識でおかしいって思うだろ? それは。
 事件をニュースとして伝えるのなら、詩を全文掲載する必要など全く無い。

 本人は反論できない場所にいるのに勝手な憶測を書き立てる、勝手なイメージを作り上げ「させる」ために作品や発言の一部を晒し者にする、それは弱いものいじめではないのか。「人を殺したヤツはどんな非難をされても構わない」なんて考えているのなら、それは間違いだ。誰にも、人を直感で裁く権利など無い。

 小学生が人を殺すというのがショッキングなのは分かる。
 殺し方が報道されたとき、多くの人は、なんて残虐な犯行だろうと恐ろしく思っただろう。
 そして、どうしてそんなことになったのか、その子の心の中を見たいと思ったはずだ。その興味を満たすために、情報を貪った。
 その、残酷な欲望を満たそうとした「興味」も、闇なんだ。まずは、それに気づこうな。

 そしてもう一つだ。どれだけ報道から情報を得ても、犯行を冒した者の心情など、本質的には分からない。
 たとえ、その人の書いたもの、作ったものを見ても分からない。
 何故なら人は一元的な生き物ではないからだ。優しさと残虐性を併せ持つことも可能。子供むけの美しい童話を書きながら、実は子供嫌いで自分の子供を虐待していた、なんていう矛盾も在り得る。

 何よりオレが気に食わないのは、殺人を犯した少女の精神鑑定をすると言い出したことだ。
まさか、ロールシャッハテストなんか使わねぇだろうな(笑)

 精神異常と正常の違いってのは、誰が決めてると思う?
 正常と異常を分ける閾値なんか、本当は「存在しない」んだぜ。

 オレは昔、大学で心理学やってた時、心理尺度っつのを作ってた。それが何かっていうと、心理状態をはかるモノサシなんだ。
 そのモノサシは、絶対値ではない。あくまで相対値。そのモノサシを作るために、サンプルにした集団内での「平均値」を割り出して、そこから誤差いくらの中であれば、まぁまぁフツーですね、みたいな範囲を、自分らの手で、作ってる。
 所詮は誰かが作ったモノサシなんだ。

 確かに、そのモノサシをつくる手順は、ある程度マニュアル化されている。均一化しようとしている。再現可能性が求められる。
 だけど、人が人を判断する基準を作っていることに変わりは無い。所詮は、限られた状況下での、限られた判断材料内でのモノサシでしか無いワケよ。

 精神鑑定をするウラには、殺人を犯した子供が、「異常」であってほしいという考えがあるんじゃないか?
 ぶっちゃけ自分の子供は「正常」なのだから、殺人を犯した「異常な」子供とは違うと思いたいんだろう?
 自分の子供は殺人などしない、と安心したい。違うか? それも闇だ。他人を貶めて自分が安心したいという、自分勝手さという闇だぞ。

 甘い話だ。どんな人間でも、心の中に闇を抱えない者はいない。
 オレの中にも人殺しの心はいるだろう。戦いを知らない血など無い。誰の中にも闘争本能はあるし、誰の祖先も、いちどは武器を握って戦ったことがある。ただ、その心を制御することが「今は」出来ていて、誰かを殺すことが最も有効な達成手段になる機会が今までに無かった、それだけのことかもしれない。
 もしも、誰かがオレの邪魔をして、そいつをこの世から消さなければ、どうあっても願望が達成されないような状況になったら…しかも、そいつを殺すことによって追う一生もののリスクより、達成される願望のほうが大きいとしたら、自分だって、冷酷な殺人者になるかもしれない。その可能性はゼロではない。人間に「絶対」など無い。また「不変」も存在しない。

 自分に関係なければそれでいい、安穏と生きたい、好ましくない真実は掘り出したくない、誰かの責任にしたい、分かりやすい結論が欲しい。オレは、そういう態度を責める気は無い。ただ、好きかと聞かれると大嫌いだとキッパリ答えよう。

 アナタと、人を殺した人間とが決定的に違うのは、
 −―アナタは"まだ"人を殺していない、唯一ただそれだけです。


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