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―森を守れ、なんて言いたくない

 


 「森林伐採は悪だ! 紙を使うな、木を大切に」とは、かなり昔から言われている言葉だ、学校でも、当たり前のように教わる。常識だと思っている人も多いのでは無いだろうか。
 だが、実は、それは絶対的に正しい意見ではない。
 森林伐採反対、木を切るな、森を守れ、なんていうことを本当に実行したら、生態系が修復不可能なほど破壊されるのは、確実なのだから。

 人間が介入しない世界=自然ではない。
 人間も自然の一部であり、本来なら、自然界の中での役割を担うべき存在である。その役割を自ら放棄するのは、どうだろうか。

 たとえば、日本の朱鷺は、なぜ滅びたのかを考えてみたい。
 その原因は、「自然保護」という言葉をかざした政府のお役人が朱鷺を根こそぎ檻に閉じ込めて見殺しにしたからでも、繁殖の正しい知識を持ち合わせた人間がいなかったからでもない。
 朱鷺の生息地は人間が作った田園地帯であり、田んぼに住むタニシやカブトエビ、水草などを食べて暮らしていた。しかし、過疎化が進んだことで、田園は急速に姿を消し、とくに段々畑などは森の一部となって消えてしまう。
 朱鷺は本来、人と共存する動物だった。しかし、人間の側が、自分たちの都合により共存関係を打ち切ったことによって、環境が変わり、朱鷺が生きていける場所がなくなってしまった。
 この場合、人間が自然に介入したせいで絶滅したのではなく、逆に、人間が環境に介入しなくなったことが、朱鷺を絶滅させた原因だと、いえるのである。

 実際に天然森というものを見たことのある人なら分かるように、森は、絵本のように豊かな場所とは限らない。
 常に変化していく厳しい自然の世界である。特に、人の手の入らない古い「原始林」は、獣さえ寄せ付けない、鬱蒼とした薄暗がりであることが多い。
 森は、何百・何千年という単位で変化し、成長していく。人間と同じく、森にも年齢というものがあり、若いほど多くの生き物を育てることが出来、年を取ると動植物の種類が減っていくという。
 人によって手入れされた森は常に若く保たれるため、自然界の手付かずの森よりは、動物たちにとっては格段に住みよい世界なのである。

 鬱蒼と茂った天然林は、樹木に遮られて地上に光が届かず下草が育たない。生えててもひょろりとしたものだけ。大木に育つ木は概して実をつけず、成っていてもあまりに高いところにあるために届かない。
 木の中に住む虫はいるだろうから、キツツキなど、木につく虫を食べる鳥は生きられるが、木の幹にとまれない朱鷺のような平面の鳥は、まず生きていけない世界になるだろう
 そうならないために、人が定期的に山に入り、育ちすぎた木を切って使い、新たな木が育つ隙間を開ける。
 人間が森を切り開くから、森に光が入り、そこに新たな生態環境が生まれるのだし、人間が定期的に森林を伐採し、古くなった木を切り倒すから新しい芽が育ち、森は若返える。つまり、人は、森にとって必要な存在だということになる。

 人も自然界の一員だとすれば、自然界の資源を消費することは、むしろ当然の権利と言える。森のために木を伐り、その木を活用するのだから。木を伐ってはいけない、自然を大切にしろ! というのは、間違いだと言えよう。
 ただ、量が多すぎるのが問題なのだ。自然保護の、本来の意味はそこにある。

 「いかに消費量を減らすか」、「適切な使用量はどの程度なのか」こそ、議論すべき本当の問題なんじゃないだろうか。

 ――「木を伐ってはいけない、使ってはいけない」「自然とは触れてはいけない、過保護なほど守らなければならない」という考え方は、改められるべきだと思う。

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