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宇宙人権委員会〜ワレワレは宇宙人デハナイ!

 
 摩天楼にはほど遠い、あまりセンスの良くないビル群が立ち並ぶ渋谷駅前。
 その日の夕方も、人々は疲れた足を引きずり家路を急いでいた。箱から吐き出され、または飲み込まれる、とどまることのない人の波―――だがその時、ふと上を見上げた誰かが指さして叫んだ。
 「あっ、あれは何だ?!」
 「鳥か?」「UFOか?!」
 「いや…マジでUFOだッッ!!」
道玄坂入り口109の頭上に夕日を受けて赤く燦然と輝く平たい球体。それはまさに、彼らの思い描くとおりの「宇宙船」だった。
何の前触れもなく、平穏な日常の崩れていく音…

 210X年。(←なまじ近年でないところがミソ)
 地球一般人類は、異星人とのファーストコンタクトを迎えようとしていた。

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 …と、これは勝手に作り出した情景だが、将来、実際に未知なる知的生命体と遭遇する可能性は、全くの無ではない。
 あなたは、その瞬間のことを本気で、ヤバいくらい本気で考えたことが、あるだろうか。
 彼らの目的が侵略であろうと観光であろうと、その日が来てしまったのなら、「あるわけない!」とは言えないし、「ばかげている」とも言うことが出来ない。また、たとえ今までUFOマニアを軽蔑し、非科学的で稚拙な奴らとさげすんでいたとしてもそれまでの先入観を捨て、現実を受け入れねばならない。

 例えば、あなたが「宇宙人=神」と考えている、新興宗教団体の人だったとする。
 あなたは期待を込め、黄色いハッピ(この団体の制服らしい)を着て首相官邸での会見を見守る。未知であるがゆえに荘厳な異星人たちと、うだつの上がらない首相とでは、どう考えたって雲泥の差。もしかするとあなたは、先走って「この素晴らしい生命体こそが自分たちの頂点に立つに相応しい」とまで思っているかもしれない。

 ところが…。
 テレビカメラがふと逸れた瞬間、映し出されたのはヨダレを垂らして居眠りしている国会議員ばりの宇宙人の姿だったとしたら…?

 神は居眠りしない。ハナ〇ソほじらない。女の子も泣かさない。
 でも、現実の異星人はするかもしれない。「UFOから降りてくるのは神でなくてはならない」と決め付けていた人々は、物凄いショックを味わい、そして十中八九、その映像を自分のメモリから消去するしかない。現実はいつだって想像の斜め上。


 ではまた、あなたが「宇宙人は侵略者だ!」と思い込んでいる、自衛隊あたりの血の気の多い若者だったとする。今まであなたの見てきた映画はすべて、侵略者たる宇宙人をミサイルでばったばったと薙ぎ倒す勧善懲悪映画。地球を守るカッコイイ軍人に憧れて、あなたも自衛隊に入っている
 「さぁ! 今こそ、悪者を退治する時だ!」
あなたは隠し持っていた世界最強の6連発拳銃スミス&ウェッソン.44マグナムM29あたりを携えて、宇宙船着陸地点へ向かう。
 ところが、そこで目にしたものは、松島菜々子に花束渡されて、あからさまに鼻の下伸ばしている、オヤジくさい異星人たちの姿だった…。

 …え? ある意味、余計に撃ち殺したくなる?

 それじゃあ、こうしましょう。元大関・小錦を見てその大きさにビビっている異星人。これならチョットかわいいはずだ。
 あなたは、その姿を見てすぐには引き金を引けなくなってしまう。
 「俺の信じていた正義とは一体…!」


 ―――このように、私たちがどう思っていようが、現実はそれとは別に存在する場合が多い。
 向こうだって、「うおお〜エロヒム様、我々をお救いください〜」とか言われたって、他人ちの事情なんか知るワケがない。
 また、ちょっと観光気分で寄っただけなのに、侵略者扱いされて幽閉っていうのも、相当理不尽なお話。
 よしんば、数々の試練と誤解を乗り越えて友好関係が結ばれたとしても…。
 そこには様々な問題があることを、お忘れなく。
 「天は人の上に人をつくらず。人の下にも人をつくらず。」
 たとえ遠い宇宙の彼方から来たんだとしても、異星人もいちおう人間である、たぶん。だから上=神でもなければ、下=犯罪者でもない。そこんとこ、地球人類がバカでも野蛮人でもないことを証明する上で、キッチリ考えとかなくちゃあいけない。

 さて。
 近年失言率が飛躍的に上がっている日本の首相だが、どうやら相手を決定的に怒らせることもなく、会見を終えたようす。関係者たちはホッと一安心。
 「トコロデ。」
と、自動翻訳機装備の異星人が言った。
 「ワレワレヲ『ウチュウジン』トヨブノハ…人権問題ジャアナイノカネ?」

 人−権−問−題−!

 なんとも予想外の言葉に、日本のお偉方たちはみな唖然とする。
 なんせ、お偉方というものは大抵、小中学生に教科書与えて作文書かせて形だけ習わせた気分になってりゃいいや、と思ってるような人たち。高速道路に税金は使えても、同和地区の整備には一円だって使いたくない人らが、そんなもの本気で考えたことがあるわけがない。
 それをまさか、地球の外から来た人たちに言われるとは…!

 さて、ここで問題。
 なぜ宇宙人と言ってはいけないのか?

 それは、「宇宙」の「人」という表現が、「自分たちとは違う」という阻害の意味になるから。同じようにガイジンという言い方も厳密には人権侵害になる。「外の人」の反対は「内の人」であって、日本人意外は余所者であるとする考え方に繋がっていくのだ。
 お分かりだろうか。
 「で…では、異星の人ということで、異星人では…」
うーん。これも実はあんまりよくない。
 なぜかというと、地球から見た「星」というのは、すべて自ら光を放つ「恒星」であって、生命が存在するのは、その恒星の周りをまわっている「惑星」のほうだから。
 異星人とは言え、その人たちが住んでいた場所は、厳密には星ではなく惑星のはず。地球人のことを地球星人とは呼ばないように、異星人たちにも、正しい呼び名があるはずなのだ。(※ハリウッド映画などによく出てくる「〇〇星人」という呼び方は、思いっきり地球の定規で測った一方的な呼び名ということになるだろう。)
 統一した、差別的ではない呼び方を浸透させるのに、一苦労。まぁ、異文化に属する人と人が初めて出会った時なんてのは、そういうどうでもよさそうなところの定義から入るもんじゃないでしょうか。



 え? 宇宙人なんていないから、こんなことを考えても無駄だって?
 確かにそうかもしれない。
 でも、もしかしたら、いるのかもしれない。

 「いない」ことを証明するためには「いる」可能性の全てを否定しなければならないが、「いる」ことを証明するには、いるかもしれない証拠をたった一つ挙げるだけでいい。だから、宇宙人なんていない! と言い切るより、いるかもしれないと言っておくほうが当たる確率は高くなる。私も人の子なんで、自分に得なほうを計算している(笑)

 明日宇宙人がやって来て人権問題を主張するかも、という空想が「絶対に起こらない証明」は出来ないが、「もしかしたら起こるかもしれない」証明は、いくらでも可能である。
 人生を楽しみたいならば、時間のある時に、可能な限りあらゆる可能性を考え、楽んでみるのがよい。
 ただし…それを他人に話す時は、くれぐれも相手を選び、変人扱いされない程度に留めておくことを忠告しておく、念のため。
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