「ものをよく知っている人はいいな、頭のいい人がうらやましい」。
そんな言葉を気軽に口にする人を見ると、ムッとすることがある。
知っているだけでは意味がない。「トリビアの泉」を見て、たくさんのトリビアを仕込んだところで、ダメ人間はダメ人間だ。頭のよしあしは単に、記憶力や言葉を操る能力だけで決まるのではない。知識の分量ばかり多いのと、本当に頭がいいのとは意味が違う。
何より、行動なき意思は空虚なものであり、意志なき行動は無意味である。
もしも本当に、他人の博識が羨ましいのであれば、自分の無知を改善すべく、本を読むなり何か考えるなり、すればいい話ではないのか。
本当に、「よくものを知ってる人が羨ましい。」と思うんだったら、とりあえず行動しようぜ。
3つほど、オレが言いたいことを挙げておく。
1つめ。
人に教えてもらうのを待つな。
自分から知りに行かない限り、何も知ることは出来ない。
2つめ。
自分が興味を持ったものは真剣に調べるべし。
さして興味もないことを興味半分にほじくりかえしてるだけじゃ、大したものは得られない。
知りたいことを真剣に調べ、考えるという行為が必要だ。でなきゃ、いつまで経っても大したことのない人間のまんまだぜ。
ヒマつぶしレベルの勉強でも、塵が積もれば山となるかもしれないが、真剣にやった人にはまず、かなわない。
ヒマつぶしに勉強して、一生懸命やった人をすうっと追い越していけるのは、よっぽどの天才だけだ。天性の才だけはどうしようもないので、ここでは論外。
そして、最後に。
考える、調べるといったことが楽しくないんなら、やめちまえ。
これには異議をとなえる人もいるだろうが、人間みんながインテリな人生を歩めるワケじゃねぇ。何も知りたくない、自分は人に答えを与えてもらえればそれでいい、ってな”大衆”は、無駄に知的レベルを上げようとするよか、現状に満足して生きてけばいい話だ。
覚えること、考えることは苦しい。時間や金、その他の楽しみ、色んなものを犠牲にする。
苦しんだだけ多くのものを得られるのが、学問の世界だ。それを全員に強要するなんざ、正気の沙汰じゃねぇな。
苦しみたくない人は、知の世界に手を出すべきではない。
楽して得られるものなど、どこにもないんだからな。
と、いうわけで、この条件を分かった上で、あなたが学問に手を出したとする。
「学問に王道なし。地道に努力せよ」と、あなたの師匠(担任、両親、参考書など)は言うかもしれないが、べつに道が無いわけじゃない。オレの知ってるのは、庶民用の道、庶道とでも言うべきもんだ。
とにかく本を読め。
これはどんな分野でも同じことだ。
人から聞いたり、実際の現場で目にしたりすることでも、ある程度の知識は得られるが、体系だった一つの流れとして何かを知るには、本以上の媒体は無い。
そして、読むだけではなく、自分の考えをまとめるためには、文字を書く力も必要になってくる。
言葉の読み書きが出来ることは、学問を成すことの基本なんだ。言葉の力は、学問を修める上で必須のもの、これが無ければ始まらない、大切なものといえるだろう。
ここで、ちょっと前に書いたことを繰り返してみる。
考える、調べるといったことが楽しくないんなら、やめちまえ。
「勉強してても楽しくないよー」と、いう人。
あなたの言う勉強とは、中学や高校で習う学校の勉強のことじゃないか?
大学生なら、語学の授業や基礎学習のことじゃないか?
そりゃ本当の勉強じゃ無ぇ。
勉強するために、必要な「土台」に過ぎないんだよ。
言葉を知らなければ本が読めないから、それ以上なにもしようがない・
だから学校で、国語の授業を受けるんだよ。あんま面白くないけど。
地球が丸いこと、太陽の周りを回っていることを知らなければ、科学雑誌の宇宙のページを見ても意味が分からない。
だから学校で、理科の授業を受けるんだよ。テストが面倒だけど。
数学を知らなければ数字の神秘は分からないし、社会科を習わなければ地球の裏側の国のことを知ることが出来ない。美術や家庭科や体育もそうだ。ぜんぶ基本知識だ。
あらゆる学問には、それを知らなければ学問のしようがない、というくらい、基本中の基本な部分がある。
学校で習うものは、すべて、その基本中の基本。
学校で習ったことの上に、自分の力で積み重ねていけるかどうかが、人生の分かれ目だな。
どんな勉強だって、最初はあんま面白くない。
たとえば、大学のドイツ語の授業がたいそうつまらなくても、頑張って一通り読めるようになれば、ドイツ文学の世界を思う存分楽しめるだろ?
覚えること、考えることは時に苦しく、何かを犠牲にする。その犠牲の部分なんだよな。
苦しんだだけ何かが得られる、ガマンすんのが嫌で基本的なことも勉強しなったんなら、そりゃダメだよ、それ以上の楽しみは味わえないに決まってるよ。
何かを得るために苦労をひきかえにする覚悟が無いなら、何もしないで現状に満足するりが無難だな。
楽して得られるものなど、どこにもないんだからさ。
たなわけで、本を読むとき、最初はなんのこっちゃ分からず全く面白くないのなんかは、別にどーだっていいんだ。
そんなもんだ。
つまらない本の山の中から、一冊、自分が本当に面白いと思えるものを見つけられたら、それが始まりになる。
自分が何を知りたいのか、何を面白いと感じるのかは、少しずつ、時間をかけて探していくしかない。
それが庶民的・学問の道…ってもんだろうな。
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