一応、「古代エジプト薬草学」というタイトルなので、このコーナーは「植物」の例しか挙げていませんが、医療パピルスには他にも、動物の体組織(肝臓とか)や、鉱物(銅など)を処方するものがあります。植物とあわせて鉱物を混ぜ合わせているものも多いですよね。
古代エジプト人は、とにかく色んなものを薬として使っていたようです。
さ混ぜ合わされた様々な薬ですが、エジプトの薬は圧倒的に「塗り薬」が多いようです。まぁ…マズそーなものが多いですけど…。
エジプト人の芸細かさは、塗ったときに強烈なニオイがしそうなものには、乳香やミルラを混ぜて匂いを誤魔化そうとしているところ。また、粉など、塗ると落ちてしまいそうなものには、ハチミツを混ぜて粘りを出し、苦そうなものはビールに入れたり甘いナツメヤシを入れてみたりして、飲みやすくしようとした努力が見られます。ほとんどの薬に、ハチミツや乳香が入っているのは、多分、そういう理由でしょう。
古代エジプトにおける医師は、<スィヌ>という名前で呼ばれていました。この言葉の登場は古く、第三王朝くらいまで遡るそうです。医者の中にも内科医・歯科医・眼科医・外科医・獣医など専門職が分かれており、特に外科医は<女神セクメトの神官>と呼ばれていたといいます。
女神セクメトとは、かつて厄災をふりまき、全人類を滅ぼそうとした破壊の女神様。彼女は疫病や人体に悪影響をもたらす精霊たちを司ると考えられていたのです。その神官は、女神の怒りを静める=女神がふりまく災いを鎮める力を持つのです。
何せ、科学的知識と迷信とが一体化している古代のこと。怪我や病の一部は、悪しき精霊や呪いによるものとも信じられていたのでしょう。
女神の神官が女性であることが多かったように、女性の医師もいたようです。ただ、確認できる事例が少ないため、実際に何人くらい居たかは分かりません。
また、古代エジプトの医療は、現代のように診察し、薬だけ出して終わりではありませんでした。
「病は気から」ではありませんが、メンタルケアも重要な治療の一部です。
また、先述したように病が精霊や呪いによるものとも考えられていたために、何かしらの「呪文」や「儀式」を伴うものでもありました。
例を挙げると、
・小さな護符や神像を包帯の中に巻きこむ
・ベッドの側に神の像
・薬を作るとき、その上で呪文を唱えてから混ぜ合わせる
などなど。医者は呪術師であり、神官であり、同時にカウンセラーであったのかもしれません。
古代エジプトの医者は、ミイラ作りの際の人体解剖から、外科に精通したのではないか、という意見もありますが、おそらく、そういうわけではないでしょう。興味を持って人体を解体したということは考えにくいですし、ミイラづくりは、なるべく人体の形を損なわないよう、最低限の切り込みを入れて行うものなので、細かな構造まで知ることは出来なかったはずです。日本で近代になるまで人体の解剖が禁忌とされていたように、古代エジプトでも、「それを失えば来世で復活が出来なくなる」体をばらばらにしてしまうことは、禁忌とされていたのではないでしょうか。
医師にも、階級はありました。
もちろん宮廷に使える王の主治医はかなり地位の高い医師ですし、逆に、小さな村に住む村医者もいたことでしょう。
医師の修行は、神殿に付属する機関「生命の家(ペル・アンク)」で行われ、ほとんどは神官、一部が民間人という構成だったようです。
また「生命の家」は学者たちの集う場所であり、彼らは神官・医師・書記のほかに天文学や地理学を学ぶこともありました。
生命の家は医学の知識を学ぶところであり、同時に、患者たちを看る実地研修の場所でもあります。今も昔も、医学の道を究めるには、やることは同じなんですね。
なおエジプトには、医学に関係する神が沢山います。日本でもそうですが、大抵の神様はご利益に「無病息災」が入ってますしね。
・旅に出る時は、生命の館の貴婦人、マフデトにご加護を祈るべし
・医学の知恵をもたらすのはトト神、医師はトトのご加護を望むべし
・婦人の出産には、ヘケトとメスケネトに安産を祈るべし
・常に健康であるためには、厄災を取り除くベス神の護符を身に着けるとよい
etc.
そして約束された人生を終えたのち、人々は、地平の彼方にある死者の国へと旅立っていくのです。医者が神官であるので、死に対する恐怖を取り除く宗教的カウンセリングもばっちりでしょう。
医療が発達しても、死んだあと何処に行きゃいいのかハッキリしない現代よりは、良い人生だったかもしれません。