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第九話 法廷−1、争いのはじまり


 時がたち、ホルスが成長すると、ついにその時がやってきました。
 イシスは息子をつれ、神々の法廷へと乗り込んで夫オシリスの座を、セトから取り戻す悲願を果たそうとします。「神々の法廷」とは、太陽の都ヘリオポリス。聖書に言うオンの町のことで、そこにいた神々とは「ヘリオポリス九柱神」と、呼ばれている神々です。
 九柱…いわば神々の「元老院」であるメンバーの中身は、ラー、シュウ、テフネト、ゲブ、ヌト、トト、ネフティス、セト、大ホルス(ハロエリス)。これは、あくまでこの時点での九柱神で、べつの物語に出てくる九柱神では、メンバーが違っていることがあります。(例;ラーがアトゥム・ラーになっている場合とか)
 もっとも、メンバーが違えど、ヘリオポリスが九柱の神によって治められる土地だった、という伝承そのものは、いくつかの神話に見られるものです。

 さて、この神々の宮廷へやって来たイシスは、神々の前で言います。セトが今いる地位は、かつて自分の夫オシリスがいたもの、その息子が成人した今、セトは、座をホルスに返すべきである、と。
 セトは立ち上がり、返します。ホルスはまだ幼い、しかも何の実績もない青二才だ。そんな者に、神々の王たる地位を預けられるものか、と。
 ホルスは、自分の血の正当性などについて語りますが、ここから、当時のエジプトの王権相続の順位などが伺えます。

 ・財産、地位は、父から息子へ受けつがれるべきである。
 ・父の兄弟は、息子の次に権利を有するものである。
 ・ただし、息子がまだ未成年だった場合は、一時的に権利を預かることが出来る。

 これらの常識から照らし合わせ、ホルスがオシリスのあとを継ぐのは正しい順位なのですが、セトはすでに長く王座にあり、実績もあり、ホルスがそれと同等の力を有するかどうかは誰も知りません。
 つまり、ここで問題となっているのは、ホルスの「生まれ」ではなく「育ち」、宮廷できちんとした教育を受けず、母イシスとともに隠れ住んでいた者が王位を継げるか否か、という点でしょう。
 そのため、ホルスには、自分の権利の正当性を主張するだけではなく、自分の王としての力を神々に示す必要があった、と、いうわけなのです。

 なお、このときのホルスには、ギリシアでは「ハレンドテス(父の代理人ホルス)」と、いう特別な名前が与えられ、ハルポクラテスと同様、ホルスとは違った神のように見えることもあります。

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 セトもホルスも互いの権利を主張して譲らず、話し合いは長引きます。
 神々の間でも、意見が分かれていました。はじめ、ラーは、セトを味方しています。ホルスはまだ子供で、セトほどに国を治められるかどうかは分からないため、いましばらくはセトが王位にあること。ただし、ホルスがしかるべき力をつけた暁には、秩序に従い、その座を譲り渡すべし、と。
 これに対し、かつてオシリスを敬愛していた神々はブーイングを起こします。そんなことをすれば、セトがホルスまで亡き者にして、王の座に居座り続けるかもしれません。息子が成人しているのに、王位継承の法を曲げる理由がどこにあるのか、と。

 味方の多いセトは、不敵に笑って言います。「マアト(秩序、真実の女神の名)は、オシリスとともに冥界に下っていったのだ。もはやそれは地上にはない」と。
 明らかな挑発です。イシスは怒り心頭、ホルスもセトに対する敵意がこみあげ、挑戦状を叩きつけますが、これはあっさりと拒否。セトはこの時点でまだ優位にあります。強いものは迂闊にケンカしないものです。
 「つまらぬケンカなど、よそうではないか。それほど戦いたいというのなら、面白い方法がある。お互いカバに身を変え、どちらが長く水の中に潜っていられるのかを競おうではないか。」
 ホルス「…いいだろう。」

この、一見して遊戯のような競争が、実は食わせ物です。セトは、濁ったナイルの水の奥底で、事故に見せかけてホルスを亡き者とするつもりだったのでした。
 イシスはそれに気づき、魔法で銛を作ります。カバを釣るのです。息子を勝負に勝たせるために。
 そして、カバの吐く泡めがけて銛を投げつけます。しかし! 当たったのは息子のホルス。

 イシス「銛よ、離れなさい! それは私の息子、ホルスなのだから」

銛はホルスを離れ、今度こそセトに突き刺さります。しかしセトは、とどめを刺そうとするイシスに気づくと、わざと自分本来の姿に戻り、岸辺で哀れっぽく言います。
 
 セト「おお、我が姉よ。貴方は、血を分けた弟をその手にかける気なのか?」

(ここのセリフは「父の違う弟」となっているのですが、両方とも大地の神ゲブから生まれたはずなのに、なぜそうなっているのかについては、諸説あるようです。)

イシスは情けを覚え、セトを見逃してしまいます。セトはこのすきに、まんまと逃げおおせてしまいました。
 これを知ったホルスは激怒します。
 「なぜ、みすみすセトを逃がしたのか。父のかたきを討つことは、あなたの望みではなかったのか? そんな中途半端な気持ちで、息子に敵討ちを命じたのか。」
 怒るホルスは母を追いかけ、その首をちょん切ってしまいます。イシスは魔法で身代わりをつくっていたため、首を切られたのはフェイクでしたが、まかり間違えばホルスは母殺しの大罪を負ったことになります。
 ちなみに、このときのホルスはギリシア語で「ホルサイセ」(若者ホルス?)と、特別な名で呼ばれており、ハルポクラテスの成長した姿とも言われます。本来のホルスとは、少し異なる存在のようです。
 一体、何人いるんでしょうかホルスって(笑)

 …続き。
 ホルスが母を殺そうとしたことを知ったラーは、「それ見たことか」と呟きます。ホルスはまだまだ未熟で、王位を任せることなど出来そうもない短気な若者だ。セトもそれを助長します。こればっかりは、知恵者のトトも弁護のしようがありません。
 セトは自分がホルスを探してくる、と言い残して、神々のもとを去ります。そして、木陰で眠っているホルスを発見します。
 チャンス。
 セトはホルスの寝込みを襲い、両方の目を抉り取ってしまいました!

 セト「はぁッはっはっ、これでキサマはもう何も見えるまい! その惨めな姿で、どこへなりと行くが良い…!」(悪)

 セトは抉り出した両目を手に、神々の宮廷へと戻ってきます。そこではちょうど、トトが、癒しの呪文を使って、息子に傷つけられたイシスを癒しているところでした。

 トト「セト…! なんだ、その目は? ホルスはどうした」
 セト「知らんな。あの馬鹿な息子は、勝手にどこかへ行ってしまったぞ。言うことをきかないので、お説教をしてやったのさ」
 イシス「!」
 セト「なんです姉さん、その目は? ホルスは、母であるあなたを傷つけた。その罰を食らってしかるべきでしょう? 私が代わりにしてあげたのです、命を救ってくれたお礼に…ね。クックッ…ハハハ!」
 トト「……。」

 セトさん、全開。(↑分かってると思いますが、実際の文ではここまで露骨なことは書いていません。演出です。)

 一方で、ホルスは、傷の痛みに耐え、セトの攻撃を恐れながら、隠れていました。
 それを見つけたのは、愛の女神ハトホル。彼女は、この震える子供のためにガゼルの乳をしぼり、それを眼窩にたらして目を再生させます。
 さらに、ホルスのしたことに対するラーの怒りをしずめるため、自ら、ラーの説得にも当たるのです。

 ラーのセトびいきな発言の数々に対し、オシリスを懐かしみ、その息子であるホルスに跡を継がせたい神々はラーさえも糾弾しはじめます。
 しかし、セトの味方も多いのです。
 いまや、神々は二つに割れ、争いは避けられない状況となってきました。

そこで神々は、メンデスの雄羊と呼ばれる賢者、別名バ・ネブ・デデト(デデト、つまりメンデスの街の魂の意)を呼び寄せ、意見を聞こうとします。この神は河口の町の守護神で、かなり古い時代の神さまです。いわゆる大御所。
 メンデスの雄羊には、おなじく古株のクヌム神と、クヌム神とは創造神という点でつながりのある、プタハ神が付き添ってきました。
 戦と狩りの神で、古き神々のひとり、オヌリスが言います。

 「賢者バ・ネブ・デデトよ。私はホルスの主張は正当なものであると思う。だが、神々の中には、それに納得しないものもいるようだ。あなたの意見を、聞かせていただきたい。

 しかし、こともあろうに、この権威ある神は裁定を辞退してしまいました。「…なるようにしか、ならんだろう。」
 クヌム「好きにしろ。アンタらの権力争いとか、そんなものに興味はないね。」
 プタハ「同感だ。我々は、地上の栄華などとは無縁のもの。人も神も、生まれて死んでいく。王になろうとなるまいと、そのさだめだけは、避けられぬ。」

 …アララ。
 生命を創造する神々にとっては、王権なんかどうでもよかったようです。(そのため、クヌムやプタハは王の守護神として出てくることは稀。)

 と、いうわけで、かわりの権威として、古き戦の女神ネイトに手紙を書くことにしました。
 彼女はサイスの町で国土を守っていますから、そこを離れて宮廷にやって来ることは出来なかったのでしょう。
 ここでは、ネイトは「ラーの妹」と、いうことになっています。実の妹というよりは、妹ほどに親しい間柄、と、いうことでしょうか。
 さっそく、神々の書記官であるトトがネイトにむけて書状をしたためます。トトさん、大忙し。
 はたして、ネイトからの返事は…「ホルスの王位を継がせるべきだ。このまま互いを争わせても、いいことはない。国土が荒れるだけだ。」

 ラーは、自分の思う返事が来なかったことに不機嫌になり、トトをなじります。
 「お前というやつは、さてはまずい書き方をしたのだろう。この程度の仕事もロクにこなせないとはな。座ってばかりいるから軟弱になるのだ!」
とんでもない言いがかりです。書記官が座って仕事をするのはアタリマエなのですが、トトがいつもいつも座っているので、「軟弱者だった」「虚弱体質だった」という、随分な神話もあるものです。
 
トト「…私は、言われたとおりに仕事をしましたよ。(いちおうクール)」

 ともあれ、ホルスの権利を認める声が、古参の神々の間に多いことはわかりました。
 ラーは渋々、ホルスの権利を認め、なんとかセトの怒りを収める方法を考えようとするのですが…。

※メンデスの雄羊…メンデスはナイル下流、第16ノモスの町。ヘロドトスの旅行記では「雄山羊」とされていたが、出土品では神の姿は羊のため、ここでは羊としてみる。



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