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【エジプト限定】オーパーツコレクション

スフィンクスの謎



ギザ台地にある大きなスフィンクスは、実は、背後にあるピラミッドより、はるか昔に作られたものだ…、そんなウワサが流れ出して、けっこう経つ。

何故なのか?

そこらへんの流れを、自分なりにまとめてみる。

ギザ台地にある巨大な三つのピラミッド、その建造者とされるクフ王やカフラー王、メンカウラー王の名前は、社会科で習うから覚えている人も多いはずだ。
だが、ピラミッドは、あまりに巨大すぎた。そのため昔から、「あんな巨大なもの人の力で作れるハズがない。超古代文明があって、その人たちが築いたんだ。」と、いう推測があった。
ピラミッド自体が盗掘を受けており、教科書に名前の出てくる王たちがピラミッドを築いたという、分かり易い証拠も無いように思われていたのだ。

だが、1989年、下水溝の工事の最中に古王国時代の町の遺構が発見されたことから事態は一変する。通常ピラミッドの周りには、建設に参加する労働者たちの集落がある。その労働者の町が見つかったのだ。

労働者の町からは、たくさんの人々が住んでいた跡が見つかった。彼らの暮らしで使われた道具類から、落書き、ピラミッド建設の作業日程や建設記録まで。「今日、二日酔いなんで作業休みますー」なんていう、オマエどこのサボリーマンだよ! みたいな生々しい記録まで出てきてしまった。(そんないい加減な古代エジプト人がラブリーです。)
ピラミッドを作った人たちは、確かに居た。しかも、古王国時代の、まさしくクフやカフラーの時代に生きた人々に他ならなかった…、と、いうわけだ。

そこで、ギザの大ピラミッドの建造年代を、超古代まで遡らせることが出来なくなってしまった超古代文明の信者さんたちは、「じゃあピラミッドは昔から言われてるとおりクフ王やカフラー王の作ったものね。それはいいよ。でもスフィンクスだけは古いから」と、いう、妥協案(?)に走った。多分そんな感じなんじゃないかな。

ちなみに、スフィンクスがすごく古い時代に作られた! という説の根拠となっているのが、スフィンクスのケツ付近の岩壁に刻まれた縦筋。
あんまりいい写真が見つからなくてアレなんですが、ここらへんです。

すふぃーんくす

上の写真の、壁のところ拡大↓

かくだい。


 岩壁に、縦にたくさんの筋が入っている…。

スフィンクスの顔に泊まるハト…。 近くで見ると、みぞはそれほどでもない


↑拡大はこちらをクリック。(スフィンクスの顔の黒い点々はハトが止まっているからです…)

ドリーマなー人いわく。
「風で侵食されたのなら、縦の侵食などできるワケがない。これは水の流れた痕、もっといえば雨の痕だ。エジプトに雨が降っていたのは、紀元前五千年よりも前のことなので、スフィンクスは一万年以上前には存在していたという計算になる。つまり、ピラミッド建造なんかより断然古いのだ!」

ところで、スフィンクスは、よそから運ばれてきた岩で作られたのではなく、そこにある岩盤をくり貫いて作られた建造物である。
ゆえに、スフィンクスの周りにある岩の溝はスフィンクスとともに作られたものであり、この侵食痕が降雨によるものであるならば、スフィンクスもまた、降雨のあった時代に作られたはずだ…、と、いうのだ。

 スフィンクス本体には、雨による侵食跡が無いんですケド。


ざくっと突っ込んじゃってゴメンヨ(笑)
しかしそれは、「スフィンクス本体は後の時代になって整形されたからだ!」と、いう言い訳に繋がりそうなので、とりあえず自分で自分をフォローしてみる。

実はスフィンクスは、地層と地層の境目の岩で出来ている。断面図はコチラ↓
(ピラミッド大百科/東洋書林より)

地層。

スフィンクスは、三種類の地層が組み合わされる場所に位置している。首から上は、より固い岩。ピラミッドの基盤になっている岩盤だ。
しかし首から下は、柔らかい砂とサンゴ礁の地層。
そのため、両者の境目にあたるスフィンクスの首の部分は、風によって激しく浸食を受けているのだ。

また、スフィンクスの胴がやたらと長いのも、この地層の境目がちょうど胴体の真ん中にあって、ヘタに削ると胴体がバキっと割れてしまうからだ。(スフィクスを作った人々は、胴体部分を削り出してからそのことに気づき、当初の計画を変更したのではないかと思われる)

ここらへんでもう気づいてもらえるかと思うが…
スフィンクスの周りにある、縦の筋が出来ているあたりは、スフィンクスの首より低い位置にある。と、いうことは特に侵食され易い、柔らかい岩盤で出来ているはずだ。
よって、通常の岩盤よりも短い時間で侵食が進むと考えられる。何千年もかからない可能性がある。


スフィンクスの周りに見られるような侵食は他の場所では見られない! と、意気込む人もいるわけだが、似たような縦方向の侵食は、実は、エジプトの石切り場では、たまに見られる。

一例(早稲田大のサイト内、石切り場の写真集からリンク。)


もちろん、これだけで、岩が侵食されるまでの時間や過程が明らかになるわけではない。
縦の筋になっているところは採石が行われていないので古い断面のままなのかもしれないし、地質も違うかもしれない。
しかし、降雨でなくても、岩が縦に侵食される可能性があることは否定出来ない。

上のクリックして拡大する写真は実際に現地でとってきたものだが、スフィンクス周辺の石にも、似たような侵食が写っている。これらは昼夜の寒暖差によって岩に発生する亀裂と思われ、少なくともスフィンクスを囲む壁の内側でだけ見られる現象ではない。

そして、「スフィンクスがピラミッド周辺の複合施設とともに作られた」と言える決定的な証拠として、地質学者トマス・エグナーによる調査がある。
カフラー王の河岸神殿(スフィンクスの横にある神殿ね)は、スフィンクスの体の上を走っている、地層から取り出された石で出来ていると分かったのだ。
スフィンクス本体を見ても分かるように、スフィンクス周辺の地質は、質の違う土が縞々に重なって出来ているので、重なり具合を比較すれば石がどこから取られたのか分かる…と、いうわけだ。

その岩は、スフィンクスが作られるときにしか伐りだせないのだから、河岸神殿はスフィンクスと一緒に造られたのだろう。というのが、最も自然な結論だ。スフィンクスと一緒に神殿も一万年前に作られたことにするか? そしたら無理やり辻褄があいそうだけどね(笑)



なお、スフィンクス近くの侵食痕については、以下のような説もある。

(1)ナイルの氾濫が届いていたんだよ説

実際のところ、降雨でなくてもスフィンクスの近くに水は在った。

まず、ピラミッドを建設するための石材を運んだ水路。
巨石を運ぶには、建設地の近くまで船で運ぶのが効率的だ、ピラミッドや神殿を建てる際に、河の近くに作られたのには、石の運搬が楽だったからという理由もある。
他の例に漏れずギザ台地にも水路が引かれたはずで、ナイルの増水期にはスフィンクスの近く、場合によってはスフィンクスが浸るくらいまで水が来ていたかもしれない。

ちなみに、アスワン・ハイ・ダムが出来る以前の「ナイルの増水」は、こんなかんじ。

こういう古い写真を現地でお土産として売ってました。いいところに目をつけた商売です


後ろに見えているのがクフ王のピラミッド。
今、町になっているあたりは、もれなく水中に没するくらいの勢いで水が増えていたわけです。


(2)地下水のせいなんだよ 説

もう一つは、地下水。
上のほうにある地層の断面図からも分かるように、ちょうどスフィンクスの掘られたあたりの岩盤は、水を含み易い砂の地層になっていて、その上下は硬い地層になっている。ちょうど、地下水が溜まり易い構造になっている。そして実際に、スフィンクスの修復作業中に、その近くから地下水が染み出して工事が中断されるという現象が何度か起きている。ヘロドトスは「王の墓は水の中にある」と書いたが、実際にスフィンクスが水没するくらいの水が溜まった時代もあったかもしれない。


★ちなみに
現代でもスフィンクスは地下水の浸食にさらされている。

現地の人いわく「住宅が増えて、排水で地下水位が上がってる」だ、そうです。

スフィンクスの目の前にあるのは、ケンタッキーより手前に「水溜り」。
エジプトでは日本のようなまとまった雨は降りませんが、地下水が湧き出し続けることによってこのような池が出来ている。直射日光が照りつけ、汗すらもあっというまに乾いてしまうこの乾燥した気候でこれだけ水が保たれているということは、けっこうな水量があるようだ。

ナイルの増水があり、定期的に地下水が上昇していた時代は、もっとたくさんの水がスフィンクスに迫っていたかも?



(3)石灰岩だから侵食されるんだよ 説

スフィンクスが、近年に入ってから何度も修復されている原因は、エジプトの暑い気候と石灰岩にある。スフィンクス本体は石灰岩なのだが、夜、急激に気温が下がると表面に結露し、石灰岩の中に水が吸い込まれる。そして昼、太陽が昇り、急激に温度が上がると、岩の内部から溶け出した塩分が水の蒸発とともに表面に噴出し、岩を剥離させてしまう。

スフィンクス後方の壁もまた、そのようにして少しずつ剥離している。その壁はスフィンクス本体と同じく、途中で地層が変わっているため、部分ごとに剥離の速度が異なる。縦筋の侵食は、部分ごとに侵食スピードが違うために発生していると考えられる。


…実際のところ、上記三つの説は、どれも正しいかもしれない。
可能性は十分だし、もしかしたら全ての要素がスフィンクスと、その周囲の壁を少しずつ削っていったのかもしれない。少なくとも、縦筋という根拠だけで、スフィンクスの製造年代を一万年も遡らせる必要はないと思われる。

まあしかし、スフィンクス自体、誰に作られたか「確定」はしていないわけだし、一昔前にあった「顔はカフラー王に似せられている」説にも揺らぎが出てきているわけで、何か大いなる謎が秘められている可能性は無いとは言えない。
ただ、その謎は一万年も遡らなくても数千年前に答えがありそうだ。


【ポイント】

スフィンクスが一万年前に作られたのではない、という考古学上の証拠として、周辺の一万年前の地層から、人間の大規模な活動の証拠が出てこない、ということがある。管理人、考古学は素人さんなので説明の仕方はテケトーですが、簡単に言うとこんなかんじ。



地層というのは、地殻変動で大きなうねりが無い限り、基本的に古い時代のものから新しい時代のものへ順番に重なっていく。
なので上から順番に地層を剥いでいくと、遺物が発見された時点でどれだけ掘ってるかによって、その遺物が使われていた時代を特定することが出来る。もし、一万年前にスフィンクスが作られたのだとすれば、スフィンクスの周辺の「一万年前の」地層から、スフィンクスの加工に使われた道具や、切り出された石の破片、人が居住していた跡などが見つからなくてはならない。
ところが、そういったものがない。
一人二人がぺろっとやって来て作れるレベルの大きさではないし、ある程度のまとまった人数が、組織だって一つの目的のために動かなければ、スフィンクスのようなものは作れまい。ならば作られた時代は、遺物が沢山出てくる時代―― すなわち王朝時代に入って以降と見るのが妥当だと思われる。(ただ、王朝時代に入ってからの「どの時代?」「どの王の治世で?」までは特定できない。)

まあそんなわけで、学者が「スフィンクスが太古に作られたとか、んなの信じられっかよ!」と、言ってるのには一応根拠があるんだよってなお話でした。


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