死者の肉体を保存する技術は、宗教儀式の一環として生まれた。
「死後も、その魂が永遠に行き続けるように」。そんな願いをこめ、死者への敬意を込め、永遠を願って作られたのが、古代エジプトのミイラだ。
ミイラを作ることは、限られた職人だけに許された行為であり、ある程度、秘儀的な意味合いもあったものと思われる。
そのため文字として書き記して残されることが無く、エジプト人自身による記録は、ほとんど無い。
現在、よく言われるミイラ製造法は、ギリシア人歴史家・ヘロドトスや、ディオドロスによる記録、またはエジプトの宗教文書からの推測によるものである。
ミイラを作る風習は、エジプト王国の始まりから存在し、エジプト王国の終焉まで連綿と作られ続けてきた。その間、軽く見積もって三千年。もちろんミイラの作り方や棺への収め方は、時代ごとに違っていた、もっと言えば、場数を踏んだぶん、ミイラ作りの技術は進歩していたはずだが、上記のような理由から、ある程度分かっているのは、ミイラ作りが進化して、最終段階に入った時代だけと言える。
しかし、基本的な手順や宗教的背景は、大きく変化することは無かっただろう。
ミイラ作りには、大原則がある。まず
[死亡から七十日で死体の処理を完了させる]ということ。これは、豊穣・再生のシンボルとして特別な意味あいを持つ星、シリウスが、地平線に隠れて見えない日数と一致する。七十日すると、地平に隠れていた星は、再び空に見えるようになる。日本で言うところの四十九日と似ているが、古代エジプトでは、七十日すると人は冥界に蘇るという思想があったようだ。
死体の処理には意外に長い時間がかかる。特に防腐処理には四十日を要したというから、七十日のうち大半は遺体の脱水処理に費やされたことだろう。(人間の体はほとんど水分で出来ているのだから、それも当然か)
処理が行われている間に、遺族たちは墓と副葬品、棺などの準備を整える。そうして、死から約七十日後、旅立ちの準備を整えた死者の埋葬が行われるのである。
1.死体を洗浄
この手順には、特に説明が必要な部分は無さそうだ。
ちなみに、死にたてフレッシュな死体の場合、ミイラ職人が死体姦に走る危険性があったことから、美女や王族の女性の場合、数日おいて適度に腐敗させてからミイラ職人に渡したという話もあるが、真実だったのか、ゴシップのようなものだったのか、ミイラ職人の中にそのような特異趣味を持つ個人がいたのか、ある程度多くの職人がそのような行為に走ったことがあったのか、そういった詳しい事情は分からない。真相は推測するのみである。
2.内蔵を取り出す
体の中に内蔵があると腐敗してしまうため、
内蔵を収めるカノポス壷についての説明は、死者の書コーナーの一角に記してある→
コチラ
壷に収めない場合、臓器は、ひとつひとつ別個に包んで遺体の腹の中に詰め戻した。傷みが激しく、防腐処理の意味が無さそうな場合は、そのまま捨てられたようだが。
有名な話に、「エジプト人はミイラを作るとき、鼻から金属をつっこんで脳みそを掻き出した」と、いうものがある。
それは半分正しく、半分は正しくない。金属を鼻の穴から頭蓋の中に入れようとすると、鼻の奥にある軟骨のようなもの(鋤骨、篩骨のあたり)を破壊することになるが、破壊されていないミイラもあるからだ。
その理由は、おそらく、死体の
フレッシュ度合いと
処置費用による。エジプトは非常に暑い国のため、数日あれば脳みそは腐敗して溶けてしまう。溶けた脳は、金属で掻き出すまでもなく、液体として流し出すことが出来たはずだ。
また、脳の組織を溶かすために薬品を使ったという説もある。薬品の種類は特定されていないが、ミイラ内の科学調査をしたところ杉ヤニが発見されたという話もあり、もしかすると、残った脳の組織ごと防腐処理をする意味合いの強い薬品だったかもしれない。
いずれにしても、脳を取り出すにはひと手間が必要であり、少しでも安くミイラにしてもらいたい庶民のミイラでは、脳がそのままになっているものもある。
3.遺体と、取り出した内臓の乾燥処理
乾燥には、天然のナトロンが使用された。
最も原始的な時代には天日干しでミイラが作られ、次の時代には塩が使われたが、塩づけにされた遺体は原型をとどめないほどボロボロになってしまうことが多く、結局は、エジプトに豊富なナトロンが使われるようになったようだ。
ソーダ水に漬け込むよりも、固形のナトロンを遺体の上に積み上げるほうが効果的であるという。
4.乾燥で変形した部位の整形
人間の体から徹底的に水分を抜くと、皮膚がかなり萎縮する。肉体をいかに生前に近く保存するかを追求した職人たちは、萎縮によって顔や手足の形状が崩れることを恐れ、前もって頬や顎の中に詰め物をしておいた。鼻の中に黒コショウを詰めて、折れないよう、鼻筋を保とうとした例もある。また、指先なども脱水によって崩れやすかったため、爪がはがれないよう布で巻いて固定することもあり、胸や首のあたりにも詰め物をしたという。
5.梱包
マンガだと、幅の均等な、いわゆる「包帯」でグルグル巻きにされたミイラが登場するのだが、実際は、幅はまちまちで、部位ごとに幅を変えて効率的に包んでいる。
梱包には、日常生活で余った布を使うことも多かった、という。
ちなみに、ミイラのイメージとして根強い、胸の前で腕を交差させているポーズは棺の蓋に刻まれた人型の取っているもので、中に入っているミイラは、王族を除けば下ろしていることも多い。(※末尾参照)
右は、だいぶ大雑把な図。→
遺体をくるむ包帯には、ところどころに、死者の名を記して、遺体の取り違えが無いようにし、中には多くの小さな護符が巻き込まれた。
たとえばハート・スカラベといって、死者の心臓に変わるスカラベの護符は、実際に死者の左胸の上に置かれていた。
もっと念を入れた場合、最後に巻いた包帯の上に、じかに死者の書の文句やオシリス神の姿を描くこともあった。
また、スギなどの樹脂や、ミルラ(これも樹脂)、ハーブなど、時代によって多少の違いはあるが、防腐剤として様々な樹脂が体の中に収められた。とはいえ、何千年という時が物質を変化させており、科学的に調査しても、具体的に何なのか突き止められないでいる物質もある。
また、梱包方法や棺への収め方は時代ごとに違っており、棺をぺたっと地面に寝かせている時代があれば、地面から上がる湿気を避けるためか、棺ごと壁に立てかけていた時代もあった。
中王国時代には、棺は人型ではなく四角い、日本のお棺と同じような形をした箱になっており、中の死者は横向きに寝かされた。
棺は中の死者が東(太陽の昇る方向)を向くように設置され、昇る太陽が見られるように、と、棺の側面には目が描かれた。
オマケ:値段差
どこの文化圏でも同じだろうが、葬儀にかかるお値段というものは、階級ごとに異なるものである。
もちろん、棺のランクや副葬品の豪華さによっても大きく変わるだろうが、ミイラそのものについて言うならば、「どれだけ丁寧に作るか」。それが、ミイラの値段を決めていたポイントと思われる。
庶民のミイラの中には、ナトロンなど使わずに天日干しにしたと思われるものもあれば、ヘタな職人の手にかかったため生前の姿を留めないほど肌が萎縮してしまっているものもある。対して、王族のミイラは(墓の中でひどい目に遭っていなければ)保存がよく、顔立ちが美しい。
丁寧に、美しいミイラを作るほど、お高くなってしまう…と、いうわけだ。
オマケ:ナトロンについて
ミイラの乾燥処理に使う「ナトロン」。天然ソーダとも言われ、炭酸ナトリウム「Na2CO3」を主成分とする。
炭酸ソーダ(炭酸ナトリウム)を10水和物にするとナトロンになり、化学式は「Na2CO3.10(H2O)」(重曹は炭酸水素ナトリウム「NaHCO3」)。
※Wikipedia英語版から抜粋、間違ってたら指摘ヨロ
このことから、水和物として結晶化したナトロンが、風解する過程で湿気を取り込んでゆっくりと脱水していく作用がミイラ作りに役立っていると思われる。
…うーん化学は若干苦手なのでうまく説明できないが、「炭酸ナトリウムと化合し、水としての性質を失って結晶化した成分が、湿気と触れて再び水に戻ろうとするとき、周囲から必要な水分を取り込む」…こんな感じの表現になるだろうか?
脱水作用はさほど強くなく、ゆっくりと変化していくものなので、急激な脱水による遺体へのダメージは少なかったものと思われる。
※ミイラの腕…
新王国時代の作法でいくと、両腕を胸の前で組み合わせるポーズは、基本的に王様の「俺・最高」ポーズ。王妃だと片腕を体のそばに下ろす。
と、言う具合に、埋葬時にミイラ職人がその人の身分にのっとって整形していた。そのため、腕の組み方によって王族と判明したミイラもある反面、荒らされた墓から緊急避難させたミイラを整形しなおして際埋葬する際に、神官がミイラの性別や身分を間違えた(王と王妃をテレコにするなど)ために、後世に混乱をまねいたケースもある。ちなみに、王妃のポーズで埋葬されていたのに調べたらじつは男性だった、というケースに、ツタンカーメンの兄と思われるスメンクカーラーがいる。
なお、この伝統は時代ごとに変化していくため、紀元前1000年くらいになると、一般人でも腕は胸の前で組み合わせているものがある。