ミイラに添えられているもの、といえば死者の書と、もう一つ、カノポス壷というものがある。
わかりやすぅく絵で示すと、こんなカンジのヤツら。
(※アイコン提供―Nefercticti'sTomb)
このツボは、ミイラから取り出した内臓を収めておくための容器。どの時代においても四つあった。それぞれの壷は守護する精霊の顔と名前によって区別され、ミイラの四方を守護する四人の女神たちに対応していた。精霊たちは、「ホル=メスウト(ホルスの息子たち)」と呼ばれ、死者を守護する女神たちとそれぞれペアになって、死後の世界で復活するための4つの要素を守護していた。4つでワンセット。一つでも欠けると復活出来ないんだとか。(そりゃ大変だ)
それぞれのツボを守護する精霊と、対応する女神・方位は以下の通り。
名前と読み方(出ない記号は省略) | 精霊の姿 | 入れる内臓 | 守護要素 | 対応女神 | 守護方角 | ||
イムセティ imsti |
人間 | 肝臓 | カー 生命力 |
イシス | 南 | ||
ハピ h(c)py |
狒狒 | 肺 | バー 復活 |
ネフティス | 北 | ||
ドゥアムテフ dwз-mwt.f |
黒犬 | 胃 | サフ(アク) 高貴な変貌 |
ネイト | 東 | ||
ケベフセヌフ kbh-snw.f |
隼 | 腸 | イブ 心臓 |
セルケト | 西 |
※内臓については異説あり。干からびてる内臓が人間のどこの部位かって判別は難しいのだと思われる…
守護要素にある「カー」「バー」などに日本語訳をつけているが、実際は、対応する概念を一言で表すのは難しい。
まずは古代エジプト人が考えた、人格を構成する五大要素というものについて理解する必要があるかと思う。
言ってみれば、中国の思想で言うとこの「三魂七魄」みたいなモノで、古代エジプトでの”人間という生命の存在”は、「肉体と魂」という二元管理ではないのである。
五大要素の内訳は、以下のとおり。
1.カー 2.バー 3.肉体 4.名前 5.影
以上、五つが結合して初めて完全なる人格が形成されるのだという。
と、いうことは、一つくらい欠けていても(たとえば名前を持たない子供がいたとしても)人間としてはやってけそうだが、それは完全なる形態ではないのである。
まずは、各項目について、簡単な思想を流してみる。
「カー」
人が生まれる時、ともに生まれ、死後もともにあり続ける存在。
生きているものすべて体の中にあって、生きていく力を与える、ミトコンドリアのごとき別生命体というイメージである。
カーが元気をなくすと生きる力も減少するので、カーを元気にする儀式などもあったという。(それが、カーの神格化された由縁だろうか。)
しかも、本人が死ぬと失われるわけではなく、親から子へ受け継がれることがある。
カーは「ひじを曲げて差し挙げた両手」の形で表される。
右図の像(木製)の頭の上に載っているカタチが、まさしく、ヒエログリフの「カー」。
カーは、それが宿る人と同じ姿をしており、宿る人が老齢や病によって変貌すれば、同じように年老いて、弱ってゆくと思われる。なぜなら、カーの生命力は、それが宿る人の生命力でもあるからである。
右図の像は、ホル王のカーを表した像。カーが元気であるように、と、死者の健康で若々しく、最も状態の良かった姿がカーとして表現されている。
日本語の「魂」に近いニュアンスも含んでいるが、本人とは深いつながりに在りつつ、実際は別個のものであるという点において異なる。
「バー」
鳥の姿をとり、その生き物が死ぬと抜け出すが、死後の世界で復活するときは、何故かついて来てくれる”自分の分身”である。
日本語の「魂」に最も近い概念といえよう。
さきの「カー」は本人とは別の生命体のような雰囲気だが、こちらは、その人の一部ということで、欲望も欲求も共有する。また、鳥の姿になっているときも、本体の人の顔をしていることが多い。
もちろん女性のバーは女性の顔、男性のバーは男性の顔である。
肉体と密接な繋がりがあり、バーは定期的に、自分がもと住んでいた肉体へと戻ってくるという。
「サフ」または「アク」
高貴な魂、という意味も持ち、バーとは違った形の、神々しい鳥の姿で表される。右図のような壁画の描かれ具合からして、ホオアカトキというトキの一種だと考えられている。
高い位にクラスチェンジした魂を意味し、一説によると、「カー」と「バー」が一体化した、死後の世界での死者の姿を意味するという。
生きてる間は持っておらず、死後、復活を許された者だけが持つもの、「祝福された死者」の証、それが「サフ(またはアク)」なのである。
「肉体」
五大要素に入っていないがカノポス壷の守護リストに入っている「イブ」は、心臓のことである。ヒエログリフで書くと、まんま心臓の形で表される。
古代エジプト人が肉体の中で最も重要視したのが心臓であり、心も魂も、体に生命力を与えるものはすべて、そこに入っていると考えられていた。
心臓は、死者の審判で胸から取り出され、真実の羽根と天秤にかけられる。もし心臓が罪に穢れていたら、その場で廃棄処分にされてしまう。アメミットの口の中にポイ。罪に穢れていなかったら、返してくれて、胸に入れなおして、永遠の世界へ旅立ちと相成る。
審判の場まで持っていかなくてはならないので、ミイラにするときは取り出さない。
「名前」と「影」
日本にある「言霊」という概念と似て、古代エジプト人は名前を重視していたようだ。
名前を忘れ去られるということは、その人の存在自体がこの世から消えてしまうのと同じことと考えられており、政権争いの相手が、ライバルの記念碑から名前の部分を削り取るといったことも頻繁に行われていた。また、罪人から名前を奪い、かわりに悪しき名前をつけたという記録も残されている。
影というのは、「影人(古代エジプト語では”カイビト”と書かれている。)」とも呼ばれ、悪しきものから肉体を守護する自分自身の分身で、場合によっては自ら高速移動することも可能とされる。自然光が基本の古代、影は太陽の光によって作られるものだったことと関係があるとされている。
右の図は、自らの影の上を飛ぶバーの図。影も、バー同様に肉体から抜けだす自由な身であったようだ。
ちなみに、カノポス壷の「カノポス(Canope)」という名称は、現在はアブキールという名前で知られる町の昔の名前が由来である。
アブキールでは、かつてカノポス壷に似た像が崇拝されていたので、その名前をとって内臓壷を「カノポスの壷」と呼ぶようになったんだとか。
さかのぼると、このカノポスという地名の由来はギリシア神話に登場する「カノポス」なる人物。トロイアからの帰還途中に事故で死亡したが、そのカノポスが葬られた場所だから、カノポスと呼ばれていた。
”カノポス”というのはギリシア語、しかもエジプトとはぜんぜん関係ないギリシア神話の人物から付けられていたのである。なんだかな…。