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第13・14王朝の概説


■時代背景

第12王朝から13王朝への移行は、さしたる混乱もなくスムーズに行われたようだ。最後の王が女性であったことから、婚姻などによって王権を渡したのかもしれない。権威も第13王朝開始時はそれほど劣っていたわけではなく、中央政権の力ははるか南方まで及んでいた。
だが、王権は着実に弱まりつつあり、第13王朝後半のアイ(アヤ)王付近の時代には、エジプト北部のデルタ地帯の一部が独立する。
それが第14王朝で、第13王朝と平行した弱小な王国だったと考えられている。東のデルタ地帯には第12王朝ごろから異国人(主に隣接するパレスティナ)の流入があり、異国人集団を母体とした王国だったと考えられている。

ただし第14王朝も長続きはしなかった。第14王朝が首都としていたアヴァリスを奪ったヒクソス人による第15王朝が成立すると、第14王朝は消滅し、第13王朝もエジプトの北部、ナイルデルタ地方の支配権を決定的に失うことになる。


■中王国時代と第二中間期の分岐点

王国分裂の状態を中間期と呼ぶのであれば、第14王朝成立をもって第二中間期の始まりとすることができるが、その場合は第13王朝末から第二中間期ということになる。ただしそれだとページが作りにくいので、サイトの表記上は第15王朝以降を第二中間期としている。このあたりの時代は年代がピンポイントで特定できないため、「いつから第二中間期?」という特定は難しい。


■資料

この時代はとにかく王の数が多く、短期間でころころ変わっている。ただし王権が安定しなかったとは言い切れず、その大半は共同統治者であり、単独で即位したことはない、いわゆる「宰相」的な王だったと推測されている。

主な王位継承者たちの名前の資料はトリノ王名表なので、まだ発見されていない/特定されていない王も含まれる。また発見され、実在が確定した王についても資料が少ないため、家族構成や王位継承順には諸説がある。今後変更になるか、既に変更になっている可能性もあるが、リアルタイムでおっつけないので、このサイトでは基本的に2012年あたりの最新データを元に構成した。


■王名について

第13王朝の王たちの誕生名は、現代エジプトと同じく「祖父名・父名・自分の名前」という順番で書かれていることが多い。
たとえば「アメニ・インイオテフ・アメンエムハト」は祖父がアメンエムハト5世、父がアンテフ(インイオテフ)のアメンエムハト6世、ということになる。本によって表記が分かれる理由はだいたいそのへん。(なので「ソンベフ」と「アメンエムハト・ソンベフ」は同じ王)

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