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ここからは、わりとどうでもいい話なので読んでも読まなくてもOK。
ここにたどり着く前に、
「ピラミッドは、何のために作られた?」(通常版)と、
「ピラミッドは、何のために作られた?」(ハード版)
は通過されましたか? いきなり一番ハードなページというのもアリですが。
二つの記事で私が言いたいことを、やや乱暴に要約すると、
ピラミッドは基本的に墓として建造されていますが、墓ではない目的を持ったものも存在します。
複数の目的を持って作られた宗教施設と見るのが妥当と思われます。
ただし、失業対策とか、公共事業の「ため」というのは在り得ません。
「在り得ない」とする根拠については、ここまでのページを読んでくださいね。ということで。
◆吉村作治氏の誤解
ここで、そもそもこのページを作って警告しなればならなくなった発端である著名な人物について、悲しいことを告げなくてはならない。「王の墓ではない」と強く主張し、日本中に浸透させたのは吉村氏だろう。だが、人々に広く知れ渡る吉村氏の本が、そもそも間違いだらけである、ということだ。ていうか彼は、専門の学者としてやっていくには、あまりにもお粗末な知識しかもっていなさそうだ。
ピラミッド=公共事業説を展開している、氏の「古代エジプト 埋もれた記憶」(青春出版社)という本を手にとってみたのだが、… そこに書かれていた内容は、あらゆる意味で衝撃的だった。
氏はこのように書いていた。
大ピラミッドの王の間と称されている部屋にも問題がある。その位置が地上50メートルのところにあるからだ。通常、死体を安置するのは地下である。だから埋葬といわれるのだ。今でも死体は必ず地下に埋める。 火葬、水葬など地域によって死体の処理の仕方はいろいろあるが、古代エジプトは土葬で、人間の肉体が安らかに眠るのは土の中と考えられていた。だから、空葬ともいえる地上約50メートルの埋葬室というのは考えられない。(P35-36) |
つまり、こういうことである。
※現時点での本体。ここが玄室かどうかは未定
「棺のある王の間は地上50メートルにある。だからピラミッドが王の墓だとは言えない」
…とはいうが、 "王の間" "王妃の間" は、後世に発見した人間が勝手につけた名前に過ぎない。
王と王妃が1つのピラミッドに埋葬された例はないことからしても、本当に王と王妃の埋葬に使われた可能性は低いだろう。
そして、そもそも、地下室を持たないピラミッドも存在しない。
上の図を見てもらえば分かるとおり、クフ王の大ピラミッドにも、未完成とはいえ、地下室はしっかり存在しているのだ。
通常、ピラミッドの構造はこんな感じで、地下室のみを持っている。
クフ王のピラミッドと並んで立つ、カフラー、メンカウラー王のピラミッドについても、地下室を持っている。
クフ王のピラミッドの場合は地下室にプラスして地上の部屋も作っているものの、基本的な施設してのデザイン、コンセプトは他のピラミッドと大して変わらない。つまり、「埋葬は地下に行う」という氏の主張が正しいならば、地下室を持つすべてのピラミッドは、墓として作られたことにほかならないことを自分で証明してしまっていることになる。
そう、埋葬は、地下に行われるのが一般的である。
だからこそ多くの学者たちは、クフ王のピラミッドについて「じつは地下室が本体なのではないか」と見て地下室の周辺に王の埋葬の痕跡を探していた。地下室の壁や、落とし穴に見える部分を削ったり、エコー探査したりして空間を探そうともした。この話はそれなりのエジプトマニアなら普通に常識として知っていそうな気がしたのだが、違うのだろうか。
また「ピラミッドの中から遺体がでてこない、だからピラミッドは王の墓ではない」という話も書かれているが、これは既に否定したとおり遺体が実際に見つかっているピラミッドは複数ある。「墓として作ったのなら複数作る必要はない」ということについては、反論をするまでもないだろう。失敗作だったから放棄したかもしれない、家族のぶんまで作ったかもしれない。墓を複数作ってはいけない具体的な根拠が何も無いのだからに、決定的な根拠にはならない。
要するに、ほとんど何の根拠も無いままに、反論の想定もせずに、自信たっぷりに従来の説を否定している、しかも自説には根底となる基本的な知識すら欠けている…という有様なのだ。
(何しろ、ピラミッドは王墓でないという根拠に、「ヘロドトスが書いたことは正しくない」と言いだすほどだ。ヘロドトスは確かに、ピラミッドに対して正確とは言えない表現をした。が―― ヘロドトスより以後のアラビア語の資料でも、悉く、ピラミッドは王墓であると書かれたことを無視している。また考古学的な、物的な証拠 からピラミッド周辺がネクロポリスとして使われたことは動かしようがないと思われるのに! 考古学者でありながら考古学的な資料を信じないとは、なんという皮肉だろう)
他にも氏は、同じ本で「灯台の起源はエジプトである」と述べている。
だが、「灯台」という言葉の起源がエジプトに作られた「ファロスの灯台」なのであって、灯台という施設そのものの起源はエジプトではない。
そもそも、ファロスの灯台が建てられたのは紀元前3世紀。プトレマイオス2世の時代である。プトレマイオス朝はエジプト人の王朝ではない。(というか、「ファロス」という言葉自体、エジプト語じゃないことは見れば分かりそうな…)
このファロスの灯台が大きく、印象的だったため、以後灯台はみな「ファロス」と呼ばれるようになった。現在の英語で灯台のことを pharos というのは、ここに由来する。フランス語、ドイツ語にも同様の単語がある。ただし、当然ながら異なる系統の言語では灯台という言葉は全く関係ない。「灯台の起源がエジプト」というのは、間違っていると言ってもいい記述だろう。
ポカミスや勘違いでないことは、実際にこの本を読んでみていただけばわかると思う。
勘違いだったとしても、海にあまり興味がなく、紅海を渡るか、レバノンに行くときくらいしか大型の船を使わなかったはずの古代エジプト人に、なんで灯台を築く必要性があったのか、など、疑問に思ったら手を止めて裏づけを取ってみようとするのではないだろうか。少なくとも私は、灯台の語源がファロスだということは、この本を見るまで気づかなかった。最初に灯台を作ったのがエジプト人なワケがない、と思って調べて、ようやく間違いの意味に気がついたくらいだ。
このような、致命的とも思われる勘違いが、1冊の本の中に幾つか見つかった。
専門家ではない私が気になるくらいの大きな傷である。もし本当にこれがご自分で書かれたものなら、いかに適当に書いてしまったものか。吉村氏は、根本的に立つべき瀬を間違えていると思われる。
間違った知識や、不完全な土台の上に作り上げられた説が、果たして正しいものだろうか?
私は、他人のミスを指摘して、勝ち誇りたいわけではない。ただ、間違っていると思うもの、明らかにおかしいものについてはツッコむというのが、このサイトのスタンスである。
著名人の言うことだからといって全て正しいわけではないことを強調したい。たとえどんなに名前が知られていようとも、たとえどんな立派な肩書きがついていようとも、人間は人間である。間違いや失敗から完全に逃れることは、決して出来ない。
もちろん、私自身、よく失敗は犯す人間だが、自分でそれをよくわかっている。だからこそ、
「おまえはわかっているのか」とおっしゃる方がおられると思うが、
答えは「あなたよりはわかっているが、神よりはわかっていない」 By吉村作治
−−なんていう自惚れたセリフは、恐ろしくて、冗談でも口にすることは出来ない。
#自分の書いたものを読むのが、常に自分より下の人間だと思ってなければ、こんなコトは言えないですからね…
◆K.メンデルスゾーン「ピラミッドの謎」(酒井 傳六 訳)
※改題「ピラミッドを探る」のタイトルで法政大学出版会より再版
「ピラミッドの建設は、公共事業の意味を持っていた」と、最初に言い出したのは、おそらくこの方、クルト・メンデルスゾーンだと思われる。(つまり新説でもなんでもない^^;)
* これについては人によっては別の意見(出所が違う)という意見も持つ
* メンデルスゾーン前後の20世紀中頃〜後半に複数の学者によって「公共事業説」もしくはそれに類する説が唱えられたことは事実である
メンデルスゾーンは元々物理学者だったが、古代文明についても興味を持ち、この本を著している。本の初版は、和訳の時点で昭和51年となっており、現時点から何十年か前に書かれているため、論拠となっている情報が若干古い、あるいは不正確と思われる部分もあるが、基本的な考え方の方向については今も通用するものだと思う。
彼の考えたことは、序章に要約されている。
「考古学上の証拠は、ピラミッドが初期のファラオ(王)のための葬祭建造物として役割を果たしたことに何の疑いもないことを示している」
このように述べた後、
「ピラミッドは王廟の役を果たしたということは容易に認められているとはいえ、そのことは、それがピラミッド建設の唯一の目的であったことを必ずしも意味しない。」
と、続けている。つまり既存の説だけでは説明不十分な部分について語ろうとしている。
一言で言うならば、それは「古代エジプトが、中央集権制度を固めるに当たってムラ社会から脱却するための事業」である。
メンデルスゾーンがひとつの例に挙げているのが、カセケムイ王の時代付近で起きた内乱である。この内乱は、ホルス神を守護神に掲げる一派とセト神を守護神に掲げる一派が激突した、歴史上の「ホルスとセトの戦い」だ。第二王朝の王たちは、この戦いが収束したのちもホルスとセト両方の印を自分の名前とともに掲げる。
そして、ピラミッドの元となる階段ピラミッドが建設されはじめるのが、第三王朝に入ってジェセル王の時代。
反乱の芽はまだ残っていたはずなのに、なぜそんなときに役にも立たない巨大な建造物を作ったのか…。
いやいや、そういう不穏な時代だったからこそ巨大な建造物が必要だったのだ、つまり農閑期に農民にヒマを与えて反乱など起こさせないように、それから一箇所に各地の農民を集めて連帯感を育てさせようってことなんだよ。
と、つまり、時代背景から「労働の必要性」というものについて語っている。
労働そのものが必要だったからこそ、王たちはピラミッドの増改築を繰り返し、場合によっては複数のピラミッドを建てる必要さえあったのではないか。
この理屈に従えば、ひとりの王が複数の墓を持つことについて説明がつき、しかも、ピラミッド自体は王の存命中に完成する必要さえ無いことになる。
また、古代エジプトは基本的に国家への帰属意識り低い、ムラ社会だったということも重要な要素だ。砂漠に隔てられ、河沿いまたは少し内陸の支流などに集落が点在し、それらは別個の信仰と言ってよい信仰とそれぞれの都市守護神を持っている。国家事業でも行って強制的に駆り立てなければ、各都市に住む人々は各々が独立意識を持ったままで、一つの国としてのまとまりをもって、動かすことはできなかっただろう。
ゆえにメンデルスゾーンは、解決の章で言う。
「ピラミッドはかつて存在したことのない共同体をつくりつつあった。部族の村人たちは共同の仕事によって結び付けられ、民族の意識を持つ国民となった」
ピラミッドづくりを通して、王は国家の長としての権威を確立する。(そしてラー神官団も国教としての地位を確立する)
国家としてのまとまりを作り上げることが主要な目的であり、「崩れない人工の山」を国家の結束の象徴として作り上げることが重要だったのなら、その中に実際に王の遺体が収められていようと、いまいと、じつは大した問題ではないことになる。
この説は、ピラミッドづくりが終了したのは、もはや人々を取りまとめて結束を固めさせる必要のある時代が過ぎ去ったからである。と締めくくっている。ピラミッド建設が終ったのち、儀式上の象徴ではなく実利のあるもの−− ダムや街道のようなもの−− の建設が行われるようになったこととも、この説は合致するだろう。
「われわれは、科学者のほうがエジプト学者よりも多くのものを見るといっているのではない。科学者はただ違ったものを見るといっているのである。」p98.
※この本について大きな部分の補足を。
メンデルスゾーンの説では前提としてメイドゥムのピラミッドが建設中に崩れたことになっているが、現在では、周囲に積み上がった土の山は石を運び上げるための傾斜路のあと、とされている。根拠は、瓦礫のなかに、建設に使われたと思われる大きな石材が少なすぎるということだ。外装が崩れ落ちたのはかなり後のことで、建設中に崩れて人災になったという可能性は低いかもしれない。
また、屈折ピラミッドの建設とメイドゥムのピラミッドの建設時期がオーバーラップしているかについては疑問も残る。ただ、このことが、「ピラミッドの建設は国家としての結束を固めるための意味があった」という結論部分を覆すものではないと思う。
◆個人的な意見
ピラミッド建設は、農閑期だけ行われていたわけではない。また、ヒマな農民だけが行っていたわけでもない。1年じゅう従事している多くの専門スタッフがおり、熟練の技をもつ専門技師も多数存在した。(建築監督のような専門職や、神官、天文学者のような役割を持つ測量士など)
そうした人々は、農作をせず、一年中ただひたすら国庫からの収入を貰ってピラミッドを作り続けている。訓練を受けていない農閑期の農民に出来たのは、せいぜい石を運ぶなどの単純労働だろう。
生産者と労働者は、ある程度分離しているのだ。
つまり、専業農家が、ピラミッド建築のみを行う専門チームをも賄える余剰作物を生産できることが、ピラミッドを作るうえで最低の条件となる。特にナイル下流域は、灌漑の効率がよく生産性が高かったのでそれも可能だった。
ギザの大ピラミッドの場合ピラミッド建設には、常時、数万人が働き続けたとされる。建築現場の指揮を取り、石組みを決めたり、石を積む人だけではない。石を切り出す人、運搬する人など遠方で働く人のことも考えなくてはならない。その人数を常時まかなうだけの国家予算を、つねに「消費」し続けていたはずだ。
だからこそ、第四王朝の終了は「破産が原因」という説も生まれた。また、第一中間期とナイルの水位低下を結びつけ、ピラミッド建設の中断は、長期間の旱魃による余剰作物の不足が一因ではないか、という説もある。
それにピラミッド建設は命がけの作業である。石が崩れれば即死する。石の運搬中に船が沈むかもしれない。本業を持つ農民が、わずかばかりの穀物キャッシュバックにひかれて自発的に建設に参加するだろうか。農民が石を切り出すのか?
農閑期になると突然、石工に変わる? 農閑期になったとたん、石切り場にかけつけていく? えらく不自然な話になってしまう。
完全に仕事を持たない人々ならば建設に参加したかもしれないが、それだって、イヤイヤながらに参加したのではなく自発的に、である。それはやはり信仰という理由が無くては、あの巨大な石のモニュメントは作れないだろう。
それでも、これが、ダム建設や運河づくりなら、まだ国家事業として〜 国民のため〜 という話にも出来たのだろうが、…作りあげたものに全く実用性がないように見えるところが、この話のポイントなのだと思う。
少し話はズレるが、信仰という観点からピラミッド建設の理由を説明することも可能だ。
エジプト神話には幾つもの系統が存在する。
太陽神ラーを頂点とする神話は、あくまで一系統でしかない。その教義の中心地はギザの対岸、ヘリオポリス(現在のカイロ付近)だ。
対抗するヘルモポリス神話、月神トトや八柱の神々の登場する教義の中心地は、もっと上流のヘルモポリス。
ピラミッド建設の行われていた古王国時代〜中王国時代初期の頃は、ラー神が最高権威を誇り、国家の主要な教義とされていた時代である。それゆえに、この時代に太陽信仰の象徴であるピラミッドも建設された…ともいえるのだが、逆に、ピラミッド建設に多くの人を借り出したからこそ、ピラミッドに象徴される太陽信仰が国中に広まった、という考え方は、どうだろう?
仮説
ピラミッド建設はラー信仰の布教作戦の1つ。建築参加者に教義を教え込み広めるのも主要な目的だった。
これはメンデルスゾーンの言う「ムラ社会からの脱却」とも通じる。同じ思想・信仰を持つことで結束力を持たせるということだ。
作業には神官や王の側近などラー信仰に深く従事する人々も参加していたはずで、そうした人々が多くの作業員と日々触れ合うことになって、繰り返し、世代を超えて、太陽神の偉大さや素晴らしさを説いていたとしたらどうだろう?
それはある意味で究極の洗脳である。そして、ムチで打つよりも確実に、人々を作業に駆り立てる方法だっただろう。
ナイル上流域は遠すぎて、作業に参加した人が少なかったため別の系統の神話が信じられ続けたのかもしれない。
ついでに、「ピラミッドが王の墓ではないかも」という説が出てきた理由と、その本来の意味について紹介しておきたい。
どういうことかというと、ピラミッドの中に墓があるという説が捨てられて、その近くまたは地下に墓があるのでは? という説が、現在までにある程度支持されるようになっているということだ。
つまり、こういう仮説だ。
「ピラミッド」というのは、地上に見えてる石積みに過ぎず、地上の目印に過ぎないんじゃないのか。実は墓ってピラミッドの地下にある、まだ未発見の玄室じゃないのか?…
かつて学者さんは、ピラミッドの「見えてる部分」にだけ気をひかれて、ピラミッドの「石積みの中」に、王の墓を探そうとしてました。90年代の始め頃までは、頑張ってピラミッド内に壁に穴ぶちあけたり、シャフトに小型カメラ突っ込んだり。
19世紀には、ハワード・ヴァイズが玄室の壁を爆破したりドリル突っ込んだり無茶もしてました(笑)
でも、どうやら最近になって、「あれ? ピラミッド以外の場所からピラミッドに向って延びてる穴があるんですけど」と気がついた模様。その穴の先が何処なのか今のところはまだ分かっていないが、もしその先に墓が見つかったとしたら、ピラミッドの「真下にある遺跡」が王の墓、ということになる。
ここで先走ってはいけない。
「じゃあピラミッドの中に墓はないんじゃないか!」…いえ、違います。その下の穴もピラミッドの一部です。
ピラミッドというのは、地上に見えている三角形の部分だけではなく、地下に隠れている部分も含みます。
と、いうわけで、「ピラミッドは王の墓じゃない」とか散々言い散らかしておいて前後の説明もロクにしないテレビ番組(某TB●のアレとかですね)は、ほんとにどうにかしろよというお話。
穴だらけで誤解を生む粗悪番組に代わって、シロウトですが僭越ながらわたくし、補足させていただきたい。
順を追っていこう。
ついでなので、「ピラミッドは農閑期に作られた」説の誤りについても記載しておく。
・ピラミッド周辺には通年労働者がいた(通年の居住区が見つかっている)
・カレンダー上、ナイルの増水する季節に農閑期は存在しない(辛うじて1ヶ月程度はあるかも、くらい)
農民が一時的に補助労働力として参加していた可能性があるが、メインの労働力ではない。
これも根拠のない、にもかかわらず何故か繰り返し流布されてしまった説と言える…。
詳細はこっちで↓
「ピラミッドは農閑期に農民を働かせて作った」説→調べたら農閑期なんてありませんでした。