サイトTOP別館TOPコンテンツTOP

第三中間期 第22王朝

オソルコン2世

Osorkon U

在位年代;前872-842年頃
誕生名;オセルケン
即位名;ウセルマアトラー・セテプエンラー Userma'atre' Setepenamun
(力強き太陽神ラーの真理、ラー神に選ばれしもの)
治世;31年



王朝の首都;タニス 
埋葬地;タニス 
出身地;タニス

家族構成; 父 タケロト1世

タニスとテーベの双方に権力者がいる、という二重構造が悪い方向に働いた時代。
タケロト1世のあとを継いで即位したオソルコン2世だったが、その頃、テーベのアメン大神官の地位はシェションク2世の息子ホルスィエセが継いでいた。そのホルスィエセが勝手に王名を名乗って独立。一時的に、テーベに大司祭国家が復活してしまう。
オソルコン2世の父タケロト1世は、シェションク2世の父オソルコン1世の息子なので二人はイトコ同士と考えられているが、このあたりから、血縁者内での権力争いが表面化してきていた。

家計図にすると分かりやすいが、オソルコン1世とシェションク2世が同時に亡くなってしまい、四代目からの王は側室の生んだ子たちの家系に移っているのである。正室の血筋と側室の血筋の間の争いでもある。ホルスィエセはテーベと西部オアシスを支配し10年ほどで死亡して野望費えるが、逆に10年野放しにされていたということは、手出しが難しかったことも意味している。この争いは、オソルコン2世の息子シェションク3世の時代も続く。




ホルスィエセの死亡後は、テーベの大神官の地位はオソルコン2世の息子ニムロトが継いで、国家は安定を取り戻した。
この時代、オソルコン2世はブバスティスにバステト女神の神殿を建立、ほかにもレオントポリス、タニス、テーベ、メンフィスでも建築を行っている。


前へ     時代の索引へ     次へ