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初期王朝時代 第1王朝

セメルケト

Semer-khet

在位年代;前2763-2757年頃
ホルス名;セメルケト(思慮深い友/思いやりのある友)
マネトー名;セメンピセス Semempses
治世;9年

王朝の首都;メンフィス
埋葬地;アビドスU
家族構成;不明

パレルモ石(5世紀編纂)の王名表には名前が出てくるのに、サッカラ王名表(新王国後期)には出て来ない王。

「サッカラ王名表」に名前を記録されていないことや、セメルケトの治世に多くの禍があったとされることから、この人は王位の簒奪者だったのではないか?という説がある。
先代、アネジブ王の時代に、どうやら王家間の争いがあったらしいこと、セメルケト王がアネジブ王の記録を抹消しようとしていたことを考え合わせると、この説には信憑性がある。

ただし彼自身の墓は大きく、立派なものである。
殉死者の埋葬は67人。

【治世年について】
前の代と思われるアネジブ王と同じく、この王もソースによって治世年が大きく変わる。
トリノ・パピルスでの治世年は72年。マネトーが挙げているのは18年。パレルモ石では9年。ただし考古学的な証拠では治世9年目までしか確認されておらず、最も時代の古いパレルモ・ストーンが正しく、9年目の途中で没したとする説が現在有力である。


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