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ケルトの中のスコットランド

【注釈 というか残念なお知らせ】2017/6/2追記

サイトTOPに記載したとおり、ここ最近の説により「島のケルトはそもそも本来の"ケルト"とは別モノなのでは」という説が主となりつつあります。
このページは2004年に記載したものですが、現時点での最新情報に従って修正を追加しています。このサイトでは「島のケルトは大陸のケルトとは別モノ」であり、ケルト以外の名で呼ぶべきという説に従います。現時点では現在ケルト語と呼ばれているものが本当にケルト人の喋った言語かどうかも微妙です。
ただし説によっては「島のケルトもケルト文化圏の一部(ケルト人は移住していなかったけどケルト文化は受け継がれている」という主張もあり、その場合は「大陸とは別だがケルト文化圏だ」と考える人もいると思います。
まぁそこはそれであれで何で、説が固まってより多くの学者の同意を得られるようになるまではさらに十年単位でかかる話なので、あくまで「現時点で」自分が理解出来た範囲で、採用した説に従って記載します。


とりあえずは、「スコットランドって何処ですか」の答えから。
自前地図なのでヘタなのは勘弁してくらはい。
スコッチ・ウィスキーで知られるスコットランド、意外と場所は知られていない。「地図見たけどなかったよー」…簡易地図ならぜんぶ一緒くたで「イギリス」と書いてある場合もある。右図を参照。

ちなみに、スコットランドで連想される「バグパイプ」「タータンチェックのスカート」だが、実はバグパイブは中東起源で、ヨーロッパでは廃れたものがスコットランドの高地にだけ残ったというもの、タータンチェックのスカートは産業革命後、工場で大量生産されて広まったものだったりする。どちらもスコットランド特有のものではない。

では、スコットランドには何があるのか?
エディンバラ宮殿と、ネッシーで有名なネス湖がある。
そう、この二つは従来、「イギリスにある」と言われてきたものだが、実は”イングランド”ではなく”スコットランド”にあるのだ。

今日、一般に「英国」と言われているものの正しい名称は「グレート・ブリテン及び
北アイルランド連合王国
」(United Kingdom of
Great Britain and Northern Ireland)。一つの国として見るときには、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドを一まとめにする。
(それぞれの地域に、独立に失敗した過去とか、今でも独立しようとしているといった動きがあって、一まとめだけれど磐石な一枚岩ではない。)

つまりイングランドとイギリスは違う。イギリス史=ブリテン島の歴史ではない。
後からやって来てイングランドに住んだ支配階層と、それ以前から住んでいたがウェールズやスコットランドなど端っこに追いやられた被支配階層との間のなんとなーく仲の悪い対立の理由、これでちょびっと理解できるだろうか。

参照>英国政府観光省


【ゲール語(ゴイデル語)と「島のケルト」について】

「オシァン」はもともと、ゲール語で歌われたとされる。
ゲール語とは、スコットランドの高地に住むゲール人(An Gàidheal)たちの間で使われていた、古い言葉である。
ゲール語の起源はよく判っていないが、原ケルト語と呼ばれるものから派生した年代はイベリア・ケルトやレポント語とほぼ同時期の紀元前だろうと推測されている。つまりブリテン島やアイルランドといった島嶼部の他のケルト語であるブレイス語、エール語などとは差異が大きい。ケルト諸語の派生については現在のところあまり整理されているとは言いがたい。冒頭に記載したように島嶼部の「島のケルト」がケルトの影響は受けているもののケルト人とは関係なかったというのがほぼ確定されるにあたり、「そもそもケルト人はケルト語を話していたのか?」という根本的な疑問にも繋がっている。(隣接して暮らしていたゲルマン民族と同じゲルマン諸語を話していたのではないかという説もある。)

どうしてこんな面倒くさいことになったのかというと、かつては「ケルト語を話している地域=ケルト人の子孫が住んでいる地域」と考えられていたからだ。元々の住民のところにローマに終われたケルト人が移住してきて混血し、言語がケルト語になった…というのが古い説である。しかし近年可能になった遺伝子調査の結果では、ブリテン島の住人も、アイルランドの住人も、氷河期の終わりに島が大陸と陸続きだった頃に移住してきた人々の子孫が大半で、特にアイルランドはほぼイベリア半島からの移住者であることが判明している。もしケルト語が、大陸の本来のケルト人の言語であるとするならば、ケルト語はどこかのタイミングでケルト文化とともに島に渡ってきて広まったことになり、言語と民族が必ずしも一致するとは限らないという例になる。
ただし、もし本来のケルト人である「大陸のケルト」の話していた言葉が現在言われるケルト語ではなかった場合、ケルト語と言われているものもまた「ケルト」意外の名前で呼ぶ必要が出てくるかもしれない。そこは今後の研究次第である。

参考までに最初にページを作った2004年時点での情報を以下に残しておく。

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ケルト語は大きく二種類に大別され、ウェールズやコーンウォールの言葉はPケルト語、ゲール語やアイルランド語はQケルト語と呼ばれる。これは、元になっているインド・ヨーロッパ語ではqと発音する音を、それぞれp、q(のちにkと変化)と発音することから分類された。Qケルト語では、発音自体はkだが、文字で書くときはcになる。

<例>元 qenn(頭) ⇒Pケルト penn/Qケルト cenn

なお、レポント語や、スペインに移住した人々のヒスパノ・ケルトなど、他の言葉と交じり合って絶えてしまった言葉については、それぞれ、推測でどちらのグループに近かったかが論じられている。

図がでかすぎるかも。ごめんよー

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ブリテン島やアイルランドにケルト人の移住した痕跡がほぼなく、いたとしてもごく少数で痕跡が残らない程度だったことが明らかになった現在、ケルト語がどのように、いつ受容されたのかについて明確な定説は存在せず、やや混乱をきたしている。「大陸のケルト」のケルト語、「島のケルト」のケルト語と分ける部分については変更はないと思われるが、類度する他の言語、たとえばゲルマン語などとの関連性は今後変更される可能性がある。

ただ、どんな起源であれゲール語が、とても美しい流れを持った言葉なのは間違いない。
スコットランドの幻想作家(かなりオカルト的だが)、フィオナ・マクラウドによる「英国人は風までも踏みつけにすることは出来ない」という言葉は、イギリスの統治下におけるゲール語弾圧に対し、「それでもゲール語で歌われる記憶を根絶やしには出来ない」という意志を表したものだろう。





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