オシァン-Oisein

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オシァンを巡る様々な評価


「オシァン」は、出版されるや否や激しい論争を巻き起こし、方々から「偽書だ」「マクファソンの創作だ」と非難が上がった、曰くつきの作品である。かなり多くの本で手厳しく批判、あるいは論ずることさえなく一蹴されている。
その作品を「これはスコットランドの古歌だ」として紹介するのだから、敢えて一般論に挑戦しているともいえるわけだが、その一般論自体、私には、作られたものの匂いがしてならない。

何より、オシァンを批判する意見に納得出来なかった。どれも的を外している気がする。…と、いうより、そもそも批判する以前に避けようとしているきらいが強く、それだけに突っついてみたい衝動にかられた。

様々な見方があるだろうが、作品としての価値は高く、そこらのチャチな偽書とはレベルが違うものなので、わずらわしい学派や学会に関係ない一般読者には、じっくり考えてみてほしい。
ただ批判意見だけを受け入れて終わって欲しくない。そう思う。



以下は、各界著名人によるオシァン評価。
鬼のようにコキ下ろす人、慎重に評価する人、好意的に迎える人、様々です。(ちなみに岩波文庫の和訳をされた中村先生は極めて好意的)

ケルトの神話 女神と英雄と妖精と 井村君江/ちくま書房 −P230

オシーンは勇敢でりりしい騎士になったばかりでなく、詩人としてもすぐれ、フィアナ騎士団の物語も、多くはオシーンの作と伝えられており、後に聖パトリックの前に姿を現したオシーンが語ったものともいわれています。スコットランドの詩人マクファーソンが、十八世紀に「オシアン物語」を書き、オシアンの名で世界に知られるようになりました。

オシァンはマクファソンによる創作とされていますが、好意的。
ちなみにこの文庫では、アイルランド版のオシァンエピソードが読めますが、マクファソンが書いたものと全然違う内容です。

スコットランドの歴史 リチャード・キレーン/彩流社 −P165

ジェイムズ・マクファーソンという悲喜劇を演じた人物は、古代ケルトの詩オシアン(作品の大半は彼自身の創作であった)の翻訳を達成したと述べたペテン師であり、スコットランド啓蒙という熱狂的で、活力に満ちた環境の落とし子であった。

ちなみに巻末のデータには、リチャード・キレーン氏はアイルランド生まれの歴史家であると書かれています。
オシァン自体の文学的価値に全く触れず、ペテン師呼ばわりというあたりが、鬼です。^^;

(※なお、これについては、オシァンの持つ「歴史的資料」としての価値は低いので歴史家からすると批判対象になるかもしれない。というご意見がありました。神話・伝承としてみるならば「文学的価値」のほうが優先されると思うので、その視点の違いかもしれません。)

ケルト事典 ベルンハルト・マイヤー/創元社 −P223

マクファースンは、さまざまなケルトの伝説群から、名前や出来事やモチーフを頼りに大部分を自分で編集したことが今日ではわかっている。同じく、1807年に出版されたこの詩のスコットランド・ゲール語テキストは、マクファースンが主張しているような原典ではなく、逆に英語の作品を後から翻訳したものである。マクファースンは素材を情感豊かに描くことによって当時の読者の趣味に迎えられ、《オシアン作品群》は多くの同時代人に―たとえ不完全であっても―真のケルト語詩の翻訳と見なされた。

ベルンハルト・マイヤーはドイツ人です。 ”さまざまなケルトの伝説群から、名前や出来事やモチーフを頼りに大部分を自分で編集した”というのは、正確な評価だと思う。

ちなみに1807年に出されたゲール語テキストとは、「オシァンはあんたの創作だろ? 元にしたものがあるってんなら出してみろ!」とせっつかれて出したもののこと。読みにくいゲール語の部分をかなり改訂したということなので、揚げ足を取って「それみろ贋作だ」と騒ぎ立てられた可能性が無くもないんで、話がややこしいですよね。
口伝から書き起こした部分は、そもそも原典がない可能性もあり、英語からの逆訳になってしまったのかもしれない。

ケルトの歴史地図  ジョン・ヘイウッド/東京書籍 −P132

ケルトマニアの最も影響が大きかった作品は、1760〜63年にジェームズ・マクファーソンが出版した古代のバード(吟遊詩人)オシァンの詩の「翻訳」だった。この作品はまもなく偽作であると訴えられたが、多くの人々に歓迎され、ゲーテやナポレオンもその愛読者となった。

ジョン・ヘイウッドは英国人。にしては中間的な評価ですが、やはり記述は非常に短く、偽物意見とも本物意見とも取れる書き方になっています。

ケルト 生と死の変容 −「移り動くことと振り返ること−ケルト遠望(2)」野村守英/中央大学出版部 −P329

もしかしたら偽書かもしれない−−というよりも偽書である確率が極めて高い−−一冊の本があります。スコットランドの去にし世の英雄の戦闘のさまざまなあり方を叙事詩風に語った本、『オシアン』がそれです。その中で、いくさの際に死者となった者を”石積み”に葬るという記述がしばしばなされています。今、僕は『オシアン』の偽書問題は無視することにします。というのも、偽書であったとしても、あったはずの古代に関して想像された世界がここに描かれている、と考えればいいからです。

オシァンについて、ケルト関係の学者が語るのは、これが限界なのかもしれません。偽書である、と断定はしないものの、本物であるともいえないジレンマが感じられますね。
しかし作品としては素晴らしいものなので、”たとえ偽書だとしても”…その先まで語っていただけたのが嬉しいです。




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