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2016/12/11 LastUpdate

おまけ2:マヤとアステカとインカの違い/地域・時代・内容


意外と知らない人も多い中南米の文明「マヤ」「インカ」「アステカ」について、とりあえずは簡単に違いを説明しておこうと思う。
「生贄」「太陽信仰」「黄金」といったイメージで一括りにされているが全然違います。地域も時代も中身違います。混ぜるな危険。

マヤ【中米】 アステカ【中米】 インカ【南米】
中心地域 グァテマラ、ベリーズ、ホンジュラス メキシコ ペルー、チリ、ボリビア
主要言語 マヤ諸語
※統一された言語なし
ナワトル語 ケチュア語
政体 都市国家群
時代により有力都市が異なる
テノチティトランを中心とした一個の政体
周辺諸国を従えているため
「帝国」と呼ばれることもある
クスコを中心とした一個の政体
ローマ同様、街道で属領を繋いでいたことから
「帝国」と呼ばれることもある
文字 あり(マヤ文字) あり(マヤ文字から受け継ぐ) なし(キープという結び目を使用)
繁栄時期 2世紀~12世紀あたり 13世紀~16世紀 13世紀~16世紀
主食 トウモロコシ トウモロコシ マメ、カボチャ 高地はイモ



まず大きな違いとして、

マヤ、アステカ→中米の文化の一つ 中米(メソアメリカ)文明
インカ→
南米の文化の一つ アンデス文明

ということが挙げられる。異なる文明圏に所属している、ということを覚えておこう。(以下の図の出典元は「古代メソアメリカ・アンデス文明への誘い」風媒社)

図
なお、「マヤ文明」「インカ文明」などと呼ばれることが多いが、これは実際はあまり正しくない。
マヤ・アステカはメソアメリカ文明圏の中の一部の地域・時代の文化、インカはアンデス文明圏の一部の地域・時代の一部の文化、という位置づけだ。日本でいうと「日本文化の中の江戸時代」みたいなノリである。

文字があるのはメソアメリカ文明圏のみ。アンデス文明には文字はない。
また、同じメソアメリカの中でも、マヤ・アステカではマヤのほうが古い。マヤが衰退したのち現在のメキシコあたりに台頭してきたのがアステカ帝国で、スペイン人が侵略にやってきたときに実際にスペイン人と対峙したのがアステカだ。
16世紀、アステカはエルナン・コルテスを中心としたスペイン人によって制服され終焉を迎える。肌の白いスペイン人を、海の彼方に去ったケツァルコアトル神と勘違いして戦意喪失したとも言われるが、そのあたりは定かではない。

一方、インカは現在のペルーを中心としたアンデス山脈に栄えた。非常に高い山の上の都市が特徴的な文明だ。
インカはピサロを中心としたスペイン人に攻め滅ぼされることになるが、スペイン人が白い神の再来などとは思っていなかった。戦う気満々だったが、ちょうど国土が内乱状態にあったので虚を突かれて王が捕えられた。王は命乞いをし、部屋一杯の黄金を差し出すといったが、結局殺されてしまう。

ただし両者とも、彼らの子孫は全滅したわけではなく、現代もそれなりに生き残り、文化の一部も引き継がれている。「帝国」は滅びたが、町や村の単位では存続しているのだ。マヤやアステカやインカを「滅びた謎の文明」とか言うと、そっち方面の専門家にめっちゃ怒られる(笑)

>>参考
スペイン人の南米開拓時における人口減少の資料その2

※インカの子孫についての本は、邦語だと「インカの末裔と暮らす アンデス・ケロ村物語」などがある。


尚、中米に存在した文明はマヤとアステカだけではないし、同様に南米に存在した文明もインカだけではない。
ある程度広域を支配し、かつ一定期間栄え続けた文明はいくつも存在し、たとえばマヤの前身にはトルテカ文明、インカの前身にはチムーやシカン、シパンといった文明が知られている。多数ある文明のうち、スペイン人によって記録され、征服された「最後の時代」の文明、という意味で、アステカとインカが取り上げられることが多いのだと思われる。

年表とか他の文化とかは、このへん参照
研究が進むと年表は書き換わっていくので、参考程度に。

●メソアメリカ文明圏に所属する主な文化
アステカ、マヤ、トルテカ、ミシュテカ、サポテカ、オルメカなど


●アンデス文明圏に所属する主な文化
インカ、ナスカ、チムー、チャンカイ、パラカス、チャビン、シカンなと


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【マヤとアステカの違い】

同じメソアメリカ文化圏に所属していて、イメージも似ているのがこの二つ。
判りやすいところで分けると、

 ・マヤ ー 密林の都市文化、ジャングルの中に遺跡がある
 ・アステカ ー 比較的平地に遺跡がある 現在のメキシコシティが首都

とりあえずこれで覚えとくとイメージがつきやすいかな。
ただし細かく見ていくと時代と地域がずれていることが判る。



★マヤこのへん(出典元「マヤ文明を知る事典/東京堂出版」


マヤはユカタン半島中心、どっちかっていうと、南のグァテマラより。この「マヤ地域」というのが少々厄介で、実体が関係を持っている「都市群」で一つの国というわけではないので、実は境界などはあまりはっきりしていない。ちなみに「マヤ」という名前は有名な遺跡名「マヤパン」から来ており、マヤ民族とかマヤ語とかいう一つのまとまったモノがあったわけではない。言語も「マヤ諸語」となっており、方言レベルだが地域によって違いがある。

マヤは紀元後200年あたりから12世紀あたりまでが繁栄していた時代になり、アステカが誕生するのは13世紀になってから。マヤはスペイン人が来る前に既に衰退が始まっているため、直接スペイン人に滅ぼされたわけではない。ただしマヤ人は生き残っていたため、侵略者たちとの間で何度も独立戦争を起こしている。



★アステカこのへん(出典元「アステカ帝国の生贄の祭祀/刀水書房」)


アステカは、メキシコの首都メキシコシティ付近を中心としたメキシコのド真ん中で栄えた。というよりアステカが現在のメキシコの元になったというべきか。ちなみに現在のメキシコ首都・メキシコシティは、かつてのアステカの首都、テノチティトランの上に建てられている。メキシコという国名も、アステカ人がかつて自分たちを呼んだメヒコ、あるいはメシカという言葉から来ている。つまり、アステカ人=現代メキシコ人の一部だと思って構わない、ということだ。(混血は進んでいるが…)

最盛期にスペイン人と接触したため、直接的にスペイン人に滅ぼされた国となる。



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