■アイスランド・サガ −ICELANDIC SAGA |
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荒っぽいことで知られるゲルマン人だが、彼らは意外にも法律というものを重視していた。
ケンカから殺人に及ぶような荒っぽい気性だったからこそ、秩序を保つ上でルールは絶対だったのだろう。裁判も開かれたし、刑罰も決まっていた。しかし、この裁判とは、現代のように「被告」と「原告」がいて、検察が「証拠」をつきつけるようなものではなく、被告と原告の双方が身元のしっかりした証人を連れてくる、というものだった。
しかも、この証人は、多くの場合、事件を目撃した者ではない。たとえば殺人の場合、殺人の現場にいて目撃した者が生きていることは稀で、多くの場合、当事者たちしか真相を知らない。証人として現れるのは、殺害にいたるまでのいきさつ、揉め事の発端を知る者や、殺害される直前の犯人と被害者の行動を知っている者、さらには、そういった事件の経緯に全く関係のない、単なるご近所の人が、「○○はそんな卑怯なことをする男ではない!」などと、法廷に出てくるのである。
科学的な検証など不可能な時代のことだ。法廷における正義は、多数意見が決めたと言っても過言ではない。
また、過去の記録は、人々の口から口へと伝えられるものなので、その過程で変化してしまった場合、もはや真実がどうであったかは、確かめようが無い。
つまるところ、法廷での証人たちの証言は、本人の思い込みや権力・利害のからむもの、またはうわさに因るものなど、現代ではおおよそ証言とは呼べないようなものが多かったのである。
そんな中、キリスト教の伝来と共に、北欧社会にそれまで無かった文字というものが登場した。
サガには、こういった揉め事の経緯や、裁判での記録などが事細かに記されている。時には、無関係とも思われる一族の系譜なども語られるが、これも重要な「証拠」である。
ゲルマン社会では、一族の血のつながりは夫婦の関係よりも優先される。一族の誰かの屈辱は一族全体の屈辱であり、一族の誰かが殺された場合、その復讐は一族すべての果たすべき義務となる。個人間の争いは、同時に、その個人の後ろにある「一族」どうしの争いの物語であるのだ。
口伝えの記憶は変わってしまうかもしれないが、文字は変わらない。人々は、文字による記録を「証明」にしようとしたのではないか。ある一族と別の一族との争い、その争いの結末を、はっきりとした形で後世に残そうとしたのではないか。
だとすれば、残されたサガの量が膨大であることも、全体的に話の流れがとっつきにくいのも、ストーリーに無関係な人の名前まで多く出てくることも、ある程度うなづける。また、サガが文学的に洗練がされていないのは、ゲルマン人の文才が劣っていたわけではなく、サガ自体、もともと「記録」として作られたものだったからとも考えられる。
なお、北欧では、神話などはあまり多く書き残されなかったが、それは、人々にとって「書く必要のないもの」だったからかもしれない。
神々の一族は、人々の一族とは血のつながりが無い。…あっても、一部の王家だけなのだから、神々の争いは、人々にとっては無関係なことだったに違いない。