アイスランド・サガ −ICELANDIC SAGA

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激しく走り回るクールな奴等



  『ユグドラシルの上を駆け回らねばならぬ栗鼠はラタストクという名で、彼は鷲の言葉を上から運んで、下のニーズヘグ(龍)に伝えねばならない。
 四頭の鹿もいて、彼らは首をうしろにまげ、樹の枝から若芽をむしって食べている。ダーインにドヴァリン、ドゥネイルにドゥラスロールがそれだ。
 もっと多くの蛇がユグドラシルの下にいるが、馬鹿者はたれもそのことを忘れている。…』
−詩のエッダ 「グリームニルの歌」より


 ずっと疑問に思っていたことがある。

 なぜ北欧神話の物語の中には、わけのわからない連中がイッパイいるんだろう。
 神々は人間の姿をしている。それは確かだ。しかし、そのわりに、神々の一員とも思えない動物たちが山のように登場する。
 たとえば、ユグドラシルをかじってるリス(予想;ものすごくデカくて凶暴。スーパーサ○ヤ・リス) 人型はしていないものの、神話に出てくるんだし、コイツら、神に入れてもいいんだろうか。

 「単なる不思議な動物だろう。」と無視しようと思えば無視できそうな気もするんだけど、こいつらって、いちど気になりだすと、何かものすごく気になる。神話の世界に住む怪しい生き物たち。モンスターというと、ちょっと違う気がする。
 ふと気がついてみれば、北欧神話(エッダ)には、ドラゴンや空を駆ける馬といった有名な生き物以外にも、不可思議なアニマルたちに満ちている…。

 と、いうわけで、ちょこっとコイツらについて書いてみたくなった。

 語ってみたい不思議アニマルは沢山いるが、中でも、ユグドラシルの周りをひたすらグルグルと走り回りひたすらユグドラシルを食いつづける、謎のシカなんて最高だ。
 こいつらが食っても食っても、ユグドラは新芽を噴出すという。
 死と再生。その鹿はあたかも自然摂理の如く、風景に常に変化をもたらすべく存在する。いてもいなくても良さそうなのに、何故か居る。不可思議だ。

 さらに、このクールに走る奴等の頭上には、ユグドラのてっぺんで太陽の光をサンサンと浴びる金のニワトリ、その下の枝には天候の采配をする大きな鷹が住み着いている。
 ニワトリにタカとはこれいかに? 恍惚とした表情で空を見上げる風見鶏に、眼孔するどく世界を見渡すニヒルなタカだ。ここは、本当に世界の中心なのか? それとも、神々の動物園なのか。いや…それ以前に、こんなものが住み着いているのに、その近くで平然と暮らしてる神々は、かなりヘンではないのか。もし相手がモンスターの如きものなら、平然とはしていられないはずだ。
 散歩の途中に、動物園から脱走したアライグマに出会うのとはワケが違う。(※実体験)

 神々がその存在を認めていた、ということは、この摩訶不思議な動物たちも、世界にとって必要不可欠な、神と同列の存在だったからではないか。
 だってそうだろう、普通の動物にしちゃぁ動物離れしすぎている。リスや鹿ったって、そこらへんでのほほんと生きてるのとは違って、ブースターかけて襲い掛かってきそうなイメージがあるじゃないか。野良ゾイドみたいな感じっスよ?(ネタが)
 もし邪魔なら排除したはずなのに、敢えてそのままおいといた。と、いうことは、必要、もしくは手が出せないほど危険なアニマルズだったからではないか。
 ってことは、どっちにしてもいちおう神に入るんじゃないだろうか。


 人格を持たなくても、たとえ動物と同じ知能しかもたなくても、人智を越えたる存在だ、という意味では、たとえ走り回っているだけの動物に見えても、神と呼ぶしかない。もっとも、それは、怪物と神とのちょうど境い目に位置するが如き神という意味だが。
 人は、自分の役にたつものを神と呼んで崇め、害なすものを怪物と呼んで退治する。その二者に、本質的な違いなど存在しない。役にたつわけではないが、害も成さないこれらの生き物たちは、厳密には、そのどちらでもない。
 しかし、神とは、たぶん本来はそういう存在のはずだ。人間にサービスするためにいてくれる、人間専用の神なんてものは、よほど後の時代にならないと登場しない。

 かつて北欧は、動物崇拝圏だったという。
 もっとも古い信仰は、自然に対する畏怖から生まれる自然崇拝だ。それは、どこの民族でも変わらない。だから、人格を持ったオーディンやトールといった神々が生まれる以前、人々は、純粋に自然界にある者を神として崇めていた時代があった、というのは、ごく自然な予想なのだ。
 岩であったり、雷であったり、…あるいは、ユグドラシルのようなトネリコの大木であったり。
 原初の神々とは、そのような、全世界に共通する自然の力の化身であっただろう。

 「エッダ」の中に登場する不可思議な獣たち、それはおそらく、超太古の、忘れ去られた最も原始的な神の影なんじゃないだろうか。
 人間のことなんか気にもかけちゃいない、壮大で、自分勝手で、気まぐれな自然の摂理の化身というやつだ。だから、誰も逆らえない。自然を支配することなど、決して出来はしない。だから放置される。
 たつまきが突然発生してグルグル回っていても、誰も文句はつけないし、止めようとは思わないだろう?
 太陽が落ちていくのを止めることは出来ないし、ムリヤリ引っ張って早く昇らせることは出来ないだろう?
 不思議な動物たちとは、そういうものと同じだったんじゃないかな…。

 こう考えてみると、「エッダ」の中では冒頭部分でちょろりと語られるに過ぎない単なる動物のことも、マイナーながらにちょっと見直してみようかなって気にもなるじゃないか。

 疲れを知らぬシカたちよ。
 奴等は、今日もユグドラシルの根元を走り回っている…。



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