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北欧神話で、運命を定める女神たちといえば、ノルン。ノルンとはウルド・スクルド・ベルダンディの三人である――
とは、ゲームや漫画の設定でよく出てくる話だが、実際は、ちょっと違う。架空の設定としてのノルンはともかくとして、北欧神話でのノルンがどうなっているのかについて、まとめてみた。
まず、「ノルン」という言葉は単数形だ。複数になると「ノルニル」nornar。運命の女神は、一人ではなく複数いるのだから、まとめて呼ぶとすれば「ノルニル」が正しいということになるだろう。本によって、カタカナ表記が違うのは、このためだ。
カタカナ表記といえば、先に挙げた三人も本によってカナ表記が違っているはずだが、これは、発音をどうカナに転写するかの違いだけではなく、英語(現代語)を基準としているか、ノルド語(原語)を基準としているかによるところも大きい。
まとめると、↓こうなる。
英語 | ノルド語 |
ウルド Urd | ウルズ(ル)Urðr (Urð になっている場合も) |
スクルド Skuld | スクルド Skuld (Sculd になっている場合も) |
ヴェルダンディ Verdandi | ヴェルザンディ Verðandi |
見て分かるとおり、彼女たちの名前は、日本語だからこそリズミカルに聞こえるのであって、綴りでは、韻を踏んでいない。
最初から三人セットでうまれた存在であれば、たとえば、オーディンと兄弟三人の名前、ヴィーリ・ヴェー・ヴォーダンのように、音が揃っているのが普通である。
つまり、彼女たちは元々は、「運命の三女神」として生まれた存在ではない。
「古エッダ」の中で最も有名な詩、「巫女の予言」にある、この記述が根拠となって、三人セットであると思われているだけなのだ…
この樹の下にある海から三人の物識りの娘たちがやってくる。 一人の名はウルズ、もう一人の名はヴェルザンディ――二人めは木片に彫った――三人めの名はスクルドという。 彼女たちは、人の子らに、運命を定め、人生を取り決め、運命を告げる。 (新潮社版エッダより/谷口訳抜粋) |
ギリシア神話の運命の三女神(モイライ)たちに馴染んだ状態で、ここの部分を読んだとすると、なるほど北欧神話にも運命の三女神がいるんだ、と単純に理解してしまうかもしれない。実際、そのようにして、後世の人々は三女神のイメージを創っていったものと思う。
ただ残念ながら、北欧神話において「運命の女神」はたった三人ではなかった。
たまたま三人がそこに抜き出されただけで、たとえばオーディンの妻フリッグ、フレイの妹フレイアなどアース神の女神たちもまた、「人の運命を定める者」と呼ばれる。
「ギュルヴィたぶらかし」では、実に明快に、こう語られている。
女神たちは生まれがまちまちで、同じ一族のものではない。 アース神族の者もいれば、妖精もいるし、またドヴァリン(地下に住む小人)の娘もいる (新潮社版エッダより/谷口訳抜粋) |
そして、スノリエッダに属する「ギュルヴィたぶらかし」では、こうも付け足されている。
生まれの良い善良なノルニルはよい運命を下すのだが、悪い運命に出会う人は悪いノルニルのせいなのだ。 |
つまり北欧神話の世界における運命の女神、ノルニルというのは、運命を定める特別な力を持った女性たちの総称なのだ。
続いて、ウルズ・スクルド・ベルダンディの名前について言われる、それぞれが「過去」「現在」「未来」を意味する――と、いう、話について。
これも一般常識のように言われ続けているが、実際そんな簡単な話ではない。
具体的には、↓こうなっている。
■ウルズ Urðr
新潮社版「エッダ」の訳者・谷口氏の説では、元来「編む者=織姫」の意味だった言葉が、運命や宿命、死といった意味を持つようになった、となっている。運命は”織り成されるもの”という解釈だ。
ちなみに、古ノルド語でのウルズという言葉自体は、「生じたこと、起こってしまったこと」を意味する。
起こってしまったこと、というのは、戦士の場合、『死』を指す。古代ゲルマンの社会では、どんな勇敢な戦士もいつかは死を迎えるものであり、多くの英雄たちが、誇りある死へと突き進んでいく。つまり人生の終着だ。
だからウルズの名の意味を一言で言うならば、「過去」などという曖昧なものではなく、ずばり「死」か、もしくは「名誉ある死」とでも、と言うべきだと思う。
■ヴェルザンディ Verðandi
同じく谷口氏によれば、”生成するもの”という意味。
言葉自体が「起きつつあること」を指すことから、現在という解釈も出来なくない。
ウルズとヴェルザンディは、両方とも「なる」という意味の動詞から発生した名前で、ウルズは過去分詞形(なされた)、ヴェルザンディは現在分詞形(なっている)が語源だという説があり、これを採用すると、最初に「ウルズ」という存在があり、そこから派生した分身とも言うべき「名前=存在」が、ヴェルザンディなのだ、とも解釈できる。
ちなみに、ベルザンディという名前は、この詩以前に名前を挙げられたことがない。さほど古い存在ではないか、そして重要ではなかったと思われる。このことも、「ウルズとヴェルザンディは実は同一人物」説の裏づけとなっている。
■スクルド Sculd
同じく谷口氏によれば、”義務、責務、債務”などを意味するという。
義務や責務は「なされるべき」ことであることから、「これから成されるべきこと」=未来、という解釈も可能だろう。
ただ名前の意味としては、未来というより「為すべき義務」と言ったほうがいい気がする。
グリムは、スクルドという言葉はskula(shall)の過去分詞形からでは? とも、言っていたらしい。
いずれにしても、言葉の意味やニュアンス自体が研究対象となっている古い時代の名前だし、ここまでの説が正しいとは言い切れない。「過去・現在・未来」と曲解することも可能だが、そもそも古代のゲルマン社会にそのような時間の三分割概念は無いため、最初からそれを想定してつけられた名前でないことは、確実だ。
最後に、この三人の女神たちの素性について、少々考察を加えてみたい。
スクルドは元々、オーディンとともに戦場に赴く「戦乙女」である。
「スノリのエッダ」36節で、戦乙女たちの名前が列挙されていく中に、このような記述がある。
これらはヴァルキューレと呼ばれている。オーディンが彼らをすべての戦につかわし、彼らは人々の死の色を見てとり、勝敗を決めるのだ。グズとロタと、スクルドという運命の女神のいちばん末の者が、たえず馬にまたがって戦死者をえらび、戦いの決着をつけるのだ。 |
ちなみにウルズは「運命の女神の中でいちばん年長」と、されている。そしてスクルドが年少なので、ベルザンディが真ん中だろう…と、いう説になったのだ。ただ、最初に述べたように、運命の女神は多数おり、血の繋がりが無い者もいるため、彼女たちが「姉妹」なのかどうかは分からず、もちろん「三人で姉妹」なのかどうかも、はっきりしない。場合によっては九人くらい想定されていて、その中の三人だったかもしれないのだ。
三人の中で、馬を駆って、空を翔るのはスクルドだけで、あとの二人は戦乙女とは呼ばれない。
戦乙女とは、オーディンの尖兵として戦場を駆け、戦士たちに勝利(という運命)、または敗北(と戦死)を与える存在だから、運命の女神と呼んで差し支えない。
戦死はウルズを意味する。では勝利は? …いずれ来るであろう戦死への過程だが、まだそこへは至らない。死は起きつつあるが、まだ過去にはなっていない。したがってヴェルザンディを意味すると思われる。戦いは戦士にとって果たすべき義務、すなわちスクルドだ。
とすると、ウルズ・ヴェルザンディ・スクルドの三人 というのは、ゲルマン戦士の生涯における理想的な過程…すなわち「戦う義務」⇒「勝利」⇒「戦死」 を表すために組み合わされたものではないだろうか。
なお、最初に挙げた「巫女の予言」については、こんな異訳も存在する。
乙女が三人やってくる 樹のもとにある海から、 一人はウルズと呼ばれ、 二人目はヴェルザンディ、 ―彼女らは板切れに印を施した― スクルドが三人目、 彼女たちは法をさだめた、 ひとびとの運命を、 彼女たちは人の子らに 生涯を選り定めた。 (東海大学出版会「巫女の予言」/シーグルズル・ノルダル/菅原訳抜粋) |
原文テキストが微妙に違う。どうしてこういう訳になったのかというと、大元の「巫女の予言」という原文が複数あって、しかも内容が少しずつ違っているからで、どれがそもそもの元だったのか分からないからである。
こちらの解釈によれば、板切れに刻むのは二人目のヴェルザンディではなく三人すべてになっている。刻むのはルーン文字ではなく「印(占いのための刻み目)」だとされる。女神たちは占いで運命を定める、いわば巫女のような役割と思われていたのかもしれない。
また、どちらの訳でも、三人は「海から」やってくるとなっているが、これは泉または湖という解釈も出来る。樹とはユグドラシル、古代北欧の世界を支える大樹だ。
この樹の下にはオーディンが飲んだ知恵の水を沸き立たせるミーミルの泉があるはずで、その泉と、三人のやってくる元が同じとすれば、運命の女神たちはアース神族にない知恵をもつ「知恵者」だったのだ、…と、いえるかもしれない。