■アイスランド・サガ −ICELANDIC SAGA |
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『「エッダ」は、アイスランドで書かれた。
この本に収録された物語は、一部は故国ノルウェーで発祥し、一部はアイスランドにおいて発祥したようである…。』
これは、よく 北欧神話の資料本や、サイトに書かれていることである。
ふうん、そうなんだ、…と、簡単に流していけない。ここには実に興味深い事実が含まれている。それは、「一部はアイスランドで発祥した」という記述だ。
アイスランド、つまり、移住の地で新たにつくられた神話があったということは…
その今現在知られている神話のうちいくばくかは、本国・ノルウェーには存在しない神話だったのではないか?
アイスランドとは、とても寒い国だという。
気温の問題だけではない。風や、風景や、その他いろいろな要因があって「寒い」のだろう。しかも、そんな寒さとは対照的に、活発に活動する火山がある。これが、「ニブルヘイムとムスペルヘイム、まさに神話の世界の対立そのままの情景」が広がっている、と、表現される由縁だ。
その上、ここには氷河の解けた川が濁流となって流れ、それによって削られた奇怪な形の岩が並び立ち、滝が深い大地の裂け目に飲み込まれ、そこには牛が放牧されている…。
この情景は、まさに、神話冒頭部の「世界のはじまり」そのものなのだ。
奇怪な形の岩は、牛が岩をなめているうちに人の形が現われてきた神話を思わせる。大地の裂け目に流れ込む滝も、濁流となって流れる何本もの川も、創世神話にそのまま登場している。
スカンジナヴィア半島に、このような情景はあるのだろうか。
無かったとしたら、あの、よく知られた神話の冒頭部分は、アイスランドで創られたものなのではないのか…?
創世神話と、それに続く物語は、神話の世界観に枠組みを与える重要な場面だ。その部分で人々は、自分たちの世界が持つ「業」のようなものを知る。世界はだれがつくったのか、何からできたのか。自分たちが立つ、この大地の意味するものは何なのか。
エジプト人は、原初の水より生まれた世界を想定し、自分たちは神の体の中に住んでいると信じていた。ギリシア人は、すべては母なる女神から生まれ、大地は平らで円盤状だと信じていた。ゲルマン人は、原初の巨人の体から世界が創られたと考えた。
---しかし、そもそものはじまりである「霜と火」「寒と暖」の対立がアイスランドで培われた観念であったとしたら、他の諸民族は、そのような創世神話を持たなかったことにならないだろうか。
たとえばゴート人などは、移動前もそれほど寒くない地域に住んでいたのだから、「ニブルヘイムとムスペルヘイム」を想定することは、不可能だったとも考えられる。
ノルウェー以外の地域でのゲルマン民族の神話における「創世」神話がどうなっていたのか。
それを判断できる材料は、私の手元にはない。世界は本当に巨人殺しによってつくられたのか。本当にすべてのゲルマン人が、「エッダ」内に語られるような神話の世界観を持っていたのか。
北欧神話にまとわりつくイメージの大半は、氷の支配する極寒の世界と、火の支配する遠方の世界に帰属する。
氷はラップランドか。火は南方の、たとえばエジプトのような国々のことか?
しかし、それがアイスランド特有のものだったとしたら、「北欧神話」は、実は「アイスランド神話」になってしまうのではないか?
巨人スルトさえアイスランドの火山イメージから生まれたかもしれない。
と、いうことは、スルトが攻め込んで来て世界が燃え上がるラグナロク、神々の世界の終焉もまた、アイスランドで形成された思想だったかもしれない。終焉と再生の神話は北欧神話の代名詞のように出てくるわけだが、これが本来は存在しない思想だったとしたら、神話の世界のイメージはがらりと変わる。
たとえるなら、「ホルスとセトの争い」エピソードの存在しないエジプト神話。
冒頭の些細な事実は、あるいは、根本的でとんでもなく重大な問いかけに繋がっているの可能性がある。「北欧神話の世界観は、いつごろ、どこで、どのようにして生まれたのか」。そもそも、この世界観は統一されたものなのか? それとも、一部の人だけが信じていたものなのか? 等等。
あんまりネタが無いので、結論まで続けられなかったりする^^;