アイスランド・サガ −ICELANDIC SAGA

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古き神々とキリスト・1

エイヴァンド・キンリヴァの殉教



 殉教、と言うとキリスト教徒のようだが、エイヴァンドは古き神々側の人間である。
 時はオーラーヴ・トリュグヴェソン王の御世。10世紀後半のことである。これより先、語りはゲルマンの人々自身の手による文章からの翻訳をもとにしている。


 ……白きキリストが北欧の地にやって来たとき、彼はその地にあった全ての神々の栄光を奪い、神々を巨人たちと同じみじめなものとして扱った。
 キリストは栄光好きな神で、何者も、己に勝る栄誉を有することを許さなかった。そうでなくとも、ささやかに労りを持って語られることすら許せなかった。と、いうのは、天地を創造し、悪魔と戦って人間に救いと天国をもたらしたのは彼であり、彼以外の何者も、神として崇められることが許せなかったからである。
 もちろん彼も「神」ではなく、神の息子であったはずなのだが――。

 彼は、自己の栄誉を高めることにひどく熱心で、己の敵を死後まで追及して、燃える地獄に投げ込んだが、そこは、誓いを破ったり人を暗殺したりした卑劣漢が停留させられる、最もひどいニフルヘイムよりも、七倍も悪い場所だった。神々が男らしく生きて自分の栄誉を維持しようとも、キリストに抗うことは全くの無駄だった。キリスト教の神に栄光を見、キリストの命ずるままに教会に行き、彼の召し使いである牧師がたくみに説く節制と祝日と祈りの命令を守るのでなければ、その者は悪魔の力に委ねられるからである。
 こんな力を持つ神に対して、泰然と立つことの出来る者は多くはいなかった――まして彼が、どんな神や女神たちよりも確実に勝利する、天使の群れを持つのだと聞いては。

 また民衆は、オーラーヴ・トリュグヴェソンや聖オーラーヴのような、キリストを崇めた大王たちが大いなる勝利を収めたことも知っていた。キリストに帰依した王たちは、平和につけ戦につけ、彼から幸運を得ていた。
 この二人の王はいたく敬虔で、キリスト教の神に献身するあまり、彼らの国のなんぴとたりとも、主にすべての栄光を捧げるのでなければならないと考えていた。古い神々を誹謗することで正しい心を示すのでなければ、容赦はしなかった。そこで彼らは、従わぬ民に洗礼か抹殺かを迫り、あらゆる手段をも辞さなかったのである。…

 …だが、多くの人々にとって、自分たちが最近まで崇めてきた神々を罵倒するのは、決して容易なことではなかった。いくつかの家族は船に乗り、新天地を目指して旅立ったが、中には、祝福を受けてきた神を捨てるよりは、むしろ栄光高められんとしているキリスト教の神の敵となり、彼が与えようとしている拷問を、甘んじて受け止めようとする者たちも現われた。
 そういうキリスト教への反抗者の中に、エイヴァンド・キンリヴァという男がいた。

 動乱期にあって、オーラーヴ・トリュグヴェソンの友人であったエイヴァンドは、決して王の友情をもった洗礼の勧めに応じなかった。王は彼に、ひどく残酷な、大きな贈り物をした。彼を捕らえさせ、最後には、「死」と「拷問」を持って脅かしたのである。
 エイヴァンドは、断固として「否」をもって答えた。
 すると王は、一枚の、真っ赤に焼けた炭火を取って来させて、これを彼の腹の上に置いたので、腹は裂けて焼け爛れた。
 王は問うた。お前は、死ぬまえにキリストに帰依して、許しを請うてはどうかと。しかし、エイヴァンドは答えた――
 「いや。私は断じて洗礼を受けることは出来ない。まだ子供の頃に両親によって神に捧げられたので私は、生涯を通じてこの神々に献身的に仕えて来た。彼等は私を助け、私を力強い首領としてくれた。それ以上のものを望みはせぬ」
 こう言うと共に、エイヴァンドは事切れた。

 彼は背を向けて逃げることも、命惜しさに神々を捨てることも許さなかった。古き神々の教えのとおり、誇りを持って、死を選んだのである。


 これは歴史の記録であるから、もちろん、オーラーヴ・トリュグヴェソンもエイヴァンドも、実在した人物である。布教のために友人さえも拷問にかけ、その拷問に耐えながら神への信仰を口にして死んでいくエイヴァンド。短い物語であはるが、このサガの中に、苛烈きわめる時代の動乱と、力強いゲルマン精神を見ることが出来る。
 …しかも、この物語での神は、ジャンヌ・ダルク伝説とは全く逆の迫害する側の立場なのだ…。



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