−スリュムの歌・つづき3−
さても、苦難の道に立たされたトール殿。
彼はいかにして、この危機から脱するのか? それでは後半をお聞きあれ。
+++
――と、いうわけで。
ロキの触れ回りで早速神々が集められ、男も女も、そう、怒り狂っているフレイヤ以外は、みなが集まって来てどうするか相談を始めました。
「とは言っても、あっちはあっちで、フレイヤ以外では取引に応じん、ちゅーてるんやろ?」
「せやなぁ。前んときは、トールが一発でノして永遠に黙らしたわけやけんど、今回ばかりは、その槌があらへんがな。」
「せやせや。スリュムちゅーんはホンマ、賢いやっちゃでー。先にこっちの手ェ封じといてから交渉に持ち込みおるわ。巨人つーんは、あのロキもやけんど、狡猾そのもんやね。」
「…標準語でしゃべれや、お前ら…。」
まるでジジィの寄り合いみたいなことになっているイザヴェル(協議場)周辺。ロキさんは楽しそうですが、トールさんは全然楽しそうではありません。
「まあ、ここいらで一つ、打開策を出そうじゃないか。」
成り行きを見守っていたヘイムダルさんが、おもむろに口を開きました。
「トール。一つだけいい方法がある。君の失敗に君自身でケリをつけられ、しかも誰も危険に晒すことのない、いい方法が。」
「…なんだと?」
うなだれていた雷神さんが顔を上げます。
「君が嫁に行くんだ。」
「……ハア?!」
これには一同、唖然。あの、荒唐無稽なロキさんでさえ、真っ青です。
トールさんはぽかんとして、口も利けません。しかしヘイムダルは至ってマジメな顔です。
「おいおいちょっとちょっと、ヘイムダルさんよォ」
最初にダメージから立ち直ったのは、やはりロキさんでした。
「アンタいつからそんな冗談言えるよーになったワケ?」
「冗談ではないさ、無論。私はトールに花嫁衣裳を着ろ、と言ったんだ。」
これにはもう本当に、神々はざわめくばかり。門番よ、正気なのか? 相手はこの、トールさんだぞ?
ヘイムダルは、なおも真顔で言います。
「相手は巨人だ。奴からすれば、我々の図体など似たりよったりだろう。女ものの衣装を着れば、トールも立派に女に見える」
「いや、本当に見えるのか、そんな…」
「大丈夫だ。」
ものすごく自信ありげ。
「私のカンに狂いは無い。トールは花嫁姿でスリュムの国へ行く。そこにはトールの槌がある。トール自身が行けば、取り戻す手間は省けるわけだ。」
「けど…。」
神々は、まだ何かいいたそう。
もし、バレたら?
トールはその場であえなくOUT。逆に脳天カチ割られて、そして二度とミョルニルを握ることは、ありますまい。
「それとも何か。フレイヤをなだめすかして連れて行くのか? 誰が。私はお断りだ」
「うっ」
「彼女はオーディンが頼んだって絶対動かないだろう。なら代役を立てるしかないが、まさか貴殿らは、か弱い本物の女性を、あわれな巨人の生贄にささげる気にはならんだろう?」
「まあ…それは…。」
「ならば、議論の余地は無いはずだ。リスクは少ないほうがいい。いかに武器が無いとはいえ、トールなら巨人をまいて逃げることも、出来るだろう。」
側で聞きながら、ロキさんはもう、腹の底で笑いまくっていました。
なんせ、あの! 天敵とも言うべきヘイムダルが、常日頃から彼のジャマばかりするけしからんマジメ神が、今回は彼の好む方向、つまりトールが「困りはてる」方向へと、話を導いてくれているんですから。
わざわざ自分が口を挟むことも無く。
ああ、なんておいしい話運びなのでしょうか!
「そーだよな。うん。トール、今回はあんたの失敗なんだから、あんたが行くべきじゃないか?」
「ううっ」
トールさんは、必死の抵抗をこころみるかのようにロキをにらみます。でもロキさんはしらんぷり。
「いっつもいっつも、オレが何かやらかした時にはオレに責任とれーの何のって言うんだからさ。まさか自分の時だけ、誰かに代わってくれだなんて、言わないよな? たかが女装くらいで」
いまや、彼は窮地に立たされていました。神々の視線が自分に向けられています。ここで怖気づいたら、本当は巨人が怖いんじゃないか、なんてウワサにも成りかねません。
「ああ、そうだよ。分かったよ。やるよ! やりゃいいんだろ?!」
ついに、トールさんは半ばヤケっぱちになって、言いました。
「俺が行くよ!」
これを聞いて、ロキはにんまり。
「んじゃ、まずは準備準備っと。おーいヘイムダル。こいつに着せられる衣装みつくろってくれよー。」
「ああ。サイズは何号だ? …計測外? 婦人服には無いのか、レンタルは無理だな。特注ものの婚礼衣装になる、か…。経費で落とせるかな…。」
あな、珍しや。ロキとヘイムダルが意気投合。
しかし後日、神々は、さらに珍しい、しかも世にも面妖なものを、目にすることと相成るのです。
「しっかしなあ、ドレスが出来てもな、お前、その顔じゃ。…ちょっと、ウチ来いよ」
「お、お前の家? 何しにだ」
「決まってんだろ、女の練習だよ、女の。まさかガニ股で歩く気か? ガタイ以前に歩き方で見破られちまうぜ。それとな、しゃべり方もだ。どうせ声は隠せないんだから、必要最低限しかしゃべるなよ? それも裏声でだ。地声はガラガラしてて女にゃ聞こえねぇ」
ロキさんは大張り切り。それはもう、学芸会の女装イベントか何かの如くに。
「…お前、失敗したら俺は死ぬかもしれんのだぞ…?」
「だから手伝ってやってんだろ。言っとくけどな、トールの旦那。今回ばかりはオレの言うことを聞いときな。ヘイムダルの言ってることは正しいぜ。あんたがやらなきゃ、誰も巨人の国へなんて行きっこない。…ま、同じことをオレが言っても、あんたは聞き入れやしなかっただろうけどな。」
と、いうわけで、しぶしぶながらもロキの家へやってきたトール。
ところで、ロキさんの家はきちんとした名前のある館では無かったのか、どんな詩にも名前は見えません。たぶん慎ましやかなマイホームだったんですね。
ちょうど、奥さんのシギュンは、子供たちをつれて買い物のため留守。
「あいつがいないんで茶ぁ出せねぇけどな、ま、上がれや。」
「…(おいおい、手作りくまさんが置いてあるぞ玄関に。これはシギュンの趣味なのか)」
奥の部屋に行くと、子供のおもちゃなんか散らかってて、ああ、いかにもマイホーム?
「ってわけで、よっこらしょっと。」
「おい、シギュンのメイク箱なんか勝手に持ち出してどうする」
「いや。これはシギュンのじゃないぜ。オレのだ。」
ずざざざっ。
「…なんだよ。何、ひいてんだよ」
「いや、お前…前々から思ってたが、やはしそういう趣味が…」
「ヘッ。今日び、ミッドガルドじゃ男でもメイクしなきゃやってらんねーんだゼ。まぁ見てなって(※ロキは人間世界でビジュアル系を見たらしい)」
ぱかっとメイク箱ば開けて、手馴れた様子でメイクセットを並べたロキさん。香水の匂いを嗅いだだけで、はやもう、トールさんは居心地が悪くなってきました。
無骨な男は、こういうのはニガテなのです。
「うう。すまん。ちょっと用を足してくる」
「おお、いいけどな。逃げンじゃねーぞ。」
と、顔になにやら塗りたくり始めるロキさん。あまり見たくないトールさんは、外に出たっきり、長いこと、長いこと考え込んでいました。
…そして。
「あら。トールさんじゃありませんか」
片手に買い物籠、片手に下の息子の手をつなぎ、もう1人の息子を後ろにつれて、奥様・シギュンが帰宅。
「今そこでチュールさんの奥さんとお会いしたんですよ。話は聞きましたわ。…大変ですわねえ←現在進行形」
「いやいや。ははは。…(汗)」
「それで、うちに何用で…あら。」
ギクっ、として背筋をこわばらせるトール。背後に衣擦れの音が。そして気配が。いけない振り返っては、この世のものならざるものを見てしまうかもっ…
「まぁ、あなたーv 今日もきれいじゃないのー」
「えー、でっしょー? ウフフ」
「…は?」
シギュンはスタスタと夫に近づくと、楽しそうに話しかけたのです。
そこには、上から下までバッチリ決まった、どこから見てもカンペキに女の姿のロキさんがいました。
何だ、何だこの反応は? なぜシギュンは驚かない。そして、なぜ女装したロキとラブラブしている。
…いや、それ以前に、なぜロキの女装はこんなにしっくりきているのか? 知らなければ、ロキに妹がいたかと思うほどだろう…。
トールさんは、パニック状態。
「と、いうわけだ。どうだトール? これなら絶対バレないだろ。」
「アラやだ、あなた。その格好のときは、やっぱり女言葉のほうが素敵よ?」
「えー、そぉー? それでぇ、今日はシースルーの上着で青をコーディネイトしてみたのぉ。どうかしらぁ」
「いいわね。それってこの前、2人でバーゲンに買いにいったやつ?」
「……。」トールさんはもはや何もいえませんでした。なんせ夫婦の間のことだから。
「と、いうわけだ。お前もこのくらいカンペキに女装しなくちゃならん。さぁ」
「はっ? いや…ちょ、待っ…」
「私も手伝いますわv あなたv」
両脇から美女ふたりにガッチリ挟まれてトールさん両手に花、いやいや片方は実は男なわけですが。
「ちょっと待っ…わ…?!」
がちゃん。
扉の鍵が閉まる音。そして扉の向こうで何かが起こる…
それから、数日がたちました。
誰かがロキさん家のドアをノックしてます。
「どなた?」
「ヘイムダルです。お届けものにあがりました」
「あら、ご苦労様♪」
門番さん何故か宅配サービスも始めたようです。シギュンさんが荷物を受け取ります。
「はいハンコ」
「ども。では、トールによろしく」
ヘイムダルさんはスタスタと去って行ってしまいました。
開けてみると中から出てきたのは、きらびやかな婚礼衣装♪ しかも特注。
「わぁ素敵。これなら見劣りしないわねv」
「……。」
椅子にはグッタリしてやつれたトールさん。数日に渡る地獄の花嫁修業によって、疲れ果てた姿でした。
顔には死相が浮き出ています。
「おう、いい具合に目方も減って、女らしさっていうかか弱さが醸し出されて来たじゃねーか。よしよし。あとは仕上げ、だな」
ロキさんはニンマリ笑って、言いました。
「心配すんな、トールの旦那。巨人の国へは、オレが腰元としてついてってやるよ。女神フレイヤともあろうものが、おつきの1人も連れずに嫁に行くんじゃ不自然だからな。」
「まあ、あなた。それじゃあ、あなたのぶんの衣装も用意しなきゃ! ああん、どれがいいかしら。私のショール貸しましょうか?」
「おいおい〜。スリュムの奴がオレに惚れたらどうしてくれるんだ?v よせやい。普段着でいいよ。」
楽しそうなご夫婦をよそに、トールさんの心はもはや此処には在らず、でした。
と、いうわけで作戦開始です。
フレイヤになりすました雷神様、いよいよ巨人の国へお輿入れということになって、アスガルドの住人全員が見送りにあらわれます。
誰もが唖然とし、ついで、人ごみの何処からとも無く、押し殺したような小さな笑い声が漏れ始めます。そりゃそうだ。
あのトールさんが。ヴェールをつけて楚々と内股で。
後ろには、何食わぬ顔のロキが付き添っています。こちらは、カマっぽさもなく、どう見てもカンペキな女でした。ぎょっとする男性神も。(昔だまされた女だ! と、叫んだかどうかは分からない。)
「…トール、特別にコレ貸したげる。…」
肩をぷるぷるさせて、必死で笑いをかみ殺しながら、フレイヤがブリーシンガルの首飾りをかけてくれます。
ほぉら。もう立派な花嫁さん。
少々大柄な花嫁を乗せた車には山羊がつながれ、トールとロキは、巨人スリュムの国へと向かったのでした。
−続く