ニーベルンゲンの歌-Das Nibelungenlied

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(5)物語の喪失と新たな語り手たち


■ 一度失われた物語

13世紀以来、一大叙事詩として人気を誇ったこの物語は、決して継続して存在していたわけではない。その内容は古代北欧の神々の影を完全に抹消することは出来ず、登場人物たちをキリスト教的に修正しきれずに、「異教の邪本」として長らく社会から廃絶されて来た。
それが再発見されたのは、18世紀半ばのことである。

発見者の名は、ヘルマン・オベライト。
時は科学が日進月歩の目覚しい発展を遂げる新世界、かつて古き神々を弾圧したキリスト教は、プロテスタントとの激しい争いの渦中にあった。
そんな中、オベライトが発見した「ニーベルンゲンの歌」を託したのは、プロテスタント狂信派だったと伝えられる著作人、ヤコブ・ボードマーであった。
ボードマーは、控えめに言っても文豪ではない。
彼の名を歴史に残したのは、著作のお陰というよりはむしろ、時代の流れと、「ニーベルンゲンの歌」復刻版の出版者…という業績であっただろう。
ボードマーは、この叙事詩の前半を異教的とし、第二部だけを発刊する。時代は、古き世界を欲していた。ドイツの民は、(フィンランドでそうだったように)過去に喪失した、自分たち「本来の」物語を取り戻すことを求めていたのである。
「ニーベルンゲンの歌」の価値が再び認められたのは、まさに、このような時代であったからなのだろう。

時代は、過ぎ去ってはじめて語ることが許される。見えなかったものは、遥か彼方に行き過ぎてから、その全貌が明らかになる。
こうして、隠されていた物語は再び明るみに出、死していた英雄たちは蘇る―――500年を経た、18世紀の光の中で。


■ もう一人の語り手、ジムロック
 
ここに、一人の男を紹介しよう。
彼の名はカール・ジムロック。古語で書かれた「ニーベルンゲンの歌」を現代語に訳した偉大なる先人であり、生涯をかけて、この物語を愛したドイツ人である。
ジムロックは25歳で最初の訳を発刊、その後74歳で死に至るまで、ひたすら解訳をかさね、研究を積み上げた。まさに「物語に憑かれた」男であった。そう、19世紀の詩人たちが原典としたのは、彼が生涯をかけて築き上げた現代の「ニーベルンゲン物語」なのである。

「ニーベルンゲンの歌」を記した詩人は古えのゲルマンの神々を13世紀に蘇らせ、その物語を、ジムロックがさらに現代へと受け継がせた。神々は死なず、精神は、ことばの形を借りて、人の生き長らえる限りどこまでも続いていく。彼らはそう教えてくれているような気がする。

だが、そのすべての傍系が、いちばん最初の物語に続いているのだとは限らない。


■ 19世紀〜20世紀、ドイツ

ドイツ人にとって、「ニーベルンゲンの歌」は特別な意味を持つかもしれない。
一つには、民族のアイデンティティのより所となる作品として。もう一つは、ナチス・ドイツの忌まわしい記憶の象徴として。
19世紀、リヒャルト・ワーグナーによる「ニーベルンクの指輪」は、あまりにも有名だが、その後二度に渡る世界大戦のさなか、ナチスが愛国心を煽るためにこの物語を利用したことはあまり知られていない。たぶん消したい過去なのだろう。

フリッツ・ラングによる無声映画「ニーベルンゲンの歌」は素晴らしい作品だが、その前半部分、ジークフリートの竜殺し、結婚、死に至る部分は、ナチスの宣伝に使われたという意味で暗い過去を背負っている。ジークフリートは、理想的なアーリア人の象徴として扱われたのだ。そのため現在でも、ドイツで作られるニーベルンゲン伝説関連の作品は、わざと奇抜なデザインを採用したり、変わった解釈を取り入れたりして、ナチス時代との差異をはかろうとするらしい。ある意味、皮肉な結果である。

2009/06/11 re


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