ニーベルンゲンの歌-Das Nibelungenlied

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(1)アッティラ王とフン族の帝国 ―神の鞭と呼ばれた男



■ フン族の王 アッティラ = アトリ、エッツェル

「ニーベルンゲンの歌」に登場するフン族の王、エッツェルの元ネタは、5世紀に生きたフン族の王、「神の鞭」と綽名されたアッティラである。
東から突然嵐の如く吹き寄せ、東西ローマ帝国にゆさぶりをかけ、近隣の民族を征服し傘下に収め、短い間とはいえ強大な「フン帝国」を築き上げた王。

――だが、物語の中に描かれるエッツェル王は、気弱で、王妃に弱く、物事のイニシアチブをとられっぱなし流されっぱなしのまま最後まで「いい人」で終わってしまう人物である。「ニーベルンゲンの歌」より前に書かれた北欧の伝説ではアトリと呼ばれているが、こちらでも、ブルグント族を罠にかけはするものの、グードルーン(クリエムヒルト)との間に出来た息子たちの死を悲しんで酔いつぶれたところを館ごと火にかけられるなど、ツメが甘く、決して非情な鬼としては描かれていない。

フン族といえば恐ろしい騎馬民族、アッティラは兄弟さえも手にかけて権力を手にした極悪非道な男… のようにイメージされがちだが、それは、フン族自身が記録を残さず、文字による証言が侵略側に因るからとも言える。敗戦に敗戦をかさね、和睦のための高い金を支払わされていたローマ側が、フン族を良く書く理由はないのだから。フン族は確かに、ローマを引っ掻き回し、多くの小国を叩き潰したが… フン族の支配下に置かれ、ローマから分捕った金で豊かに暮らせた少数民族もいた。彼らはもしかしたら、アッティラを恩人か主君として崇めていたかもしれない。
「ニーベルンゲンの歌」にしろ、「エッダ」の中のエピソードにしろ、物語は最初、民間で、口伝として発達していった。そうした残されている物語を見る限り、全ての人民がアッティラを悪く思っていたわけではなさそうである。

ちなみに「アッティラ」とは、「おとっつぁん」のような意味の言葉で、本名ではないらしい。本名は分かっていない。皆に「おとっつぁん」と呼ばれていたのなら、意外に慕われていたかもしれない。


■ 歴史の中のフン族

フン族は突如として西洋世界に現れた「野蛮人」、ゴート族さえもやすやすと破る騎馬民族。文明を知らぬフン族は、人馬一体となり、獣の群れのように押し寄せたという。
しかしそれはあくまでローマ側の言い分である。

そもそもフン族は、自らの歴史を文字で記していない。最初に記録に現れるのは375年の頃。突然、東のほうから押し寄せて、あっという間に東ゴートの王国を飲み付くし、その勢いで東ローマにも押し寄せた。最初の激突で死亡したのが、東ゴートの老王、エルマナリク。以降、東ゴート族は征服された他の部族同様、フン族の下について戦いに参加することとなる。物語の中で、東ゴートの王・ディートリッヒが客としてアッティラのもとに居るのは、東ゴート族がフン族のもとに身を寄せていた時期があったことから来たのだろう。(ただしディートリッヒ自身は、アッティラが死んだ直後に生まれている)

アッティラが登場するのは434年。以降、453年までの19年間、王位にあった。

フン族の王国は、アッティラのもとで最大に達する。一度など、はるばるフランスはオルレアンまで遠征している。迎え撃ったのは西ローマ軍と、その頃スペインあたりに住んでいた西ゴート族、ブルグント族などの連合軍。この戦いで、西ゴートの王テオドリック(ディートリッヒの元ネタの人とは別人)が死亡している。また、ハンガリー、イタリアにも進軍。教皇レオ一世が介入して、とりあえずローマからは退かせている。なお、このときヴェネト地方の人々が建造を開始したのが今のヴェネツィアの町だという。

そうした遠征を繰り返したのち、東ローマに攻め入ろうとした矢先にアッティラは急死する。
偉大なカリスマを失ったフン族の帝国は、これにより崩壊。やがて四散して消えていった。


■ アッティラ王とヒルディコ

アッティラの死は突然だったが、その状況もまた特別だった。王は、妻に迎えた西ゴート族の王女、ヒルディコとの初夜の床で死んだのだ。彼女による暗殺なのか、それとも単なる病死なのかは分からない。ただ歴史は、「血まみれになった王の側で、若い娘が1人泣いていた」とのみ、伝える。おそらく無理な生活がたたっての死だろうが、伝え聞いた人々はそうは思わなかったらしい。”神の鞭とまで呼ばれた絶対的な王者、誰ひとり止めることの出来なかった男が、か弱く若い小娘によって殺されたかもしれない”… このドラマチックな出来事を原型として、人々は無限の想像力を羽ばたかせ、物語として語り継いでいく。驚異的な王アッティラの死には、エルマナリク王と同じく、美女による報復死の噂が死の直後から絶えなかったようだ。

時は流れ、歴史の闇に消えていったはずの女性ヒルディコは、物語の中で悲劇の人物へと塗り替えられていく。彼女がゲルマン系であったことから、いつしか、フン族に滅ぼされた民族の姫君となった。そして、復讐のためにアッティラの妻となり凶行に及んだことにされたのである。もちろん、彼女がどこの一族の出身だったかや、どんな人物だったのかは何も分からないのだから、事実は調べようが無い。だからこそ想像は無限に広がる。

こうして、「復讐する美しき姫君」の像はつくられ、フン族によるブルグント殲滅の歴史と重ね合わされた。ヒルディコは、クリエムヒルトの原型となったうちの一人なのである。


史実を元ネタとして誕生した復讐するブルグント族の姫君は、やがて「エッダ」の中で「アトリの歌」に登場するグードルーンとなる。グードルーンは「アトリの妻となり、アトリ(=アッティラ)を殺す」ために作られたキャラクターだったのだが、シグルドの妻となる女性と同じ名であるがゆえに結び付けられ、アトリへの復讐という物語にニーベルンゲンの財宝を関連づけたとされる。(ドイツでクリエムヒルト、北欧ではグリームヒルドという名前だったのだが、グリームヒルドが間違って母親の名前に使われてしまったために、「よくある名前」が急遽、彼女に充てられたものと思われる。)

「アトリの歌」の筋書きはこうだ。
ブルグント族の王女グートルーンは、異民族であるフン族の王、アトリのもとへ嫁ぐ。しかしアトリは、彼女の兄弟たちを騙して饗宴に招き、皆殺しにしてしまう。グンナルは蛇の牢屋に放り込まれて蛇の毒で死に、グンナル王の弟・勇士ヘグニは、脅されながらも黄金の在り処を喋ることなく、心臓を抜き去られて死ぬ。グートルーンは復讐を誓い、戦勝祝いの宴でアトリの息子たちを殺す。ショックを受けたアトリが酔いつぶれて寝てしまうと、彼女は館に火をかけ、アトリを焼き殺しておきながら、自らも死のうと海へ入る。

「アトリの歌」では、ブルグント族をおびき寄せるのはアトリであり、グードルーン、つまりクリエムヒルトは兄弟たちのために復讐を行うことになっている。
「ニーベルンゲンの歌」では、兄弟たちを招き寄せるのはクリエムヒルト自身で、復讐は夫ジーフリトのために行われたことになっている。(そのためエッツェル=アトリの立場が宙に浮いた形となっている)

ヒルディコは、ただ、血の海の中で死んでいたアッティラの傍らで泣いていたとしか記録されていない人物なのだが、かつて蹂躙された王国の復讐のため敵王に嫁いで夜二人きりのところを暗殺したと想像すれば、なかなか肝の据わった壮絶なキャラクターになる。こうして、彼女を原型とした姫君は、アッティラ以上に恐ろしい、鬼の心を持った女性へと進化していくのであった。


…物凄く個人的なことを言わせてもらうと、60過ぎのジジィが若い花嫁もらって初夜で鼻血出して死ぬとか、アッティラ実はかなり可愛い人だったんじゃないかと(ry
うん、あれだ。マンガ的な鼻血ブーと 「わし、もう死んでもええかも」→昇天 みたいなシーンを想像しちゃったんだ。



■ フン族と匈奴

フン族=匈奴、という説は定説ではなく、実は証拠はほとんどない、曖昧な話である。

匈奴は、主に中国の漢の時代に名をはせ、一時は首都にも迫るほどの勢いを持っていた遊牧民だ。ちょうどフン族が東西ローマ帝国を追い詰め、ローマの町まで迫っていたのと同じように。勢いを持っていた時期に周囲の少数民族を従え、一大帝国を築いたものの、短期間で崩壊し四散していく仮定もそっくりだ。
しかし、それは同じ騎馬民族だからという類似点に過ぎないのかもしれない。

フン族が、東のどこかからヨーロッパにやって来たアジア系の民族だというのは間違いない。しかし、それ以上のことは分かっていない。フン族自身、自分たちの歴史を知らなかったし、定住地を持たず、特徴的な文明も持たない人々の痕跡は、遺跡としては残るものではないから、足取りは辿りにくい。(たとえばスキタイなんかだと、特徴的なデザインのアクセサリーや墓で、ある程度足取りを追える)

匈奴の一部が、漢との接触を断って西へ消えてから、フン族が突然現れるまで、約200年間の空白がある。漢と駆け引きをし、堂々たる国を築いた匈奴は高い文化水準を誇ったはずだが、嵐の如く東ゴートの国に押し寄せたフン族には、それが無かった。もしも匈奴=フン であるならば、空白の期間に、彼らは一度手にした文明を「失わなくては」ならないのである。

匈奴の一部が「西へ」消えたこと、消えた時代は確かにフン族の到来より前のこと、同じ騎馬民族ということもあり、フン族とイコールで結びたい気持ちは分からなくも無いが、それはあくまで状況証拠。具体的に匈奴とフン族の間に共通する文化が何も見つからないのでは、今の段階では別物と言うしかない。

2009/06/11 re.


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