ニーベルンゲンの歌-Das Nibelungenlied

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(4)呪われし黄金の指輪 −ニーベルンゲン伝説の始まり



「ニーベルンゲンの歌」に登場するジーフリトは、その当時、すでにポピュラーな英雄として、数々の武勇を知られていた。そのため、物語本編では、彼の過去の武勇は、さらりと触れられるに過ぎない。しかしながら、日本に住む現代人の読者には、そのような基本的な知識は無い。
そんな皆様のために、シグルド、またはジークフリートの名でも語られる英雄の代表的な物語を紹介しよう。

なお、北欧神話とドイツ神話でのジーフリトは性質が異なるという説もあり、ドイツ叙事詩である「ニーベルンゲンの歌」のジーフリトと、北欧叙事詩である「エッダ」のシグルド間には、多少なりとも開きがあることは否めない。そのため、ここでは、主に「エッダ」によって記される、シグルドの英雄物語を追ってみることにする。


■ シグルドは、如何にして指輪を手に入れたか

「ニーベルンゲンの歌」とのタイトルにも現れるとおり、「ニーベルンゲン」の名には不吉な意味あいと、かつて小人族のかけた呪いが暗示されていた。
この物語は、古く「エッダ」の中より始まる。

北欧の神、オーディン、ヘーニル、ロキの3人は、放浪中、かわうそに化けていた巨人フレイドニルの子供の1人を誤って殺してしまう。その皮を持って巨人の家に泊まったものだから3人はたちまち捕らえられ、身の代償として、かわうその皮を覆い尽くすほどの黄金をと要求される。そこでロキが金を集めるべく使者に立つ。
ロキは、運命の神ノルンによって水に住むべくさだめられていた小人・アンドヴァリを捕らえ、彼が隠していた黄金のすべてと、指輪を奪ってしまう。この指輪こそ、のちに「ニーベルンゲンの指輪」となる、呪われし指輪だ。すべての財産を奪われたニーベルンゲン族のアンドヴァリは、こう口にする。「黄金を手に入れしものは、何者であれ死ぬ運命だ」と。呪いは黄金全体にかけられた。

呪いは、強奪者であるロキやオーディンやではなく、黄金を、指輪も含め残らず譲与された巨人フレイドニルへと降りかかった。見事な黄金を眼にしたことで欲にかられたフレイドニルの2人の息子、レギンとファーブニルは父に分け前を要求し、拒絶されるや否や、殺害を決意するのである。
息子たちによる父親暗殺は成功する。だが、兄ファーブニルは竜の姿となって黄金の上にとぐろを巻き、分け前を弟レギンに渡そうとはしない。

 この物語は、さらにシグルドによるファーブニル殺害へと続く。

小人レギンのもとで鍛冶の修行をしていたシグルドは、ある時、師であるレギンから邪悪な竜の殺害を持ちかけられる。その竜とは、もちろんレギンの兄の変身した姿。レギンは、人並外れた力を持つシグルドを利用して、兄殺害を企んでいたのだった。
計画を成功させようと、レギンはシグルドに名剣グラムを与える。シグルドは最初は拒絶したようだが、結局は、レギンの意向に従い、ファーブニル殺害へと赴くことになる。
「ニーベルンゲンの歌」に見られる「竜の血を浴びて不老不死の体になった」とは、この時の竜退治の話を指すのだろうが、物語には幾つかのヴァリエーションが伝わっている。
「エッダ」に伝わる物語、「ファーブニルの歌」では、彼の不死は返り血ではなく、心臓を食べたことによるものとされている。心臓に特別な力が宿るという発想は北欧神話ではお約束のもので、戦いの前に狼や熊の心臓を食べ、心が猛々しくなるというモチーフも見られる。

 …物語は、さらに次の段階へと続く。

ファーブニルの守っていた黄金と、かの指輪はシグルドの手に落ちた。今度は彼が呪われる番だ。
黄金を手にしたまま焔の城に閉じ込められていたワルキューレ、ブリュンヒルトに求婚しに行ったシグルドは、呪われた黄金の指輪を、彼女に贈ってしまうのである。

そう、だから、「ニーベルンゲンの歌」でジーフリトがプリュンヒルトの指から抜き取り、妻クリエムヒルトに渡すあの指輪、小人の呪いがかけられたニーベルンゲンの指輪は、かつてロキがアンドヴァリから奪い、ファーブニルが守っていたものなのだ。

シグルドが愛の証としてブリュンヒルトに渡したものが、時代を経て、彼の心変わりによってクリエムヒルトへと渡り争いの発端を開く。手にした者は呪いを受けずにはいられないという黄金。それを川に沈め、誰の手にも届かぬところへとしまい込んだハゲネの選択は、災いの拡大を防ぐ、最も賢い選択だったのかもしれない。


■ シグルドの歌

「シグルドの歌」は、「エッダ」の中に含まれるシグルド伝説の一つだ。もともとのニーベルンゲン伝説は、この筋書きに近かったのではないかとされている。

竜殺しの英雄として誉れ高かったシグルドは、ブリュンヒルデとの誓いのあと、ギューキ族の王グンナルのもとを訪れる。(グンナルとは、「ニーベルンゲンの歌」のグンテルに相当する登場人物。) グンナルの母は魔女だった。シグルドはグンナルの母(母后ウオテに当たる)によって薬を盛られ、ブリュンヒルトとの愛の誓いを忘れ、かわりに、グンナルの妹・グードルーンに惚れてしまう。彼はグードルーンを妻とし、グンナルと義兄弟の契りを結ぶことになる。

グンナルはシグルドに、ワルキューレであるブリュンヒルトを手に入れたいと告げ、シグルドは義兄のために力を貸すことを約束する。しかし、シグルドの愛馬グラニ(名剣グラムととにオーディンから送られたもの)を借りても、グンナルには、ブリュンヒルトの眠る城を取り囲む焔を越えることは出来ない。

そこでシグルドはグンナルと姿を取り替え、焔の壁を越える。ブリュンヒルトを騙し、彼女の試練を乗り越え、夫となる権利を獲得してグンテルのもとへ戻るが、この時、彼は「ニーベルンゲンの歌」の場合と同じく、彼女の指から、かつて自分の与えた災いの指輪を抜き取ってしまうのであった。

自分の試練を果たしたのが実はシグルドであったとは知らないブリュンヒルトは、仕方なくグンテルと結婚する。しかしブリュンヒルトは、自分のほうがグードルーンより高貴で優れていると信じて疑わない。このことから、2人の間に女の争いが勃発する。さげすまれて面白くないグードルーンは、ひょんなことから口が滑り、かつて夫がブリュンヒルトの指から抜き取った指輪を見せ、「あなたは夫の妾に過ぎないのだ」と、あざけってしまう。

シグルトとグンテルに騙されたことを知ったブリュンヒルトは、夫グンテルを責めたてた。シグルドを殺せ。さもなくば、自分かあなたが死なねばならない。グードルーンはすべてを知っていて私を嘲ったのだ…と。
グンテルは困って、弟ヘグニに相談する。ヘグニは「女の言葉に惑わされてならない」と言うものの、結局グンテルは凶行に及び、シグルドは、王とその近親の者たちによって命を奪われてしまうのだった。


この物語には、アッティラ(アトリ、エッツェル)への復讐が存在せず、二人の王妃の争いだけが存在する。また、シグルドがグードルーン(クリエムヒルトに相当)と結婚するには、魔術による過去の忘却という手段が用いられる。シグルドの殺害方法も、あまり優雅なやり方でない感が否めない。


ただし、この物語にも、やはり幾つかのヴァリエーションと解釈が存在する。
惚れ薬を飲まされて過去の思いを忘れてしまったシグルドに対し、ブリュンヒルトはグンテルと結婚してからもシグルドを愛していて、グードルーンとの仲むつまじいさまに嫉妬していた、という話がその一つだ(恋愛詩人にとって、これほど嬉しい題材は無かったであろう)。
またブリュンヒルトは、他人に教えられるまでもなく、自ら真実を知りつつ、グンテルと結ばれたという解釈もある(でなけば、自分の指から消えた指輪の行方を探すはずである)。
さらに激しく、シグルド暗殺が成功した後、後を追うように自殺をする話も生み出された(何しろ彼女は本来、死せる勇者を導くワルキューレなのだ)。


■ 時代とともに

「ニーベルンゲンの歌」は、これらの物語の下敷きの上に成り立っている。既に民衆に広く知られていた物語を綺麗に整え、隙間を埋めたものと言ってもいい。
「ニーベルンゲンの歌」そのものにも、細かい相違を含めれば現存するだけで30近いバリエーションがあるが、その前段階ですら解釈によって分岐は様々である。どれが正しい、原典に近い、ではなく、もはや全てをひっくるめて一つの物語なのだろう。

とはいうものの、「エッダ」などに見られる話は、実はダイレクトに「ニーベルンゲンの歌」へと結びつくものではない。何しろ前者は古き神々の世界、後者は新しき神―――キリスト教の世界に属する物語なのだ。
だから、「ニーベルンゲンの歌」の中の世界では、登場人物たちは洗礼を受けねばならないし、教会へミサに出向かなくてはならない。ブリュンヒルトはワルキューレではないし、ジーフリトはゆえなく殺生を行った英雄であってはならない。ロキやオーディンなどはこの世に存在せず、ジーフリトの竜退治の物語は、嘘かまことか分からぬ武勇譚として吟遊詩人に歌われる程度のものに過ぎない。
彼らは過去の物語の経歴を引きずっているし、読者も承知の上なのたが、表面上はあくまで、主なる神の見下ろすキリスト教世界での出来事という仮面を被っている。だから、指輪の呪いはダイレクトに言及されることはない。

「ニーベルンゲンの歌」の中で、ジーフリトの持つ剣は、竜殺しの剣・グラムではなくバルムンクである。
ジーフリトの命を奪うのは、指輪にかけられた呪いではなく、ありふれた泥臭い人間関係のもつれである。

かつて半神であった英雄は、こうして、神々の喪失とともにただの人となり、同じ人であるハゲネによって、いとも簡単に殺されてしまう。時とともに、指輪と黄金にかけられた呪いは、形を変えて、こう告げるようになったのだ。

 『何より恐ろしいものは、神や怪物ではない。人間自身なのだ』と。


2009/06/11 re.

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