ニーベルンゲンの歌-Das Nibelungenlied

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『ニーベルンゲンの歌』 物語MAP ver.2.5


資料をもとに、物語の舞台となるドイツ周辺の地図を作成してみました。
最終訂正⇒03/01/01

※メーリンゲンとフェルゲンは、実際はこの地図より東寄り。レーゲンスブルグより、パッサウに近い辺りになる。
ヴォルムス(ウォルムス)の人々は、ほぼ直線でエステルゴムへ向かっているようだ。
エッツェル王の都エッツェルンブルグを、現在のブダペスト対岸の町とする説もあるが、ここでは、エステルゴム説を取った。


■地図中の地名紹介■

 サンテン  現在名;ザンテン
(中世表記;Santen/現代表記;Xanten)

 ジーフリトの故郷は、この町を首都にしたニーデルラントという国。ニーデルラント、とは、「低い土地」という意味だから、そのまんまオランダが彼の故郷だと思っていいだろう。
 クリエムヒルトが最初の結婚でとついで行く町。かつてはトロイアという名を持ち、ローマ時代にはコロニア・ウルピア・トゥライアナと命名された。
 現在は、オランダの国境近くの小さな町で、クレーバー門というきれいな城門が聳えている。

 ウォルムス  現在名;ウォルムス、またはヴォルムス
(中世表記;Wormez/現代表記;Worms)

 言わずと知れた、物語の前半の主要舞台。ブルグント族の本拠地。ライン河の南側。
 現在は、ドイツ南部のラインラント・プファルツ州。州都マンハイムから約50キロの田舎町。ライン河のほとりに、黄金を沈めるハーゲン像あり。
 また、ウォルムス大聖堂(Dom Sankt Peter, Worms)と、いうものもある。ニーベルンゲンの歌の時代に作られたわけではないようだが、ケンカするクリエムヒルトとプリュンヒルトを想像してみるのも、また一興?


 パッサウ  現代名;パッサウ
(中世表記;Passouwe/現代表記;Passau)

 二つの河の交わる場所。エッツェルの国へ嫁いで行くクリエムヒルトが、ここで叔父の司教ピルゲリーンに迎えられ、しばしの休息を取る。現在は、ドイツとオーストリアの国境に程近い、教会堂のある町。小さいが美しい町並みは旅行者にも人気。

 ベッヒラーフェン(ベッヒラーレン)  現在名;ペヒラルン
(中世表記;Becherâren/現代表記;Pöchlarn)

 辺境伯リュエデゲールの居城のある場所。国を追われた東ゴートの王、ディエトリーヒが身を寄せる町であるとともに、ブルグントの人々がもてなしを受ける町。
 ニーベルンゲン記念公園がある。なんと、ニーベルンゲン伝説を町起こしにつかっちゃってるのです!

 エッツェルンブルグ  現在名;エステルゴム
 中世表記;Etzelnburc(B写本では固有名詞扱いだが、C写本では、Ezelen bourge、エッツェル王の拠点…と、呼ばれている。)
 現代表記;Esteergom(ドイツ語)→Esztergom(ハンガリー語)
        Gran(ハンガリー語)→Gran(ドイツ語)

 エッツェル王の居城のあったエッツェルンブルグの町。現在はハンガリーの首都、ブダペストの北にある大きな町。
 約1000年前、ハンガリー王朝が始まった場所でもある。物語はここで壮絶な終わりを遂げるのです。
 ドナウ河クルーズが出来るそうな。


その他

 アキテーヌ地方
 作中で少し触れられている、ハゲネのかつての友「スペインのワルテル」の国、アクィタニア(Aquitania)のあったあたり。
 実はスペインじゃなくフランス南部。

 フェルゲン(中世表記;Vergen/現代表記;Pföring)
 クリエムヒルトがフン族の国へ嫁ぐ際に通った場所。ギーゼルヘルとゲールノートは、ここまで随伴していく。

 メーリンゲン(中世表記;M(oe)ringen/現代表記;Griβmehring
  作中、ハゲネがゲルプフラートの渡し守を殺して船を奪うあたり。当時はバイエルン国だが現在はバイエルン州。

 ハイムブルグ(中世表記;Heimburch)
 クリエムヒルトがエッツェル王のもとへ嫁ぐ際、ウィーンからエッツェルンブルクへの途中で通過する町。

 ミゼンブルグ(中世表記;Miesenburch)
 上に同じく。ここから船に乗り、エッツェルンブルクへと向かったという。
 現在地名では、ハンガリーにある「モションマジャロバール(Mosonmagyarovar)」という町だ、との情報あり。

 ラヴェンナ
 中世名はベルン。ディエトリーヒの故郷。

■ヴォルムス周辺■

作品中では、ジーフリトが暗殺されるのはワスケンの森と呼ばれているが、実はワスケンの森があるのはライン河の左岸。ヴォルムスが左岸なので、作品にあるように右岸へ行くのなら、ジーフリト殺害の場所はオーデンの森(オーデンワルト)でなくてはならない。

詩人は知らずに間違えたのか、それとも、かつてワスケンの森で起こった、ハゲネと親友ワルテルの戦いをなぞらえるために敢えて名を取り替えたのか。

ジーフリト殺害現場を訪ねたい人にとっては、「どっち行けばいいのさ!」…と、悩むところでもある。(笑)

オーデンワルトには、ジーフリト殺害現場の泉、とかいうパチもんが少なくとも4箇所も作られているようだ。

 ドイツには幾つかの観光道路があり、たとえば「ロマンティック街道」などもその一つなのだが、なんと「ニーベルンゲン街道」「ジーフリト街道」なるものも存在する。
 「ニーベルンゲン街道」は、ヴォルムスの対岸、河畔の古い修道院の町ロルシュから始まり、オーデンワルトを30分ほどで抜けて、「オーデンヴァルトの心」と呼ばれる町ミヒェルシュタットに到着して終わる。ここは、ジーフリト街道とも交わる町であるらしい。


■物語内の描写■

クリエムヒルトの輿入れ

 ・彼らはここからドーナウ河畔のフェルゲンまで馬をすすめたが、ここから馬首を転じてラインへ引き返そうと思い、王妃に別れの挨拶をした。(1291)

 ・一行はやがてバイエルンの国を通って下って行った。インの流れがドーナウ河に注ぐあたりに僧院が立っているが<中略>パッサウの町に一人の司教が住んでいたが、そこの人家も、また君主の宮廷にも人影がなくなった。(1295-1296)

 ・王妃はやがて、エフェルディンゲンの町についた。(1302)

 ・一同が、トルーネ川(※ドナウ河の支流で、現在の発音はトラウン)を越えてエンゼ(※現在のエンス)の畔の野辺に来たとき、客人たちが夜の宿りをすべき仮小舎や、天幕などの張られているのが見えた。(1304)

 ・見れば城壁の窓々は開いており、ベッヒェラーフェンの城市も門扉を開いてあった。(1318)

 ・そこにはアストルトという一人の城主が住んでいて、一行にドーナウ河を下ってオーストリアのムーターレンへ向かうべき道筋を教えた。(1329)

 ・トレイゼムの畔に、フン族の王が壮麗なる城を持っていた。それはトレイゼンムーレという名の有名な城であった。(1332)

 ・オーストリアのドーナウ河畔に、トゥルネという都市があった。この地で王妃は、これまで見たことのない変わった習俗をいろいろと知った。(1341)

 ・一同はトゥルネからウィーンの都へ馬を進めたが、数々の夫人が晴れ着に身を飾っており、国王エッツェルの妃をば、名誉を落とすことなく迎えたのであった。(1361)

 ・第18日目の朝に、一同はウィーンを出発した。<中略>かくてエッツェル王たちは、いよいよフン族の国に帰り着いたのだ。
  昔しのばれるハイムブルグで彼らは夜を明かした。(1375)

・豊かな町ミゼンブルグで、一行は船に乗った。(1376)

・この消息がエッツェルンブルクに伝わったので、この城下の人々は男女を問わずよろこんだ。(1379)


ハゲネたちの旅路

 ・グンテルの臣下たちは東フランケンを通り、マイン河へと道をとった。(1524)

 ・一行は、東フランケンからスワネフェルトの地へ向かったが、<中略>12日目の朝、国王はドーナウ河畔に達した。(1535)

 ・かくてエルゼの渡し守が命をとられたメーリンゲンという場所で、一同は渡河を終えた。(1591)

 ・彼は味方の苦難と損傷を恐れ、楯をかざしてバイエルンの国を駆けて行った。(1600)

 ・一行はやがて、パッサウの町で歓迎せられた。(1627)

 ・つづいて一行はリュエデゲールの国へ馬をすすめることになり、この趣きはほどなく彼のところに伝えられた。⇒ペッヒェラーフェンへ(1632)

 ・けれども彼らは、勇んでドーナウの岸沿いに、フン族の国へと下って行った。(1712)


補足。
【プダペスト=エッツェルンブルグ説の根拠】

・アッティラとは直接関係ないが、アッティラ率いるフン族と同じ騎馬民族であるオノグル族が、ハンガリーを建国した。(そのためハンガリーの首都がフン族の国の首都と同一視された)

・ハンガリー最古の歴史書に、王都ブダ(ブダペスト)が、「ブダヴァル Budavar と、そしてドイツ人によりエツィルブルク Ecilburg と呼ばれる」とあり、エッツェルンブルクと似ていた。

・出所は、ハンガリー最古の史書、自称アノニュムス Anonymus 著の「Gesta Hungarorum(ハンガリー人の事蹟)」(1200年頃)

【エステルゴム=エッツェルンブルグ説の根拠】

・本文中に、グランという名前が出てくる。

・ハンガリー最初の首都。

・町として栄え始めたのは8世紀だが、「ニーベルンゲンの歌」が書かれた頃には主要な都市になっていた。


+主な使用資料
Wハンゼン 「ニーベルンゲンの歌」の英雄たち  河出書房新社
石川栄作 「ニーベルンゲンの歌」を読む  講談社学術文庫
昭文社「個人旅行」シリーズ  ドイツ、オーストリア
(地名・人物名を岩波版に統一しようと思ったのですが、イロイロ交じっちゃったみたい…。;;)


+協力
きよさん・ろきさん  本当にありがとうございました! いやもう本当に。

+間違い探し
探してください。


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