■ニーベルンゲンの歌-Das Nibelungenlied |
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Volker von Alzeye/Volker von Alzey
(現代読み:フォルカー・フォン・アルツァイ)
【作中の役割】
勇壮にして快活、己の思うところを巧みに語る人物として紹介される。フィーデル(ヴァイオリンに似た弦楽器)の名手にして、ブルグントの国の勇士の一人。最初のザクセンとの戦いでは旗手として先陣をきる。
ハゲネの親友だが、何処で出会ったのかについての詳細は語られない。普段は穏やかで、失った息子を重い嘆くリュエデゲールとその妻に、自作の歌を奏でて慰めるなど優しさも持っているが、人曰く「恐れを知らぬ」人物で、怒らせると剣で嵐のごとき旋律を奏でるという。
ほぼ常にハゲネとセットで登場。エッツェルの宮廷でハゲネを暗殺しようとするクリエムヒルトの家臣たちは、傍にフォルケールがいるためうまくいかない。
【作中での評価】
フォルケールとは何者であるかを、ここに知らせよう。
彼は素性いやしからぬ騎士であって、ブルグントの国であまたのすぐれた騎士を配下に従えていた。
彼はヴァイオリンを奏でることができたので、楽人と呼ばれていた。(1477)
−前編から頻繁に登場していながら、後編に入ってあらためて人物紹介される。前編では「フィーデル弾き」だったのが、「ヴァイオリン弾き」と変わるのは、後編のこの部分から。
「よしんば黄金づくりの眩い塔をくれるという人があっても、あのヴァイオリン弾きの凄い目つきを見ると、あの男と戦おうという気になれないのだ。」(1795)
−エッツェル王の宮廷に居る人々の評価
「ハゲネよ、聞いたか、あすこでフォルケールが、戸口へ寄せてくるフン族を相手にヴァイオリンを奏でる調べを。楽器の弓で弾いているのは赤い血の調べだ。」(2004)
−ついにフン族との戦いになった場面で、エッツェル王が語る言葉
【名台詞】
「その獅子をはなしなさい、師匠よ、ひどく猛り狂っているから。わしの手にはいれば、よしんば世界中の人間を打ち殺した者であろうと、今後大きな口のきけぬよう、打ちのめしてやります。」(2272)
師匠とはヒルデブラントのこと。アメルンゲンの人々と戦いになるシーンで、フォルケールに向かっていこうとしてヒルデブラントに抑えられているウォルフハルトを猛る獅子に喩え、言葉で揶揄している。若い騎士ウォルフハルトがやすやすと挑発され、頭に血が上っているのに対し、冷静なフォルケールが印象的。
【解説】
彼は不思議な人物である。「ニーベルンゲンの歌」のもとになる、いかなる物語にも原型となる人物が見当たらず、いつから登場するようになったのかは不明だ。一説によれば、この「ニーベルンゲンの歌」を書いた詩人自身の分身だとされるが、それにしてもしっくり馴染んでいる。
思うに、彼は、ハゲネに必要なものを埋めるために登場する人物だろう。力ある者は孤独であってはいけない。友情を知らない英雄は、誤った道に走りかねない。人々に恐れられ、時に冷酷無比とまで呼ばれるハゲネは、弱みを見せられるフォルケールという親友がいてはじめて、人間らしい人物に変化するのだ。
フォルケールは楽人にして詩人なので、話術巧みにして、優雅である。リュエデゲールの宮廷では、その場の人々の口に最も多く上ったのは、ハゲネではなくこの人だったという。おそらく社交的だったのだろう。
それに対してハゲネは近寄りがたく無愛想であるという。その眼光を見ただけで、人は恐れを成して近寄れなくなる。相反するからこそ補い合える二人、と言えるだろう。
1584節にあるとおり、フォルケールは「ハゲネの成すことはすべて、気に入っていた」という。これが血の滴る船を打ち砕いた直後の記述であるから、荒っぽく、短気なところがお気に入りだったと考えて、差し支えない。フォルケール自身も決して温厚な人物ではなく、戦いとなるとハゲネ同様の容赦ない戦いぶりを見せる。ハゲネからは、彼を褒める言葉がたびたび発せられている。
二人の信頼関係、そしてお互いに対する友情の言葉は、この物語の中の見所の一つと言えよう。
楽人であるフォルケールが、ハゲネについてどんな英雄詩を作っていたのか、是非とも聞いてみたかったところである。
なお、彼が持つ楽器はフィーデルと呼ばれ、ヴァイオリンの原型となった楽器である。文中、前編では「フィーデル」、後編では「ヴァイオリン」と書かれているが、のちに書き改められたものかもしれない。写真はコチラ
エッツェル王の宮廷へ向かう旅の途中で、亡き息子のことを思うゴテリント夫人のための演奏に使ったのがマイ・フィーデルだったとしたら、彼は長旅にも楽器を担いでいったことになる。