マビノギオン-Y MABINOGION

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「マビノギオン」とは?


書いた人々とタイトル由来
 この書物は、ブリテン島の南西カムリ地方に住んでいた、カムリ人たちの社会で作られた物語を集めた書物の名前だ。
 名前、と言ってもタイトルとは違うのだが、それはまた後で説明するとしよう。

 カムリというのは、現在のウェールズ地方のことを指す。ウェールズがカムリ、と呼ばれたのは、まだ、グレートブリテン島がイニス・プリダイン(YNYS PRYDEIN)と呼ばれていた頃のことである。

 「マビノギオン」は、文字を持たなかったカムリ人の間で、長くバルズ(bardd、「吟遊詩人=バード」に似ている)の間で語り継がれていたものが、11世紀後半の頃にウェールズ南方の修道院で、修道士たちによってまとめられた書物だと、考えられている。従って、成立自体は中世なのである。
 「マビノギオン」の中には11の物語が含まれているが、その中で、実際に「マビノギ」の語が出てくるのは、最初にある「マビノーギの4つの物語」と呼ばれる4つだけだ。
 マビノギ、とは、息子を表すマブ(mab)から発した語とされ、最初の4つの物語を通して誕生から死までが語られる人物、プレデリを指すとされる。
 さて、このマビノギという言葉は、「マビノギ」の時点ですでに複数形になっているのだが、最初にこれを英訳したシャーロット・ゲスト夫人はそれを知らず、複数形にするべきものと考え、語尾に’on’をつけた「誤記」である「マビノギオン」という語をタイトルにしたのだ。

 発端は、未熟な学識から生まれた間違いだったものの、このタイトルは広く知られているため、今でも「マビノギオン」という呼称が使われている。
 ほかに適当な題名も見つからないし、なにより、「マビノギオン」は、とても響きの良い言葉ではないか。


原典

 この物語の原典は、大きく分けて二種類ある。
 アバレストウィスのウェールズ国立図書館に保存されている「レゼルッフの白い本」(Llyfy Gwyn Rhydderch,1300−25)。こちらには、いくつか大きな欠損部分がある。
 もう一つはオックスフォード大学ジーザス・カレッジが所蔵する、「ヘルゲストの赤い本」(Llyfy Coch Hergest、1375−1425)。

 「白い本」のほうが少し成立年代が早いと推測されている。「赤い本」「白い本」だなんて、なんだかちょっとミステリアスな響きがある。
 なお、不完全ではあるが、ウェールズ国立図書館には「白い本」よりさらに百年ほど古い、「ペニアルスの写本」(Mss.Peniarth)が残されている。

リスト

 なお、この本の中に収録されている11の物語は、以下のような3つのグループに分類することが出来る。


 マビノーギの4つの物語
   ダヴェドの大公プイス
   スィールの娘ブランウェン
   スィールの息子マナウィダン
   マソヌウイの息子マース

 カムリに伝わる四つの物語
   マクセン・ウレディクの夢
   スィッズとスェヴェリスの物語
   キルッフとオルウェン*
   ロナブイの夢*

 アルスルの宮廷の三つのロマンス
  ウリエンの息子オウァインの物語*
  エヴラウクの息子ペレドゥルの物語*
  エルビンの息子ゲライントの物語*

 このうち、をつけた5つが、アーサー王に関係するもの。
 「アルスル」は、Arthrと書き、見た目のまんま「アーサー」のことである。

(この「アルスル」は、実在した人物が元になっている可能性もあるが、歴史上のアーサーを探す試みは、ことごとくコジツケに終わる傾向があるので、このサイトでは今のところ、「元になった人物はいたかもしれないが、既に原型は失われ、今のアーサーは物語上だけの存在である」と、いう意見を取っている。)




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