古英詩 ベーオウルフ-BEOWULF

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敵対者たちは何者であったのか

 この物語が書かれた当時の人々にとって、竜は実在するものであったらしい。
 歴史書に、「竜の飛来」を書き記すほど、空想と現実がいりまじっていた。あるいは、理解しがたいものや、特定の気象現象 を、生き物になぞらえたものが「竜」だったのかもしれない。
 ただし、その竜とは東洋の神々しいイメージではない。邪悪な生き物であるとのイメージであったが、トカゲの形をして、コウモリの羽根などが生えているわけではなかった。羽根がコウモリのようなものであることもあれば、 鳥の羽根であることもあり、さらには羽根がなく、単なる蛇のようであることも、足がたくさん生えたムカデのような姿であることさえあった。
 要するに、何なのかよく分からない、得体の知れない巨悪のことを、すべて「竜(ドレキ)」と、呼んだらしいのである。


 北欧の伝承において、竜は黄金にまつわる存在であることが多い。ニーベルンゲンの黄金、シグルドのサガでもそうであるように、「ベーオウルフ」に登場する竜もまた、大地の底に眠る財宝を 抱え、たった一つが盗まれただけで人間たちへのあまりにも激しい報復を試みる。

 竜が、気候の乱れ、たとえば大嵐といったような、生身の人間にはどうしようもない大破壊をもたらす存在として描かれるだけのものであったなら、黄金との深い関係は生まれなかったはずだ。
 竜たちは、なぜ黄金を守るのか? 何か彼らを黄金に牽き付けるのか。

 ニーベルンゲン伝説に登場する、黄金を守る竜ファーブニルは、もとは人間(小人、あるいは巨人族とも)の姿をしていた。しかし、黄金欲しさのため父親を殺し、兄弟たちを退けて、自ら竜に変化する。
 ベーオウルフには、黄金を守る竜がもと人間であった表記はされていないが、その黄金を大地深く埋めた男、滅びた一族の最後のひとりが、竜に変化したと、読めなくも無い。
 (なぜなら、一族無き今、その男の最後の役目は黄金を隠すこと、守ることであり、彼はもはや必要のないはずの富をわざわざ人目につかぬよう保存した人物だからである。…黄金への欲が全く無かったら、こんなことをするだろうか?)

 竜は、欲望の象徴でもある、と読めるのではないだろうか。
 人間の悪しき感情、醜い内面を形にして、外に出したものである。だからこそ、勇者たちはこぞって竜退治に出かけ、倒すことで成長し、誉を得る。倒すのに非常な困難を伴うのも、失敗して命を落とす者がいるのも、また道理。なぜなら、その生き物は、自らの悪しき欲望の投影でもあるのだから。

 しかし、これは、一つの視点に過ぎない。
 ならば竜に挑んで倒れたベーオウルフは欲望に負けたのか? と、言うと、そうではないからだ。黄金を欲して竜を怒らせたのは彼ではないし、彼は、死すべき運命にある年老いた王だった。
 そして、この竜は、黄金を守る竜である以前に、「人々を苦しめる」悪竜だったのだ。

 この場合、竜を倒し、生き残ったもう一人の人物、ウィーラーフにこそ、竜退治の英雄の名は相応しいだろう。
 化け物退治は、一族の王を奪い去ったかわり、莫大な富をもたらした。叙事詩の世界において、竜退治を成し遂げた者には、大いなる栄誉が与えられることになっている。ベーオウルフ亡き後、その意志を継ぐのはこの人物なのだと、物語の語り手は言いたかったに違いない。

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 これに対し、前半の敵対者であるグレンデルとは、異形のものというだけで、具体的な姿はなかなか見えてこない。水に潜む鬼という怪物は、人々がにもともと持っていた概念なのだろうか。それとも、何か別のものを視覚化したものであろうか?

 グレンデルの性質述べられている記述は何箇所かあるが、それによれば、グレンデルとその一族は、「兄弟殺しのカインの罪から生まれた存在」だという。グレンデルは人と交わることができず、賑やかなヘオロットの暮らしが妬ましくて仕方が無かった。そのため、ロースガールの国を襲い、荒らしまわるのだという。
 だが、ベーオウルフ伝承がキリスト教改宗以前から存在していたものであることが事実だとすれば、グレンデルとその一族についての「兄殺しのカインの罪から生まれた存在」という出自は、後付けされたものということになる。(アベルとカインの話は旧約聖書に出てくる)
 この出自を取り払ってしまえば、彼ら水魔の一族が沼に住む理由も、人を憎む理由も見当たらない。それどころか、独り子の息子が傷つけられたことに対して怒るグレンデルの母の所業は、なんとも人間臭くすら感じてくる。

 そもそも彼らが怒ったのは、ヘオロットの城が建てられたことによって自分たちの生活が脅かされたからだ。むしろ人間側が無作法な侵入者では無かっただろうか?
 確かにグレンデルは城の人間を何十人も惨殺している。しかし、計画的に館を襲い、勝てないと知るや退くことを知っている。挑発のために王の側近を一人だけ殺すといった戦法も取っている。決して理性のない単なる怪物ではなかった。

 ここから推測するに、グレンデルら水の魔物たちもまた、元は人間であったと考えられる。
 竜の中に人間から変化したものがいるように、グレンデルとその母も、何がしかの理由で怪物に変化せざるを得なかった人間とは考えられないだろうか。聖書の影響は、その理由を聖書的にすることにおいて現れている。
 また、彼らが魔物の姿をしているのはカインの罪というが、聖書においてはカインは人間である。物語の背景となる世界がキリスト教への改宗によって変化していても、人間が罪や欲によって異形のものに変化するという基本的な部分では変わっていない。
 とどのつまり、水魔もまた、ゲルマン民族が古来より持っていた原始的な恐れの対象に他ならない、と考えられる。
 怪物たちが、ともに単なる怪物ではないことは、恐らく確かであろうと思う。


 グレンデルの母である水の魔女もまた、水底の館に財宝の数々を隠し持っている。
 竜は洞窟や地底に宝を溜め込み、水魔は水底に黄金を隠す。どちらも同じ、宝への強い執着と欲を表している。地上において欲にとらわれた者が竜となり、水底において欲にとらわれた者が水魔となる。そして、両者を倒す存在であるベーオウルフは、無欲であり、どちらの場合においても宝に手をつけることをしない。
 物語の前後に語られる二種類の敵は、どちらも、人間の内面に在る悪しき部分を象徴しているような気がする。

 これは一つの読み方に過ぎないが、「ベーオウルフ」は、単なる怪物退治の話ではない、と私は思っている。
 物語の中には、多くの、人間たちの戦いも語られる。手ひどい裏切りがある。惨めな敗北もある。それらはすべて歴史として語られる。
 その中で、目に見える悪との戦いが、グレンデルや水魔、あるいは竜との戦いだったのかもしれない。

 人と人との戦いには、善悪など無いだろうから…。


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