物語の中に登場する人物のほとんどは、実は実在していた人物だといわれている。 しかし、中には実在していなかった架空の人物も存在していた。
実を言うと、主人公のベーオウルフも、存在した証拠の無い人物なのだが―――、
この、架空の人物たち、いわば物語を進めるために生み出された人物たちの名前には、様々な意味合いがこめられているようだ。
例えばウンフェルス。
彼はロースガール王の家臣のひとりで、ベーオウルフに嫉妬を抱き、難癖をつける人物だが、この名前には、「不和をもたらす者」の意があるそうだ。このような縁起の悪い名前がつけられることは無かったはずで、これは、ウンフェルスが詩人によってベーオウルフに対抗する悪徳の象徴として生み出されたことを意味しているという。
次はウィーラーフ。
北欧ではよくある名前らしいのだが、言葉どおりに訳すると「戦に生き残りしもの」。主君ベーオウルフとともに竜と戦い、生き残る彼には相応しいと考察者は述べている。
さらに第16節から17節へと続く、吟遊詩人の歌に登場する、グースラーフとオースラーフという人物がいる。
グースラーフは「戦いの生き残り」の意、オースラーフは、「オルドラーフ」の写し間違いではないかとみなされ、こちらも「切っ先を逃れた者」という意味。戦いに生き残る者につける名前には、ふさわしいと思われる。
このように見てくると、主人公ベーオウルフの名に課せられたものも、あるいは、かつて存在した過去のベーオウルフ、シルド−シェーヴィングの息子としてのベーオウルフの再現であったのかもしれない。「転生」というと別の神話世界の話になってしまうが、かつての指導者の息子と同じ名を持ち、人間離れした力を持つ英雄ベーオウルフには、確かに半神としての素質は備わっているのだろう。
また、古代北欧社会には、次のような名前にまつわる常識があった。
・まだ名前をつけられていない子は、人間とはみなされない。
・従って、名前をつけられる前の新生児は、殺しても罪にはならない。
・子供に悪い名前をつけると、早死にすると信じられていた。
そのために、過去に偉大な行いをした王の名前などを好んで子供につけ、その人物のようにあれ、と願ったのである。
名前がいかに重要な意味を持つかが、伺える。
つまり、名前には、すべて意味があると考えたほうがよい。
北欧神話の文献「エッダ」において、登場する全ての人物に対し、名前の意味の分析が試みられているのは、そのような理由もあると思われる。名は体を現す、ではないが、神話上の登場人物ともなればこそ、つけられた名前は、おそらく、その人物の本来の姿、あるいは本質をあらわす可能性が高くなる。
しかし名前の意味だけが、その人物の全てでないことも、確かである。
生きた人間が次第に成長していくように、神話や伝説の中の登場人物たちも、語り継がれるうちに、少しずつ性格を変えていく。
物語の中で果たされる役割と、名前の意味、この二つをそろえて考えて、はじめて、その「人物」の姿が見えてくるのではないだろうか…。