■アーサー王伝説-Chronicle of Arthur |
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アーサー王が「実在した」とされる時代は、およそ5世紀末から6世紀はじめ。ただし、その時代にアーサー王が「実在した」から伝説が作られたのではなく、伝説によって、過去に遡って「存在した」ことにされた―― と、いうのが正しい。元ネタとなる人物がその頃に本当にいたのかどうかすら、現在は確証がない。
アーサーの名は、およそ1100年ごろに書かれたと思われる「ウェールズ年代記」という年代記(写本)の中に初めて登場する。写本自体は新しく、内容には神話的な付けたしもあるため、歴史的なアーサー王が実在したという一次記録にはならないが、ある程度の歴史的事実は含まれている、と、考えられている。
もう少し具体的に明しよう。
「ウェールズ年代記」には、紀元518年にバドンの丘でアーサーという名前の武将が勝利を収めたこと、紀元539年にカムランの戦いで死亡したことが記されている。写本が新しいため、その記述は、過去にあった出来事を言い伝えに従って書いた不確実なものかもしれない。だが、何らかの大きな戦いがあったらしいことは、遺跡の発掘や他の資料からもある程度裏付けることが出来るため、まったくのでっち上げではない。
問題は、出来事が起こった年が正確かということと、アーサーという人物が本当にその戦いにいたのか(後世の付けたしではないのか)と、いうこと。これについては証明することが出来ない。年代記という性格上、何百年もかけて少しずつ歴史が書き足されていったはずで、どこかで、いちばん最初のオリジナルと記述がすり替えられた可能性も否定できない。写本は手書きで写されるため、意図的ではないにせよ年代が間違っているかもしれないし、その戦場にアーサーは居なかったかもしれない。
だから例えば、実際にバドンの丘で戦いが起きたのは300年だったり700年だったりするかもしれないし、戦いはあったがアーサーはその戦場にはおらず、別の時代から連れてこられて追記されただけかもしれない。
この書物が、アーサーが生きていたとされる――つまり、「バドンの丘の戦い」や「カムランの戦い」が起こった同時代に書かれたとは思われない以上、いつかの時点で過去に遡って記録を書いたはずで、伝聞による不確実な記述に過ぎない可能性は否定できないのだ。そんなわけで、アーサー実在に関する、決定的な証拠にはなり得ないのである。
ただし、歴史上に実在したかもしれないアーサー像の前提は、この、「ウェールズ年代記」が原点になっている。真実であろうとなかろうと、記述を信じた人々によって伝説の再構築はここから始まる。
アーサーとは、ローマが去った紀元5世紀末から6世紀、ブリトン人(=ローマ化したケルト人)を、スコット人やピクト人、サクソン人など侵略者から守った偉大な指導者である、…と、いうのが、もともとの英雄像のスタートだ。
存在したと仮定される<彼>は、バドンの丘の戦いで勝利し、侵略者を退けたが、カムランの戦いでメドラウトの裏切りによって命を落とし、侵略を許す。
そのアーサーのイメージが、ローマと戦ったり大帝国を築いたり円卓を持ったりする「ロマンティックな為政者」に変わったのは、ジェフリー・オブ・モンマスの「ブリタニア列王史」という著作の影響だ。
ジェフリーは、「ウェールズ年代記」と並ぶ資料である「ブリトン人の歴史」、また、その他にいくつかの書物を元に想像力を逞しくし、過去の歴史を「創造」していった。そうして書かれたのが「ブリタニア列王史」で、過ぎ去ったブリトン人の栄華を偲ぶかの如く、立派なアーサー王の像が作られていった。
伝説、物語としてのアーサー像は、ここが原点である。
この書物は、アーサー単独について語っているわけではなく、トロイアから逃れてきたブルータスから始まっている。いわば神話伝承の世界から物語を開始して、ウェールズを治めた代々の王たちについて語りながら、その系図の最後のほうにアーサーを登場させている。
結局のところ、「ブリタニア列王史」は、歴史ネタの素材を繋ぎ合わせて作られた、壮大な歴史ファンタジー小説なのだと思う。元々は別の時代に生きた存在だったはずのアーサーとマーリンが、同一の舞台に載せられ伝説が一つにされたのも、ここからだ。
アーサー王「伝説」を「歴史」として語ろうとするならば、ジェフリーより前の時代に遡り、ジェフリーが空想で付け足した部分を省かなくてはならない。
と言っても、ジェフリーより前の時代の資料でアーサーについて言及されている主なものは、既に挙げた「ウェールズ年代記」、「ブリトン人の歴史」以外にない。その他、詩人アネイリンの詩などもあるが、書かれた時代は定かではなく、さして具体的な記述があるわけでもない。(後の時代に書き足されたかもしれない)
実際のところ、ジェフリーがカッコよく「アーサーは過去に存在した偉大なる王なのだだだ!」…などと書き出す以前に人々が持っていたアーサー像というのは、有名で強かった武将…で、しかない可能性が高い。「軍を率いる者」とは呼ばれいても、「国を統べる者」とか「統治者」といった肩書きは、ついていないからである。
これらから想像するに、もし歴史上、アーサーに相当する人物が存在したとしたら、
・軍の指揮官。自身が王ではなく、王の家臣だった可能性在
・サクソン人との戦いで、人々の記憶に残るような勝利を収めた人物
・王というより英雄、猛将
…と、いう感じではないだろうか。
しかしそれも、記述が短く、具体的なところは書かれていないため、曖昧だ。また、記述自体、後世に書き足された可能性もあるため、どこまで正しいのかも分からない。
人々がロマンティックなアーサー像を追い求め、歴史的に真実なアーサー像を望まないのは、帝王アーサーが実は一介の兵士でした、なんて結末だったらどうしようかと恐れるためでもあるはずだ。(実際のところ、実在したアーサーの原型は、偉大な王ではなかった可能性のほうが高そうだ。)
以上は書物からの検証だが、もちろん考古学的な視点から、実際に発掘される物品を元にした検証も行われている。書物に記された地名や年代と、その場所を発掘してみての結果が合致すれば、書物の内容は信憑性が高いとされる。考古学的に裏づけがとれる部分もあるため「ウェールズ年代記」の中身がデタラメではなさそうだが、全てが正確ではない。また、アーサーらしき人物が存在したという、確実な物的証拠は、まだ見つかっていない。
つまるところ、「アーサーという名前の人物」が実在したかどうかは、今のところ証明も否定もされていないということ。
(そして、もしかしたらこれからも、永遠に――"証明"は、されないのかもしれない。)
アーサー王のファンたちは、ゆえにこう言う。「真実は、霧の彼方に」と。