海に行く訳 1/5

      

 
小学校の頃、プールで溺れてから水は苦手だった。海も足のつかない所は避けていた。ただ、「海の男」と云うのにはず 〜 っと憧れていたのだと思う。自分の手の届かない、遠い存在として。

 10代の頃、テニス。20代の頃、オートバイに夢中になった。そして、30才。テニスやオートバイへの情熱が薄れた頃の夏、何度も西伊豆の海に行った。皆が魚を突くのをライフベストをつけプカプカ浮いて見ていた。格好いいなぁ、でも俺には無縁の世界だなぁ・・・、そう思って。

 その年、1985年の9月。これがその夏最後の海になるだろうと思って行った、いつもの海。少し、潜ってみようと思った。ライフベストを脱いで、えいやっ! と潜ってみる。初めは全然息がもたなかった。当然。ここは俺のいる場所じゃないのだから。

 でも、何度も潜っているうちに、ふっと海中でリラックス出来る瞬間があった。これは何だろう? 何度も繰り返すと、そのリラックスした時間が少しづつ、長くなるような気がする。そして、水深2 〜 3mの所の岩につかまって、ふと、水面を見上げてみた。太陽がキラキラ光っていた。阿呆みたいに、「きれいだなぁ!」と、心底思った。これを来年の夏まで出来ない? そう思うと、むず痒い焦燥感が込み上げてくる。 

 これは、何なんだ?

 海は俺に関係ない筈だったんじゃないか? 「ウェットスーツを作れば、夏を待たなくても潜れるよ」 仲間のその一言が初めの一歩だった。

            「海に行く訳 2/5」への扉