2005年4月5日
「瑞穂区中根周辺(みずほくなかねしゅうへん)」
名古屋市瑞穂区
地図
撮影 OLYMPUS E-10
東山荘へ行った日、瑞穂区の中根周辺も巡った。 まだ更新してなかったので、5日遅れだけどしよう。 写真のここは瑞穂陸上競技場。 その中の北陸上競技場だと思う。 広々してて、いい天気で、気持ちよさそうだった。 瑞穂公園の中には、この他メインの陸上競技場、 野球場、ラグビー場などがあり、 名古屋のスポーツの中心地となっている。 名古屋グランパスエイトのホームグラウンド でもある(チームの本拠地は豊田だけど)。 |
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山崎川の桜並木。 名古屋ではかなり有名スポットで、 知名度でいえばベスト3に入るだろう。 けど、ここは昔よりよくなくなってしまった。 桜の木を切ってしまったんだろうか。 前はもっとすごかったような気がする。 ここへ行ったのは4月5日だったので、 開花状況はまだこの程度。 10日現在はもう満開になってるだろう。 |
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それなりに人も歩いていた。 けど、まだ桜は全然。 この写真を見ると、 3日くらいで一気に満開になってしまったんだ ということが分かる。 ここ数年は特に早くて、4月早々に散ってしまって いたなんてこともあったから、 今年はそれに比べてかなり遅かった。 |
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瑞穂区の中根周辺は、弥生時代から開けた場所 だったらしく、戦国から江戸時代にかけての 史跡などが残っている。 ここは東八幡社。 このあたりは織田信長の弟、 信照が城主をしていたところで、 その信照は信長の弟とは思えないほど おとなしい人だったらしい。 |
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村の人間たちにも、中根の馬鹿殿様と呼ばれて いたんだとか。 というのも、あの戦国時代、信長の弟でありながら 一度も城から兵を出して 戦をしたことがなかったんだとか。 馬もいないんじゃないかと噂されたので、一頭の馬 を一日に何度も城から出入りさせてたくさんいる ように見せかけたというエピソードも微笑ましい。 本当の馬鹿殿だったのか、それとも見せかけだけ だったのか、信長はどう思ってたんだろう。 |
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南ノ城跡である観音寺へ行こうとして ずいぶん迷った。 このあたりの道はとても細くて、一方通行が多い。 何度もぐるぐる回っても見つからず、 結局遠くに路上駐車してm 歩いてようやく入り口を見つけた。 と思ったら、ちゃんと駐車場もあった。 分かりづらー。 案内標識もあまりないし。 |
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入っていったら、普通の新しめのお寺さんで、 民家の庭みたいだったので、 違ったところに入ってしまったのかと思った。 城跡を示すようなものは見あたらない。 奥へと進んだら、ちょっと古めの社だろうか、 これがあったので、どうやらここらしいと安心する。 |
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古いもので残っているのは、 この大きな切り株くらい。 元は大松だったようだ。 相当太いから、もしこれが残っていたら 壮観だったろうに。残念。 |
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次に向かったのは、中根銅鐸発見の地。 これもすぐには分からなかった。 ちょうど家から出てきた男の人がいたので 訊ねてみると、親切に教えてくれた。 このへんではやっぱり有名らしい。 あった、あった、これか。 って、これだけか? あるのは立て札のみ。 隣は公民館。 |
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しかしまた、銅鐸とは懐かしい響きだ。 学校の教科書で見た以来かもしれない。 弥生時代の青銅製の祭器という説が有力だ。 実際のところは分からない。 ところで肝心の中根銅鐸はどこにあるかというと、 ここにはない。 兵庫県の辰馬考古資料館にあるらしい。 ええー、そうなのかぁ、それが見たかったのに。 |
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立て札の奥に見えていた西八幡社にも入ってみた。 中根には、北、中、南、と三つの城があったそうだ けど、ここはそこからは少し外れている。 鳥居には西八幡社とあるけど、 建物としては宝蔵寺になるんだろうか。 |
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宝蔵寺にある、宝筐印塔。 江戸時代末期のものとか。 とりあえず史跡巡りはこんなもの。 |
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これでもかと咲くユキヤナギ。 超満開。 |
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またこいつか。 分かるようで分からないもどかしいやつ。 名を名乗れ、このキク野郎め、 と花に八つ当たりをしてしまう。 |
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東山荘行きの流れで寄った瑞穂区中根周辺。 細く曲がりくねった道に手こずりながら、なんとかだいたいのことを回った(中ノ城跡と北の城跡は回りきれなかったけど)。 大きな収穫はなかったものの、織田信長の弟信照にまつわるエピソードを知ることができたのはよかった。あんなささやかなエピソードは、歴史の本には載ってない。 実際に自分で足を運んでみると、その土地に関して興味も出てきて、いろんなことを知ることができるという面白さがある。 瑞穂区もこれまでほとんど馴染みがなかったけど、今回で少し様子が分かった。 山崎川も機会があればもう一度満開の桜を見に行きたい。 |