2005年3月25日
「明治村-2
(めいじむら)
愛知県犬山市
地図
撮影 OLYMPUS E-10

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明治時代の代表的な乗り物だった乗合馬車。
広場2周、約5分で500円。
乗ってみたい気はするものの、
確実に見知らぬ人の写真の被写体に
なってしまうという恥ずかしい思いもついてくる。
乗るなら人のいないときを見計らって乗りたい。
品川灯台。
現存する最古の様式灯台。
(日本最古の様式灯台は、
横須賀にあった観音崎灯台らしいけど、
それは現在新しいものに造りかえられたとか)
これは昔のものだから意外と小さい。
残念ながら中に入ることはできない。
電車の品川灯台駅の横を通ったとき、
いいタイミングで花電車が入ってきた。
もう少し近くまで引き寄せて撮れるとよかった
のだけど近づきすぎてひかれてる場合じゃない。
これは開村40周年記念で、5月8日まで
毎日運行されている。
100年前の1905年も、日露戦争の戦勝を祝って
東京をイルミネーション付で走ったそうだ。
車両も当時のものだったりするのかもしれない。
西園寺公望の別邸「坐漁荘」。
政治家の一線を退いた後、
駿河湾奥の興津市に建てた邸宅。
大正時代のものらしいけど、
なつかしい感じの日本家屋だ。
ここでも写真パネルが玄関口に立っている。
幸田露伴の住宅「蝸牛庵」の玄関口。
幸田露伴といっても今どきの若い人は知らない
だろうけど、当時は尾崎紅葉とともに
一世を風靡した有名作家だ。
といっても、私もちゃんと読んだかといえば、
読んでないのだけど。
蝸牛庵というのは、カタツムリの家という意味で、
自分をカタツムリのなぞらえ、何度も引っ越しを
したらしい。
でもここはその中でも10年間住んだというから
けっこう愛着があったんじゃないだろうか。
幸田露伴邸宅の庭。
梅の木だと思うけど、
一本けっこう咲いていてよく目立った。
日本家屋にはやはり梅や桜がよく似合う。
北里研究所本館。
でかっ。
医学の研究施設とは思えないような
近代的でセンスのある建物だ。
貴族の洋館に見えなくもない。
細菌学の先駆者である北里柴三郎博士が
東京の白金に建てたもので、
医学者らしくドイツのバロック調建築で、
色合いもいい感じ。
森鴎外と夏目漱石の住宅。
そう、二人は同じ家に住んだことがあるのだ。
といっても、もちろん二人一緒ではなく、
元々明治20年頃医学博士の中島襄吉の
新居として建てられたこの家に、
明治23年森鴎外が借家して1年ちょっと住み、
その後明治36年から39年まで夏目漱石が
借りて住んでいた、ということだ。
漱石の『吾輩は猫である』はここで書かれた。
漱石の書斎。
例によって難しい顔をした漱石のパネルがあり、
縁側にはモデルになった猫のパネルが
ひなたぼっこをしている。
漱石の奥さんによると、
ものすごく嫌そうな顔をながら、
『吾輩は猫である』を書いていたらしい。
あんなに面白い話を、これ以上ないってほど
苦痛に感じて書いていたというエピソードが
私は好きだ。
西郷從道の邸宅。
なんだありゃ、でかいなぁ。
遠目で見ても威風堂々、嫌みなほどでっかい。
西郷隆盛の弟、西郷從道が東京上目黒の
敷地内に建てた接客用の屋敷。
どっからこんな金が出たのか知らないけど、
とにかく外観も中の調度品なんかも
贅沢極まりないくらい。
悪趣味というのでもないのだけど、
清貧というイメージのある兄貴とは
ずいぶんかけ離れた印象を受ける。
建物の設計もフランス人建築家レスカスのもので、
内部の家具や食器類などもほとんどすべて
フランス製の舶来ものらしい。
どっかの貴族様のお屋敷みたい。
明治政府のいろいろな大臣を歴任している
とはいえ、元から贅沢好きな性格だったのだろう。
聖ヨハネ教会堂。
明治40年、京都の河原町通りに
建てられたもので、
一階は日曜学校や幼稚園に使われ、
会堂は二階に作られている。
ちょっと変わってる。
夏暑い京都らしく、風通しのいい二階に
会堂を作ったという説も?
外観は煉瓦造りで風格がある。
ちょっと絵本っぽい?
ウエディング姿の花嫁さん、
ではなく、結婚式を取り仕切る会社の
お姉さんたちだろうか。
明治村の3つの教会で、実際の結婚式を挙げる
ことができるようになっている。
雰囲気重視ではあるけど、雰囲気は出るだろう。
映画やドラマなどの撮影に使われることもあり、
少し前に「スパイ・ゾルゲ」で小雪がここで
ウエディングドレス姿の花嫁を演じた。
大井牛肉店。
明治20年頃、外国人相手に牛肉の販売と
牛鍋を食べさせる店を始めたのが、
ここ大井牛肉店だ。
そして、今も実際、ここで当時の牛鍋を
食べることができる。
4,000円〜。
鉄道局新橋工場。
明治天皇御料車と、昭憲皇太后御料車が
展示されていたのだけど、勝手に中を見ることは
できないようだった。
ガイドさんがいて何人かで見学してたから、
申し込めば見させてくれるのかもしれない。
車両内は相当豪華な作りになっているようだ。
工場内にあった、明治神社。
開村40周年を記念して、
明治神宮の分霊を奉斎する「明治神社」を
村内に創建したということらしい。
3月にできたばかりだそうだ。
どうりで真新しかったわけだ。
三重県庁舎。
私の生まれ故郷の三重県にこんな洒落た
建物がかつてあったのか。
ちょっと嬉しい。
中には三重県にまつわるいろいろなものが
展示されていた。
何故か椅子の展覧会があって、
当時の椅子がたくさん展示されていた。
何故椅子だったのか?
三重県庁舎内の二階にある広間。
ダンスフロアかと思ったけど、
まさかこんなところでダンスはないだろう。
お客を招いてパーティーなどを
開いたところだろうか。
こういうものを見ると、
時代というのは全面的に進歩、
進化しているわけではなくて、
ある部分では退化してるのかもしれないな
と思えてくる。
ある意味では明治時代の方が今よりも
ずっと贅沢だった。
なんだ、この大きな蔵みたいなものは?
蔵みたいなものではなく、菊の世酒蔵という
実際の蔵だった。
明治の初め、碧南市に穀物蔵として
造られたものを、
明治28年、刈谷の菊の世廣瀬酒造が
仕込蔵として建て直したもののようだ。
現在は酒造りの様子が分かるような展示が
されている。
だんだん閉まる時間が迫ってきて焦る。
あとちょっとで全部回れそうだけど、
急がないといけない。
多少省略しつつ先を急ぐ。
遠くに見えているのは現在、明治村村長として
使われている建物で、
元は東山梨郡役所の建物だったものだ。
近くまで行く時間がなくて、
遠くから写真だけ撮った。
まさか、現村長の小沢昭一(三代目)は
いなかっただろう。
初代村長は徳川夢声で、
二代目はあの森繁久弥だったりする。


 3時間の中で回れるだけ回れればいいやと最初は思っていたけど、急げば全部回れそうだと思ったら先を急がずにはいられなくなった。
 このあたりから、だんだん見て回ることよりも写真を撮るだけになりつつある。

 というわけで、更に第3弾へと続く。

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