2005年3月14日
「城山八幡宮
(しろやまはちまんぐう)
名古屋市千種区
地図
撮影 OLYMPUS E-10

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信長の父信秀と弟信行つながりで、
桃厳寺の後、末森城跡も訪れた。
現在は城山八幡宮になっている。
写真は正面入り口の鳥居のところで、
末森城跡の案内板が立っている。
ちょっと注意が必要なのは、この場所が駐車場
とつながってないということだ。
「城山八幡宮前」の交差点を北上すると
行き止まりになってしまう。
駐車場へ行くには西の「末森通2」交差点を
北へ50m行って右折した先になる。
上にあがってきたところ。
駐車場はこの左側にけっこう広くある。
トイレもあるのだけど、閉まっていた。
うっ。
境内の案内図。
広さはまずまずだけど、ここを取り囲む空堀が
かなり残っているのがすごい。
城などの建物は何も残っていないようだけど、
空堀がここまでちゃんと残っているのは珍しい。
名古屋のけっこう街中なのに。
神門から見た拝殿。
なかなか品があっていい感じ。
この門が閉まるのはけっこう早いようで、
4時半頃帰るときにはもう閉まっていた。
拝殿と神額。
手前は賽銭箱。
挨拶代わりの100円投入。
神社仏閣を回れば回るほど貧乏になっていく
ような気がするのは気のせいか。
今さら10円とかに下げるとかえって
罰が当たりそうで、つい100円入れてしまう。
50円玉なんていつもあるわけじゃないし、
そのときの気分次第で値段を変えるのも
なんとなく気が引ける。
外国旅行でチップをいくら渡すか悩む
日本人みたい。
何故か錨。
詳しいことは忘れてしまった。
海軍がどうとかこうとか、
横須賀がどうだとか、
そんなような違うような。
絵馬とおみくじ満載。
ここは宮司さんが常駐していて、
社務所も開いていた。
何の神様なのかよく知らないけど、
これを見るとけっこう願い事に訪れる人も
多いようだ。
境内では車のお祓い用のスペースもあった。
神楽殿(かぐらでん)。
神楽を奉納するところ。
なんだけど、じゃあ神楽って何と私に訊かれても
困る。
煙が見えてるのは建物が燃えてるわけじゃない。
何かを燃やしてたようだ。
木か何か(たぶん)。
子供の頃は庭で何でも燃やしたもんだけど、
最近はうるさいからそういう光景は
ほとんど見られなくなった。
庭でゴミを燃やすのは楽しい作業だったんだけど。
お稲荷さんもあった。
朱色の鳥居はいつも心惹かれるものがある。
キツネは見たことないけど、
親しくできそうな気がする。
境内全域犬の散歩を禁止します、
と大きく太く書かれている。
ここはかなり神聖さを保とうとする意志が
感じられるところだ。
それはいいとして、その隣だ。
過激派ゲリラにご注意を、とあって、
その下にこんな注意書きがある。
同じ所を行き来している。
私?
参詣もせずに様子をうかがっている。
私かも?
堀、垣根越しに様子をうかがっている。
私、そうやって写真撮ってるかも。
建物の裏側などを撮影している。
いかーん、ことごとく当てはまってるー。
私、マークされたかも。
花粉症のマスクをしていかなかったのが
唯一の救いだ。
ヒラヒラ飛んでるのがいて、
おっ、蝶々か?
と喜んだら蛾だった。
ちょっと残念。
そろそろ蝶が飛んでもいい気候だと思うけど、
今年はまだ見ない。
空堀の様子。
神社をぐるりと取り囲むように残してある。
割と深いところもあって、
外敵からの守りにかなり備えていたのが分かる。
築城は信長の父信秀で、
その死後、信長の弟信秀が城主になった。
ただ、信行が信長に殺された後
廃城になってしまった。
だから城としての姿を保っていたのは
短かったようだ。
千種区の街並みが少し見えた。
ここを下におりたところは、
ちょっとした展望台になっている。
そんなに見晴らしがいいというわけでも
ないけれど、東山のタワーくらいは見えた。
昭和3年に建てられた昭和塾堂という
洋風建築の建物。
当時はモダーンだっただろう。
現在は愛知学院大学院の敷地に
なっているようだ。
実際に使っているのかどうかは分からない。
なかなかの趣がある。
このまま保存すれば資料建築としての
価値も上がりそうだ。
境内を出て少し歩いたところに、
連理木(れんりぼく)という木が立っていて、
縁結びの御神木となっている。
自生のアベマキで、途中で分かれた幹が、
再び一体になっているところからきてるらしい。
なるほど、言われてみればそうなってる。
横には願い事が書かれた絵馬がかかっていた。


 城山八幡宮が思いの外立派で、末森城跡であることがかえってかすんでしまっていたのだけど、神社としては小さいながらもなかなか格調があってよかった。
 短時間の間に訪れる人も何人かいたところをみると、私が知らなかっただけで、地元では有名な神社なのかもしれない。
 初詣が似合いそうな雰囲気でもあった。

 末森城跡の石碑があるはずなんだけど、見つけられずに終わってしまった。どこにあったんだろう?
 鳥居の南側らしいんだけど。

 しかし、まさか過激派ゲリラには見えないよなぁ、私。

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