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『英文法を撫でる』

渡部昇一


PHP新書
 渡部昇一の本は人によって好き嫌いが別れるところだと思う。私も何冊か読んだが、読んでて嫌になってくる部分も結構有るのだけれど、それでもやっぱり読んでて参考になる部分が有るのも事実なので、まあぼちぼちと読んでいる訳です。で今回は、彼の専門である英文法に関する本についてです。

 渡部氏は学生時代からの英文法中毒(どんな中毒だ)で、本書は彼が今まで英文法にどう関わって来たかという話を中心にした雑記のようなもの。文中には如何に著者が英文法を極めたかが、かなりの自画自賛と共に語られており、まあこの部分は無視しても構わない。ま結局は著者は、最近の英語教育は「会話重視」だのと言われて久しいが、文法を疎かにしてはならぬ、ということが言いたいのだろうと思う。文法を重視する日本人の心性を渡部氏は昔の日本人の漢文の受容にまで起源を求めている。そして文法教育の有用さを説く。大学では会話力よりも読み書きの能力の方が大事なのは私も知ってるので、その辺には異論は無いのだけれど、話が大学で学位を取ろうとしてる人だけにしか通用しないので、普遍的な説得力に欠けるのはどうしようもない。

 さて興味深く読んだのは、冒頭の good morning の部分である。氏は文法にとって重要なのは「歴史」と「比較」であると言う。つまり古英語・中英語という「歴史」の検証と、ドイツ語等との「比較」という作業を通して、文法について考えていくのである。これは一応やはり英語学者でないと出来ないもんなんだろなと思わせるところではある。ここで渡部氏は文中で名こそ挙げてはいないが、明確に副島隆彦の『英文法の謎を解く』の一説を批判している。一方、批判された副島氏は、後の著書『続・英文法の謎を解く』で、渡部氏に反論している。この論争についての私の考察を多少長くなるが書いてみるので、皆さんも考えてみて下さい。

 先ず批判された副島氏の主張は、good morning は You have a good morning.の略である、というもの。一方、渡部氏によれば、good morning は I wish (to) you a good morning! の略であると主張する。歴史的にもアルフレッド大王以来、そういう言い方が文献に残っているかららしい(だったら例文の1つでも挙げればいいのに)。更に We wish you a merry Christmas. と現在でも言うことを例として挙げている。そして比較する為に、先祖が同じであるドイツ語を考えてみる(渡部氏はドイツにも留学していたことがある)。ドイツ語では、当然 guten Morgen となるが、guten は gut の変形で-enで終わっているから目的格(対格)になるように感じられる筈なので「今日は良い朝です」の意にはならない、と言う。でも、主格は guten ではなくて gut であるから「今日=良い朝」が否定される、という点についてはよく分かるにしても、そもそも副島氏はそんなことは言っていない。それを言っている(と渡部氏が勝手に考えたのは)氏の大学時代の友人の方である。

 更に言うと、ドイツ語と比較することでは、You have a good morning.は否定できていない。I wish you a good morning はドイツ語で Ich wunsche Ihnen einen guten Morgen. となるとのことだが、You have a good morning.の a good morning も英文法で言えば目的格なのだから、ドイツ語で は Sie haben einen guten Morgen. となり、どちらも"guten Morgen"の形になってしまう。

 で結論部分では、要は good morning は「祈願」なのだから、「単なる陳述」の You have a good morning. では駄目と、それだけの根拠で言い切っているだけの主張になってしまっている。比較したのは何だったの?よく考えれば、副島説を批判するのにドイツ語との比較など持ち出す必要は全く無いのであって、わざわざ衒学的に持ち出したとしか思えない。ドイツ語との「比較」を持ち出すのであれば、ドイツ語でも guten Morgen は祈願で使われるといったことを説明すべきなのである。渡部氏、知識は有るのだろうだが、こと自分の考えの段に至ると、論理展開が急に疎かになることは夙に指摘されているところである。

 さて副島氏の反論だが、実はこれも又さして褒められた反論ではない。結局言ってるのは「私は I wish you a good morning! という文を聞いたことがない」の一点張り。更に英語話者である友人達に聞いてみたが知らないと言っていることに意を強くしている。が、その友人達の氏素性は明らかにされていないので、一体全体どのような知的水準の英語話者に聞いたのか分からない。まさか「私(副島)の友人だから当然インテレクチュアルな奴等に決まっている」と言うのだろうか。また、我々はアルフレッド大王の時代の英語を学ぶ必要はない、と言ってるのはその通りなんだけど、それは渡部氏の主張を無視しただけのことであって、否定したことにはならない。それに副島氏は、日本語でも現代文と古文は全然違うじゃないか、と言っているけど、現代で使う言葉の語源を古文に求めることはよくあることですよね(「片腹痛い」とか)。

 ということで、結局この論争はどっちが正しいのでしょうか? Good morning to you! という言い方もあるみたいなので、そう考えると渡部氏の方が有利のような気がします。

《著者略歴》

渡部昇一(わたなべ・しょういち)
昭和5年、山形県山形市生まれ。
上智大学大学院修士課程修了。現在、上智大学教授。専攻は英語学。主著『英文法史』(研究社)、『ドイツ参謀本部』(中公新書)等。

【評価】まあまあ。時間が有れば読んでみるのもいい。


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