御陵巡り

綏靖天皇陵


綏靖天皇は第2代の天皇であります。まあ言ってしまえば、それだけの天皇ということ。初代が神武天皇というのは、一応は有名なので、「じゃあ2代は誰かな?」と疑問に思った一部の人が調べて、ああこいつかという邂逅が稀にある程度の話。と、あんまり軽んずるような事ばかり書いても失礼なので、多少解説しよう。

神渟名川耳尊は神武天皇の三男である。ではあるが皇太子にはなった。でも神武天皇が崩御すると、長男の手研耳命が2人の弟(神八井耳命と神渟名川耳尊)を殺害せんとするわけだ。早速、皇位継承の争いが起きてるあたり、人間の業というやつを感じる。さて、2人の弟は逆に手研耳命を襲撃する。本当は次兄の神八井耳命が矢を射る筈だったが、よくある話で、いざという時にびびって手足が震えてしまい、弟の神渟名川耳尊が弓矢を引き取って事を為し遂げた。というわけで、晴れて神渟名川耳尊が即位して綏靖天皇となりました。じゃあ、その治世はと言うと、これが取り立てて何も無し。ついでに言うと、神武天皇も4人兄弟の末っ子だったし、この綏靖天皇もやはり末っ子。これは古代の末子相続の思想の顕れとも言われている。

綏靖天皇陵は、文久3年(1863年)に治定される前は、実は神武天皇陵とされていたという、お粗末な逸話がある。ではこれこそが本当の綏靖天皇陵かと言うと、これまた学問的信憑性は薄いらしい、と言うかそもそも実在したこと自体が疑われまくってるわけだから、仕方ないお話。

父親の神武天皇陵のすぐ北に在るので、歩いて行ける。昔は神武天皇陵と間違われていたとは言え、その影は見るもない。初代と2代では随分と違うもんやね、ということを実感できる御陵。

<綏靖天皇豆データ>
名前:神渟名川耳尊
生没:紀元前632?年〜前549年5月10日(享年84?歳)
在位:紀元前660年1月8日〜前549年5月10日(在位32年)

<御陵豆データ>
名前:桃花鳥田丘上陵
場所:奈良県橿原市四条町字田ノ坪


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