聖武天皇創建筑後国の古刹  筑後西国三十三ヶ所十一番観音霊場
 
      護国山 国分寺
            安らぎの空間  安らぎの時間  

 静かな環境、幽玄な雰囲気の中で
  皆さんとともに幸せを祈り、皆さんとともに生きかたを考える。


・1お寺の紹介  2ご案内  ・3詳しいお寺の縁起 毎月3日 元三大師縁日護摩祈

・お寺の紹介


ご本尊

 聖観音菩薩立像
 元三大師座像
 聖天堂は大聖歓喜天尊

ご詠歌
 有り難き誓いを 聞きて 皆人の 誘いを ここに こふの古寺

寺宝
 伝教大師・天台大師掛け軸(豪潮律師御真筆)
 百壽掛け軸(唐時代)

年中行事
 1月3日 がん三大師大祭
 2月3日 節分会
 3月・9月 (中日)春秋彼岸会
 8月7日 御施餓鬼会
 11月24日 天台会
 1・5・9月16日 聖天縁日
 毎月3日 元三大師縁日護摩祈祷

縁起
 抑も、当寺は第四五代聖武天皇の勅願によって天平十三年(七四一)全国に一ヶ国一ヶ寺として、創建された筑後国の勅願寺であります。
 筑後川をはさんで、川北に法華滅罪寺(尼寺)を置き、川南の国分町に金光明四天王護国寺(僧寺)を置かれましたが、後世合併して、護国山国分寺と称し、暦應二年、足利尊氏公により、仏閣法堂が再建されました。
 慶長年間、筑後の守田中吉政公により堂宇を復興、安永六年、有馬頼憧公により、筑後西国三十三ヶ所十一番観音霊場に定められました。
 明治四年、天台宗比叡山延暦寺の直轄となりました。     (詳しくはここをクリック)

  住 職  中川 霊誉
  副住職 中川 透冴

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 (この記述は、「天台宗九州西教区 開宗千二百年記念みちしるべ」より転載しています。

 
・2ご案内

 お寺においては、毎日のお勤めのほか、心の豊かさを求めて、一般信者に対する様々な活動をとりおこなっております。 お気軽にお立ち寄り下さい。

毎月3日 元三大師縁日護摩祈祷
  毎月3日は月供養を催します。護摩木供養、法話、庫裏にておときの接待。
  宗派、檀家であるか否かは問いません。御仏の加護を信じる人の参加を歓迎致します。
  10時より受け付け。
  11時より読経・護摩木供養、住職の法話、12時過ぎより庫裏にておときの接待。
  お願い事のある方はご自由にご参加下さい。

・お願い事
 随時、以下のようなお願い事のご相談に応じます。
 開運厄除、おたずね、家内安全、交通安全、商売繁盛、三宝荒神、鬼門吉祥、旅行安全、入試祈願、名前付け、安全祈願、良縁祈願、相性除け、地鎮祭、家払い、水神上、先祖供養、水子供養、その他 

  詳しくはここをクリック  

・場所

 〒839-0801 久留米市宮の陣5丁目14−15
 電話 0942−32−7486

 西鉄宮の陣駅より東へ歩いて10分 宮の陣郵便局よりさらに100メートル。 
 宮ノ陣橋北詰三差路より東(筑後川上流)約200メートル。駐車場あり  
                    
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 山門横の仁王様

 山門から見た境内の一部

 薬師堂(檀家と信者の浄財で再建)

 本堂

 聖天堂

 境内の一部

 境内を見渡す御仏の数々

 相談を受ける住職

 本堂の主要部

  本堂の内部と副住職

 1月3日 がん三大師大祭の様子

 1月3日 がん三大師大祭(薪の様子)

1月3日 がん三大師大祭 (火渡りの行)

 いろいろな人が訪れます。 もとに戻る
 ・3詳しいお寺の縁起

   おみくじの元祖元三大師を祀る筑後国分寺
      
     第十一番       護国山国分寺

 国分寺は筑後川沿いの宮ノ陣橋の袂にある。電車なら宮の陣駅で下車、町中を筑後川方向に歩くと「元三大師」の看板があり、看板に従って行くと山門に至る。

 車なら国道3号線から分岐する210号のバイパスを久留米インターの方向に進み、中央公園北の交差点を左折して宮ノ陣橋を渡る。橋の上から右前方に同様の「がん三大師」の看板が見えるから橋の横を右折して筑後川の堤防の上を進み、看板横の細道を下ると国分寺の本道横に至る。駐車場は本道の斜め裏にある。

 この寺の創建は天平時代まで遡る。天平十三年(741)に聖武天皇は国情不安を鎮撫するため、国ごとに国分寺と国分尼寺の建立を命じ、奈良東大寺を全国の国分寺総本山に、法華寺を国分尼寺の総本山に定めた。
 その勅願により建立された筑後の国分寺がこの寺である。今も全国各地に国分のつく寺や地名が数多く残る。

 昔の筑後国分寺は久留米の国分町にあったと伝えられる。しかし、南北朝時代の南北朝時代の筑後平野は一帯は懐良親王を奉じる南朝方と太宰府勢の北朝方との攻防、戦国時代には薩摩の島津と肥前の龍造寺が覇を競い合うなど、兵火が多かった土地柄である。だから、中世までの国分寺については暦応二年(1239)に足利尊氏が寺産一五町をつけて再興したと伝えられるほかには、その詳細は分からない。

 現在の国分寺は慶長六年(1601)に筑後の太守となった田中吉政公が宮の陣の現在地に再興した。また、明治元年(1868)の神仏分離令による廃仏毀釈の時に、高良山明静院の霊徹往持が藩命で国分寺に移るときに「石造仁王像」「元三大師」「大聖歓喜天」と「地蔵来迎図板碑」などの主要な高良山から国分寺に移された。
 殊に高良山愛宕神社奥の院からもたらされた「地蔵来迎図板碑」には天平二十二年(1367)九月の銘があり、福岡県の文化財に指定されている。ほかに懐良親王のご親筆とされる「観世音菩薩普門品写経」も寺宝になっている。

 元三大師(912〜985)とは慈恵大師のこと。正月三日に遷化したので元三大師、がんざん大師と通称される。大師は近江の人、十二歳で比叡山に入り十七歳で受戒得度して良源上人となる。叡山きっての学僧と言われ、五十五歳で天台座主になると堂塔伽藍の復興に努めて叡山の中興の祖と仰がれた。勅謚号は慈恵大師。

 大師が仏教の経典に基づいて「おみくじ」百籤を考案したので、今日ではおみくじの元祖として知られている。様々の霊験を持つ人で、大師のお姿を写した牌(紙のお札)は病魔退散、厄除けの効験があるとして、広く信仰されている。毎年一月三日の「元三大師大祭」、毎月三日の「元三大師ご縁日」には厄除けの祈願やお札を受ける善男善女が遠近から大勢訪れて、国分寺は厄除けのお寺として親しまれている。

   {ご詠歌 }

   ありがたき 誓ひをききて みなびとの 誘ひをここに こふのふるてら
 

         ( 筑後の寺めぐり  西原その子 著  より引用

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