沖縄旅行記 2001年9月 迷走颱風
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レンタカーを南下させて名護市内を通過。恩納村へ入ると赤い首里城風の建物が見えてくる。最近出来たばかりの「お菓子御殿」だ。紅いもタルトのお菓子のポルシェの経営で、当然寄りたいのでマコと2人でリクエストする。だって、女の子なんだもーん!中では紅いもタルトの製造ラインが見学できる。アホマナもっと感激したのはお菓子を一つからバラ買い出来ること!毎週日曜日は紅いもパイを焼く日で、パックされていないタイプが.二袋だけ残っていたので、購入。空港だと箱入りで販売しているお菓子を少しずつ色々購入してうほほほ。ここで購入したアップルパイが後の「沖縄にきたらアップルパイ」熱に火を点けることになる。このアップルパイ、パイ生地がサクサクタイプではなくて、しっとりタイプなのだ。横田とか米軍基地のフェスティバルとかで買えるホールのアップルパイに似ているのだが、アレは中が激甘のアメリカンタイプでおまけに皮は塩っぽくて完食できず、最後の方は拷問状態で食べるのだが、沖縄のは中味が普通の甘さで皮も程良い味なのだ。ちょっと休憩ということで生ケーキコーナーで紅いものモンブランやムースを購入して食す。沖縄物産展でしか買えないので、嬉しい〜!兄さん達は紅いもソフトを食べていたが、すまん!甘いのも(ちょびっとだけど?)お酒もどっちもいけるタイプの女子衆なのであった〜!
恩納村のリゾート地を経由して、昨日も来たなぁ(^-^)読谷村へ入り、座喜味城趾へ。坂道をうねうねと上り、だんだんと修学旅行の時の記憶を思い出す。横暴保母と「いつかまたここへ来たいね」と言っていた場所。横暴保母と行ったのは中城城趾になったけれど、あの時から10年近くの沈黙の時を経て、あの城壁にまた登るのだ。
今日は資料館は休館の為、そのまま城壁を目指す。天気は快晴、風強し。アーチ型の石壁をくぐり、昔の宮殿跡へ入る。座喜味城とそこから望む風景は、あの時と変わらずに美しい。一番上の城壁まで登って記念撮影。風が強いのでみんな大変なことになっている。周囲の風景をぐるっと見渡せるので、風も大変強い。私は東側の海をバックに一人で撮って貰った。リュックを背負った男性が一人、強風の中頑張って景色を眺めていた。リュック一つで旅をする・・・、こうして皆と廻るのも楽しいけれど、それもいいなぁと憧れた。修学旅行の時は一段下の城壁まで「ハブ注意」の札はあっても降りられたのだが、今は行かないようにと柵が立ててあった。時間の流れを感じてしまった。資料館の破格値の入場料に横暴保母と2人相当驚いたのだが、今はいくらになっているのだろう。確か学生は100円もしなかったのだと記憶している。
読谷村を出ると飛行機の時間も気になったので、そのまま南下する。58号線はいい感じに込み始めている。これから夕方に向かって午後の地獄ラッシュが始まるのだろうか。私はちょっと心配になってきた。お昼は最後の沖縄食で地元の食堂とかでも良かったのだか、米軍基地が続いていて見あたらず。A&Wを発見したので、これゾ!沖縄ではないかということで入る。なんか駐車したところがドライブスルーというか、車で注文すると運んで貰えるシステムぽかった。さすが車社会だな〜。セットを注文して、飲み物はやはり・・・ルートビアを選択する。皆一口ずつ飲んで絶句。
「グッ!薬の味がするよ〜!?イソジン系の!」「アルコール飲料じゃないんだ・・・・」とよくある反応。
「オレンジ、一緒に飲む?」と気遣って頂いた。すんません!私も一回試してみたかっただけなの!これが大好きで堪らない〜わけじゃないわけよ!信じて!あたし味覚異常ではないと思う。まあ、暑い時は炭酸で潤したい時があるじゃない?そんな気分だったの。
私がタコライスの素や沖縄そばだしはスーパーで買った方がお得よ!としつこく洗脳していたので、Kがスーパーに寄ろうか?と提案してくれる。しかし道路の込み具合に相当不安になってきたので、取りあえず那覇市内を抜けてもらうことにした。浦添から那覇市内までがもの凄く長く感じる。行きはあっという間だったのに、なんでなんでこんなに込んでいるのだ!?58号線よ〜!(泣)高速使えば良いのだ!と気づくまでには後3ヶ月ほど時間が必要だった。こんなヒーヒーな事態だったが、カーナビを見ていて「アッ!」と叫ぶ。なんとカーナビに表示されている地名がドライバー・Kの名字と一緒だったのだ。沖縄でも少数系だとK以外の車内全員思っていたよ・・・。この道路事情でも焦ってないあたり、Kは沖縄人の血を引いているな〜と感心してしまった。
激込みの国際通りとの合流点を通過!やった!ここまで来ればもう安心。ガソリンを入れてレンタカー会社へ向かい、荷物を下ろして送迎のバスを待つ。レンタカー会社の女性にガソリンが満タンでないと言われてビビるが手違いだったらしい。安心!?空港へ送って貰い、自動チエックインをしようとすると、やはりアンブレイカブルがいる。しかも己のチケットだった。カウンターへ行って前後2列分けで、できれば前方でとお願いすると、「既にシート予約されていますが・・・」と言われたのでそのまま入れてもらったら、ギャフン!叫んじゃいますよ!後方団体席は仕方がないとして、5人なのに真ん中四列+通路挟んでの横一列にされているんですもの。こりゃリクエストじゃなくて、取りあえず旅行会社が席を押さえただけじゃない!羽田のGHの方は考慮してくれましたけどね!しっかし、お手軽価格とはいえ、航空系旅行会社のツアー利用でフライト指定料まで払って事前にチケット渡しされているのに、この格安ツアー並の仕打ちは私忘れませんことヨッ。この後のことも忘れられぬ思い出・・・
搭乗まで自由時間として最後のお買い物。タコライスは激高!だがおみやげ仕様の赤箱をひとつ購入。コンビニでポーク玉子おにぎりとさんぴん茶、ジミーのマフィンなどを買いだめする。今回は会社のコワイ叔父様へのおみやげのことはすっかり忘れていたら、お姉さまがちゃんと購入しておいてくれた。わ〜い!何も無かったら正座でお説教IN居酒屋でしたわ。やはりデキる女性は心遣い美人なのですな〜。うっとり。兄さんはちゅらさんファンの両親にゴーヤーマンマスコットを購入していて、微笑ましかったですわ。そろそろ手荷物検査を受けた方が良い時間なのでゲートへ。羽田方面は台風の影響で遅れているというので、荷物は全部手持ちにした。待合室へ向かうと、久々に見る文字が。
「DELEY」
台湾・台南の小さな空港でこの単語を初めて聞いた時、中国語なのか英語なのか解らず苦労したけれど、(いや、説明してくれた人が苦労してくれたんだけど)今なら「遅延」という意味だと解る。やはり台風の影響で機材も遅れているらしい。行き程の遅延はないだろうと思うが、東京の台風事情が知りたかったので、会社の同期へ電話する。地上はそんなにヒドイ状況ではないらしいが、「台風女!」と言われる。失敬ね!
那覇空港はかなり混乱していた。というのも私達が来る時に居た台風が離島方面へそれた為、宮古や石垣行きの便は欠航、久米島行きの便はキャンセル待ち番号一番で打ち切りになってしまった。そして私達の到着地・羽田上空にも台風の影響がある。同行者の目線が冷たい。私真実颱風女ではなくってよ!こうなったら帰りも念力で台風を動かす!発言。更にアナウンス。羽田に到着できない場合、名古屋か関西へ到着させるという。いや、それじゃあ新幹線だって台風の影響でどうなっているか解らない。なら兄さんの得意な方面、雪・雨・風に強い東北系へ降ろしてしれくれ〜!そうすれば明日の出勤には間に合うゾ!アホマナ心からの叫びを繰り返す。
約1時間遅れで搭乗開始。通路を挟んで離れた席にはKが座ることになった。もう疲れ果てましたので、風邪薬を飲んでドーピング、さっさと寝てしまうことにする。アレ?念力は?そうそう、念力も忘れられない。ハリケーンの時、台風の時、その時のことを思い出す。羽田に無事到着できますように。暗くなり始めた頃、飛行機は那覇空港を離陸した。暫くすると薬の影響かウトウトとしてきた。ねぼけながら一番遠くに座っているKを見て、愕然とする。Kが首に挟んでいるタオル、それって・・・!?いや、昨日から自分のもののように使っているのに気づいてはいたけれど。まさか、それって、ホテルのハンドタオルじゃない!?持ってきちゃったんだ〜!あぁ、やっぱりKは東京で生まれ育っても、沖縄人なのだ。頭良くてもどこか惚けていて、なんくるなる気質なのだ。いいや、もう忘れることにしよう。万事全てなんくるなる、なんくるなる・・・。
「高度3000フィート・・・(通過?)」という機長のアナウンスが聞こえる。なんでだろう?今どこまで来ているのだろう?眠い目をあけるが、中央列通路側なので窓外の景色は良く見えない。もう首都圏に近づいているのだろうか。後方のせいか、高度が下がっているとういより、上昇している感覚がする。ポーンという音がしてアナウンスが入る。「当機は羽田空港に到着できる見込みとなりました。これから先は揺れが予想されます。座席位置を元に戻して、シートベルトは締めて頂きますよう・・・」やった!私の念力が効いたわけではないけれど、後10分程度で羽田に到着できるらしい。
飛行機は東京湾の上空をゆっくり旋回して、着陸態勢に入った。羽田は周囲に明かりが多くて、夜に到着するのも綺麗だ。ちょっとふらついたけれど、無事着陸。到着はボーディングブリッジではなく、徒歩になるらしい。私にとっては珍しい。荷物を出そうとしたら、後ろの席の中学生(注:坊主頭)が手伝ってくれた。制服を着てるから、法事かなにかで沖縄へ帰ったのかな?この子とは到着ロビーを出た後も目があったのだが、友人達に注意された。
「台風女!沖縄の坊主頭に注目しないように!」
「まさか、レンタカー返したところから、見ていたわけじゃないよね?」
「へッ?あの子、レンタカー会社のところにもいたの?飛行機で後ろの席だった子だよ。」
「送迎バスも一緒だったじゃない?気づいていなかったんだ。」
「あの〜、私そこまでアホではございません!台風女だとか不名誉な呼び名をつけて、失敬ですわね!」とプリプリしてみた。いや、宜野座村と奥濱先生にとっては突然現れた台風女だったかもしれませんね(苦笑)。今夜我剥起剥颱風♪Kとお姉さまは羽田から車で、残り3人はモノレールで帰路に就く。モノレールからレインボーブリッジを眺めながら、私はある決心した。
予定よりも大夫遅い帰宅になったが、無事帰宅。翌日通常通り出社したら、会社の人達は私が帰って来られなくなるのではないかと心配して頂いていた・・・らしい。台風女ではごーざいませんですわ!翌日遅めに帰宅してテレビを見たら、世界地図の裏側辺りで大変な事態が起きていた。その数週間後、沖縄は危険という「風説」が生まれた。なんてことだ!それじゃあ私は(けちっこでバーゲンフェアだけど)航空券買いますよ!買いますとも〜チケットレス完了!そんなわけでまたまた続きます。沖縄道。
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お菓子御殿
正殿(笑)
首里城風です |
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頂いたケーキ
やっぱり沖縄にきたら
紅芋系ですな!
手前がムース
奥がモンブラン |