The memory in the lost past

13歳 入隊(5)


 ある、予感がしている。
 それを否定する気持ちと、そして信じたい気持ちと。2つがないまぜになって、心臓を動かしている。顔は無表情を装っていたけれど、「女の子」と聞いた瞬間から彼女の姿が脳裏にちらちらと映っていた。
「おい、ラギン」
「ん?」
 トゥワードから呼び止められて、後ろを向く。第二訓練場から離れ、今は執務室に向かっているところだ。<意志の者>の試験も終了したということで、他の面々も元の部屋へ戻っている。ただ、<戦の者>入隊試験は人数も多いこともあり、夕刻まで続けられるとの見通しだ。
「さっきから落ちついてねえが、なんかあるのか?」
「………何もない」
 何かあると言っているような顔でそう言えば、トゥワードは肩をすくめるだけでそれ以上のことは言わなかった。言っても無駄だと思ったのかもしれない。
 実際、ラギンはその予感を誰にも言うつもりはなかった。
 結界の中で会った少女のことは誰にも秘密にしている。彼女のことを独り占めしたくて、あの場所のことも言っていない。たとえ行けたとしても、結界に阻まれて会うことができないことはわかっている。それでも知られることが嫌だった。
 そんな雰囲気を払拭するかのように、トゥワードはのん気に声をかける。
「………まあ、お前の正常勤務は来週あたりくらいだ。心しとけよ」
「本当? 今度こそお前の護衛とかじゃなくて?」
「<戦の者>の護衛ほど、やりがいのある任務はないと思うんだがな」
「そう思ってるのはお前だけだ」
 言葉の応酬には普通についていけた。
 けれど、心臓はさっきから死ぬほどうるさい。初めて会った時でさえ、こんなに酷くなかったような気がする。
 でも、もし違っていたら? ―――そう考えれば行動はできない。
 探すことも、アーシュを問い詰めることもできなかった。
 だいたい彼女は、こんな人の多い場所に来ることなんかできないのだ。精霊と結界の中で過ごすだけで、外には出られないはずなのだから。
「ん?」
 トゥワードが何かに気づいたように声をあげた。そのまま歩みを止めたのに気配で気づき、ラギンもトゥワードの傍へ寄る。
「どうした?」
「んー。何か話し声がしてな」
「こんなとこで?」
 周りを見渡しても人が歩いている様子もない。第2訓練場からのこの細い道は使い勝手が悪く、通る人間が限られているからだ。そんな道を2人がなぜ通っているのかと言えば、ただ単にトゥワードの気まぐれの他ない。
「……やめてください」
 しかし、耳をすませてみれば、今度はラギンにも声が聞こえた。くぐもっているが、それでも若い女性であることはわかる。それに覆いかぶさるように男の声が響いた。
「いいじゃん。これから一緒にやってくかもしれないんだし、ね」
「触らないでください!」
 鋭い声と、衝撃音。
 同時に耳に入ったときには2人は駆け出していた。


「ば、化け物!」
 2人が駆けつけた時、そこには壁にもたれかかってる少女と地面に転がっている男の姿があった。化け物と罵られた少女は、両手を口にあて悲鳴を堪えているようだ。全身に裂傷がある男は、その痛みに顔を歪め、それでも少女を口悪く罵っていく。
「俺は何もしていないのに! この女は俺を殺そうとしやがった! 呪文一つ無く、俺をこんなにしやがった! こいつは化け物なんだ! 助けてくれ、お願いだ。こいつにやられちまう!」
 少女は、恐怖に震えていた。黒い長い髪や、紫の瞳は不安気に揺れている。華奢な身体は今にも崩れそうに見えた。男はこちらに気づいてわめくが、少女は男を見つめたままラギンたちに気づきもしない。
「こいつが迷ってたから送ってやろうと思っただけなんだ。触ったらこんなになってた。そいつは本当に化け物だ、信じてくれ!」
 喚き続ける男にトゥワードは嘆息する。どうやって黙らせてやろうと思っていると、後ろからラギンが歩み出た。
「おお、兄ちゃんわかってくれたか。そうなんだ、助けてくれ。その女を殺してくれよ!」
 すっと、男の方を見る。
「………」
 何も言わない。ラギンはただ、視線を合わせただけだ。
 しかし、男の変化は劇的だった。
「ひぃっ!」
 悲鳴をあげて震えだす。先ほどまでとは違い、もっと本能的な何かを感じたらしく今度は言葉もでないようだ。
 トゥワードは、ため息をつく。
(素人さんをそんなに怖がらせるんじゃねえよ)
 そんな男の様子にラギンは構うことなく、少女の方へと近づいていった。少女の瞳はいまだ力を取り戻しておらず、目の前に少年が立っても気づかないようだ。
「…………」
 ラギンが少女に手を伸ばす。
「………おい」
 男の証言をすべて信じたわけではないが、触れたら衝撃が襲う可能性もあるのだ。無防備に触れようとするラギンを止めようとして声を出すが、それは少年の一瞥で抑えられる。
 ひどく強い眼だった。
 この視線に逆らうことは得策でない。そう思ったトゥワードは両手を胸の前で広げ、それ以上行動しないことを示した。
 それを確認すると、ラギンの視線は少女へと移る。
「リューアイ」
 聞いたことがないような優しい声と、壊れ物を触るようなもどかしげな手。
 それでもしっかりと抱きしめて、呼びかける。それは、神聖な行為だと勘違いするくらい純粋なものに見えた。
(……おいおい、いつの間に)
 いつの間にこの坊ちゃんは、そんな女の子を見つけてるんだと嘆息する。心配していた衝撃も受けることもないらしい。
 男が嘘をついたのか、それともラギンが違うのか。
 あながち後者の理由かもしれない、と少年の眼差しから予測する。愛おしく抱きしめるその様子は、子どものものではなく、一人前の男のようだ。そんなに早く成長する必要はないのではないかと思わずにはいられない。
「リューアイ。大丈夫?」
「…………大丈夫です」
 ぽつりと少女が答えた。先ほどまで自失していたとは思えないほどしっかりとした声に、トゥワードは安心する。
「無理しなくてもいいよ。もう、俺がいるから」
「大丈夫です。………ありがとう」
 ラギンはどこまでも優しく彼女を抱きしめている。どんなことがあっても守るという気持ちを隠そうともしないところは、まだ子どもなのかもしれない。
 いくらラギンが彼女を守ろうとも、精神衛生上震えている男は排除しておいた方が良いだろう。ここでラギンに恩を売っておくのも悪くないと変な損得勘定も働いた。
 片手で男の襟元を掴むとそのまま引きずって歩き出す。
「ありがと」
「お前はその子を何とかしろよ」
「うん」
 間髪いれない返事にほんのりと唇に笑みが浮かんだ。
(それにしても、こんなところにあんな女の子が……)
 その時、脳裏に閃くものがある。
 ラズルドやアーシュの言葉。そして、<意志の者>ラダムから聞いていた話。
『わしの孫が試験を受けるんじゃよ』
 確か、ラダムの養い孫の名前は―――。
「―――リューアイ?」
 今確かめなくても、どうせ真実はすぐにわかる。そう思ったトゥワードは振り返ることなくその場から去っていった。


― 13歳 入隊 了 ―



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