床の上に少女がばらまいたのは、無数のガラス玉。
 少女がこの部屋に何故か遊びに来るようになって、1週間目のことだった。
 少女は、床にうつ伏せになる。当然のことながら、部屋の主である朔井 浩斗は、嫌そうな顔をした。しかし、少女はそんなことはお構いなしだ。上半身だけ起こして、ビー玉を弾いている。
 色素の薄い髪が床の上に広がっている。
 外で会うときは頭の上の方で2つにまとめているが、この部屋にくると決まってしばっているゴムを解く。理由をきいたら、「しばるのって結構キツイの」と言われた。浩斗としては、経験などないので、へえそう、と納得せざるをえない。
 ただ、さらさらとした髪は、触ると気持ちよさそうだと思ったり。
 少し俯いたその顔は、見とれてしまいそうになってしまったり。
 そんなことを考えてしまうことがないわけではないけれど。
 かちゃん、とビー玉のぶつかる音で我に返る。
 気まずくなって、口を開いた。
「………何してるんだ?」
「ビー玉遊び。今、学校で流行ってるの」
 いや、それは見ればわかるんだけれども。
 見上げた顔はあどけなく、色気とは無縁なものだと思ってしまう。
「…………」
「一緒にする?」
 首を傾げる姿は、本当に幼くて。
 先ほどまで思っていた感情を隠したくて、わざと顔をしかめた。
「しない」
 ぶっきらぼうな答えを返すと、少女は少し寂しそうな顔をする。
 そんな表情をさせたのは、浩斗だというのに。
 その顔を見ていられなくて、浩斗はキッチンへ向かった。

 少女の名は、椎 柚麻という。
 美少女だと、10人中10人が言うと思われる容姿。
 浩斗も男だから、そんな少女と一緒にいるのは嫌ではない。
 しかし、問題はあった。
 柚麻は、浩斗より9つ下の12歳。ピチピチの小学6年生だ。
 さすがに手を出したら、犯罪者の仲間入りである。
(オレは、ロリコンじゃねえ)
 柚麻に会ってから、何回も自分自身に確認していることだ。
 さすがに、理性で考えれば小学生相手に恋愛云々をしようとは思わない。
 少なくとも、一ヶ月前知り合った時には全く思わなかった。
 ところがである。
 先ほどのように、ふとした姿や、悲しげな表情をされた時などは、やばいくらい感情が高まってしまうのだ。
 最初は、兄のような気分だからと無理矢理思っていたのだが、この前ナンパされる柚麻を見てから、それも少々怪しくなっている。
 しかし、なおそれでも。
(オレは、ロリコンじゃねえ)
 そう思わないと、今までの存在意義すら失う気がするのだ。

 台所で、ブラックコーヒーとミルクたっぷりのカフェオレを入れて、居間に戻る。
 柚麻は、飽きもせずにビー玉を弾いていた。
 浩斗の気配で顔をあげると、手に持っていたマグカップを見て、にっこりと笑う。
「起きなきゃやらねえよ」
「はぁい」
 身体を起こして、手をこちらに伸ばしてくる少女に、カフェオレの方を渡す。
 嬉しそうに飲むその姿を見て、浩斗もビー玉が転がっていない場所へ座った。
「………おいしい。やっぱり浩斗が作るカフェオレが1番好き」
「そりゃどうも。ついでに、感謝の気持ちがあれば、浩斗さんとか朔井さんとか呼んで欲しいのだけれども」
「なんで? 浩斗は浩斗でしょ?」
「オレは君より9つ年上ですが」
「大丈夫、私は気にしてないから」
「オレが気にしてるの。だいたい、小6のオンナノコが大学3年の男の部屋に来て何が楽しいのかね」
「……………」
 柚麻の眼が泳ぐ。困ったように笑みを浮かべて、そして、爆弾投下。
「浩斗のことが好きだから、じゃ駄目?」
 浩斗の時間が止まる。
「…………駄目か」
 ちっ、と舌打ちが聞こえてくる。
「お、お前」
 ようやく口から出た声は上擦っていた。とてつもなく、かっこ悪い。
「…あれ、もしかして嬉しかった? ねえ。浩斗」
(冗談か……!!)
 プライドもズタズタにされて。こんな年下の少女に馬鹿にされて。
 その時、脳裏にひらめいた復讐。
 21はそれほど大人ではなく、ほとんど子どもに近いということを少女は知らないだろう。
 マグカップを床に置いて、右手で彼女の頬に触れる。
 想像通り柔らかくて、ドキドキするのを理性で押さえる。
「柚麻」
 真剣な声を出して。
 瞳を見つめて。
「好きだぜ」
 呆然とした顔をする少女が面白くて、浩斗はくすくすと笑った。
「ば、ば、馬鹿」
 柚麻は真っ赤になって悪態をつく。その姿が浩斗の心拍数を跳ね上げたが、それもなんとか気のせいだと思うことに成功した。
 ここは、大人の男だと感じさせるように、余裕たっぷりの声で。
「どうした? 本当に嬉しかった?」
 先ほどの仕返しも兼ねてそう言うと、ようやく柚麻にも意図が飲み込めたらしい。
 少し火照ったような頬が瞬時に怒りで真っ赤になると、その場に立ち上がる。
「さ、最低!! もう帰るっ!」
 柚麻は、いつの間にか手にもっていたビー玉を思い切り浩斗に投げつけ、バタバタと足音を立てて出て行ってしまった。
「いってー」
 想像していた範疇のことだったが、ビー玉はなかなか凶器で、浩斗は想像以上のダメージを受けていた。
 しかし、それよりもやばいのは、心の方のダメージで。
(……これでオレのこと嫌いになったりしたら………)
 それどころか、この部屋に来てくれることも、会うことすらできるかどうかわからない。そのことが、寂しくて、悲しくて。
 とても、つらい。
(……やべ、泣きそう)
 床の上に転がった浩斗の横で、コーヒーとカフェオレがゆっくりと冷めていった。


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