インペリアル・カジノ 12



「きゃあっ!?」
 今回は卓を狙ったものではない。その銃口は紛れも無くブラッドへ向けられていた。しかし弾丸はブラッドに命中することは無かった。
「ボス~!?」
 飛び出したディーラーが身を挺してブラッドをかばう。普段は、ゆるゆるとした帽子屋屋敷の使用人達だが、彼らもマフィアの構成員。こういった時の反応は非常に素早い。
 もちろん、それはエリオットも同様だ。
「ブラッド! てめぇ、何しやがる!?」
「あなた達こそ! アリスにどんな真似をしたと思っているんですか!」
 もともと、手の早さでは定評のあるエリオットだ。瞬時に抜いた銃を早速ペーターに向けてぶっ放している。
「フン。そんな無駄の多い動きで、僕を捉えられるとでも?」
 しかしペーターは、その銃撃を軽々とよけてしまう。息を荒くすることもなく、ペーターは銃を構え直すと、今度はそれをエリオットへ撃ち込んだ。
「ちっ」
 エリオットは卓を足蹴にすると、半倒しにしてそれを盾にする。乗っていた物が床へ雪崩れ、周囲にいた人々が、悲鳴を上げながら逃げ惑う。
「野蛮な……本当に同じウサギとは思えない程、繊細さに欠けた動きですね」
「俺はウサギじゃねえっ!」
 蔑むような視線を向けるペーターに怒鳴り換えしながら、エリオットは次々弾丸を放っていく。
 がんっ、がんっ、がんっ。
 立て続けに、それも間近で響く銃声に、アリスの耳はおかしくなってしまいそうだ。
「ホワイトめ……! アリス、あのような奴らに巻き込まれてはたまらん。行くぞ」
 ビバルディも顔をしかめているが、アリスを置き去りにするような事は無かった。さあ、と伸ばした手でアリスの手を掴むと、距離を置こうとする。
「あっ!? しまった、アリス……」
 そんなアリスたちに気付いて、エリオットが狼狽した声を上げた。やっべ! という声が聞こえてくるあたり、おそらくは「アリスのそばにいて、アリスの護衛をすること」が今の仕事だったのを思い出したのだろう。
 だが、この状況でエリオットの傍にいるのは……無理だ。命がいくつあっても足りなくなってしまう。まして相手がペーターでは、ただ騒ぎが大きくなってしまうだけに違いない。
 アリスはエリオットに背を向け、ビバルディ(と、キング)と避難する事を選んだ……のだが。
「なになに? 何の騒ぎ?」
「あっ、お姉さんだ。お姉さん……よっと」
 銃撃戦を聞きつけて走ってきたディーとダムと出くわす。ガンガン銃の打ち合いになっているというのに、あっけらかんと笑う双子は、無邪気にアリスへ擦り寄ろうとして……その手の斧を振るった。
「な……」
「ちょっと! 何してるの、あなた達!?」
 斧はちょうどビバルディとアリスが手を繋いでいた辺りを目がけて振り下ろされた。咄嗟にビバルディの手を振り払って刃をかわす。ビバルディはビバルディでキングに思いっきり腕を引かれてよろめいてはいるものの、間に入った兵士のおかげもあり、何とか斧を避けることに成功したようだ。
 狙いは、二人の間だった。けれど、その標的は明らかに、あからさまに……。
「な、なんだってビバルディを攻撃してるの……!」
「えー? だってお姉さんを誘拐しようとしてたからさ」
「そうそう。お姉さんを連れて、どこへ行く気だったのかは知らないけど、勝手に連れて行かれちゃ、困るんだよね」
「だって僕達、お姉さんのホスト役兼、護衛役だからね」
 そういや、そうだった。
 途中でいなくなったから、すっかり忘れていたけど……。
「でっ、でも……!」
 まして双子達から見れば、ビバルディは敵の領土の親玉だ。ディーとダムの立場からすれば、ビバルディを襲う理由は十分にある。たとえ会合期間中は争わないという決まりがあったとしても、一端こんな状況になってしまっては……尚更。
 それでも、納得はできない。
「何を言うか。元はといえば、お前達が最初に、アリスを謀ろうとしたのが全ての元凶ではないか……! エース!」
「はいはい。今来ましたよーっと」
 ぱんぱんっ、と軽やかにビバルディの手が叩かれるのと、爽やかな笑みを浮かべたエースが滑り込んでくるのは同時だった。しかし、顔は笑っていても、その目は決して笑っていない。隙の無い動きで剣を抜くと、エースは双子達と向き合う。
「やれやれ。子供をいたぶるのは趣味じゃないんだけど……陛下の命令じゃ、仕方ないよね」
「ち……よくも白々しい……」
「そんな事、これっぽっちも思ってないくせに……!」
「ええ? そんな事ないよ。俺って騎士だから女性や子供に手を上げるのは好きじゃないんだよ? 本当さ。でも、命令に逆らうこともできない。騎士の辛いところだよね、ははは」
 爽やかに笑うエースだが、内容はこれっぽっちも爽やかではない。そんなエースと十分な間合いを取って、双子達は睨み合う。
 こんな性格でもエースはハートの城の騎士だ。その剣の実力は折り紙つき。双子達も決して弱くは無いとはいえ、そう簡単に勝たせて貰えるような相手でもない。
「ちょっと……! エースも、ディーもダムも、やめてよ……!」
 止めようとするアリスだが、それで止まるような面子でも無い。双子達が飛び掛かり、それをエースが剣でいなす。2本の斧を次々とかわしきると、エースはそのまま反対に剣を叩きつけようとする。
「3人とも、やめてって言って……きゃっ!」
 何とか止めようとするアリスだったが、至近距離で響いた銃声に、思わず身がすくんでしまう。
 見れば銃撃戦は範囲を広げ、アリスのすぐ傍でも撃ち合いが始まっていた。帽子屋側は会場内にスタッフとして大勢のファミリーが入り込んでおり、その面子がブラッドやエリオット、更にはディーとダムを援護するように動いているため、戦渦は拡大するばかり。
 一方、ペーターやビバルディの周囲にはハートの城の兵士達がいるが、人数の差もあり、マフィアの構成員たちに押されている。ハートの城側は、メイドは決して戦闘要員では無いのもあるだろう。一方帽子屋のメイド達はマシンガンを構え、あるいはナイフで最前線に立ち、血の海を作り上げている。
 いつだったか、確かエリオットが「あの女たちはヤバい」と評しているのを聞いたことがあるけど……ここまでとは。目の前の非現実的な光景のせいか、ついそんな風に、ぼんやりと考えてしまう。
 この世界に来てから、たまに戦いに巻き込まれてしまうことはあった。しかし、ここまでの規模は……初めてかもしれない。だからだろうか。あまりにあまりな出来事すぎて……もう、どこへ行ったらいいのか、何をどうしたらいいのか、分からない。
「アリス、しっかりしないか」
「……ナイトメア?」
 そんなアリスの目の前に、ふわりと音も無く現れたのは、見慣れたナイトメアの顔だった。
 ナイトメアが近づいて来たことにぜんぜん気付かなかった。まるで、空でも飛んできたかのよう。それだけ、アリスはぼーっとしてしまっていたのだろう。……こんな状況下だというのに。
「怪我は無いようだな。いきなり銃撃戦が始まった時には、心臓が止まるかと思ったぞ」
「ご……ごめんなさい」
「君のせいじゃないんだ、気にする必要は無いよ」
 心からホッとした顔を見せるナイトメアに思わず謝ってしまうと、ナイトメアはそれに笑い出す。
(だって、ナイトメアが心臓が止まるなんて言うと、本当にそうなりそうなんだもの……)
「む……私はそこまでひ弱では……」
 つられるように、くすっと笑ったアリスを見て頬を膨らませるナイトメア。こんな時でもナイトメアはナイトメアのままだ。それが、妙に嬉しくて、ホッとする。
 硬くなっていた体に血が通っていくかのように、少し気が楽になっていく……そんな気がした。
「……まあ、いい。それよりも離れよう。グレイが向こうにいたから合流して……」
「ダメ、ダメだよアリス。それに夢魔さん」
 ナイトメアと二人、安全な場所まで離れようとした時。それを遮るように立ちはだかったのはピアスだった。その手には、大ぶりのナイフが握られている。
 表情こそ普段と変わらないのに、その手の先だけが剣呑だ。
「お、おいおい。それはどういうつもりだ?」
「そうよ。ピアス、そんなのしまって頂戴」
 まさかと思わずにはいられない。いくらこんな状況とはいえ、ピアスまで武器を持ち出すなんて。それで今にも襲い掛かってきたら……どうしよう。
 だからこそピアスに呼びかけるアリスだったが、ピアスはじっとアリスたちを見つめたままだ。
「うーん、そりゃあ俺だってこんなの使いたくないよ。でもアリスが逃げるんだったら、俺もこれを使わなくちゃいけなくなっちゃうんだ。でも俺、アリスや夢魔さんにこんなの使いたくないよ? だから二人とも、逃げるのなんてやめてよ。ね? ね?」
 困ったような顔をして、せがんでくるピアス。
「使いたくないなら使わなければいいじゃない。私もその方がいいし……」
 ピアスの様子なら、穏便に解決できるかもしれない。そう思い、アリスはナイフをしまうように重ねて語りかけるが、ピアスは重々しく首を振る。
「そういう訳にはいかないよ。だって俺、一応ファミリーの一員だもん。エリーちゃんからもアリスのこと頼まれちゃったし……」
 ハッとする。
 そうだった。いつも森にいるから忘れていたが、ピアスはれっきとした帽子屋ファミリーの一員なのだ。この状況下で、それもナンバー2であるエリオットから、アリスを連れ戻すように言われたのなら、ピアスの立場では……確かに、そうせざるを得ないだろう。
「だから俺、アリスのこと連れてかないと。連れてかないといけないから、邪魔されると……困っちゃう。うん、困っちゃうんだよ、俺。俺だって、アリスや夢魔さんにこんな事したくないんだけどさ。俺、アリスも夢魔さんも好きだし」
 うーんうーん、と悩ましげにしているピアスを前に、アリスとナイトメアは顔を見合わせる。ピアスと、事を荒立てたくは無いが、かといって……。
 ……悩ましい。
「ナイトメア様!」
「……トカゲさん」
 予想外の形で身動きが取れなくなってしまった二人の元へ、駆け寄ってきたのはグレイだ。その姿を見て、ピアスがまた考え込んでしまう。
「ご無事でしたか。アリスも無事で良かった。……騒ぎを聞いて来た連中に増援を呼ぶように指示しました。すぐに駆けつけるでしょうから、俺は彼らと合流して一気に帽子屋と城の連中を取り押さえます」
「! そっ、それは……アリス!」
「へっ? ちょっとピアス……!」
 その前にブラッド達の元へ戻らなければと考えたのだろう。ピアスはアリスの腕を掴むと、元来た方へ駆け出そうとする。が、
「……どういうつもりだ?」
「ぴっ!?」
 その前方へ素早くグレイが回り込み、ピアスを見下ろしながら睨みつけた。その迫力には凄まじい物がある。怖がりのピアスには、たまらないものがあるだろう。
 だが、ピアスはそれでもグレイを睨み上げる。
「だ……ダメだよ。アリスは僕らのお客さんなんだから。まだ僕らのお客さんなんだから、アリスは連れて帰らなくっちゃ。いくらトカゲさん相手でも、アリスを渡すわけにはいかないよ」
 ピアスにしては珍しく、落ち着いた……それでいて感情の篭らない、声。
「この状況で? 銃撃戦の真っ只中に、アリスを?」
 それを聞いたグレイの顔が険しくなったかと思えば、次の瞬間、目にも留まらぬ速さでナイフ抜き取られたナイフがピアスに突きつけられた。
「……させるわけねぇだろ」
 普段のグレイよりも更に低い声。小さな小さな呟きだったが、鋭いその一声が見えない刃になってピアスの首筋に突きつけられる。
「ちょ……ちょっと! 止めてよ2人とも!」
 このままでは血の海を見そうだ。そんな予感がして制止しようと声を張り上げるアリス。しかし2人はなおも睨み合ったままだ。
「アリス……」
 うう、とピアスが困り果てたような顔でアリスを見た時だった。

 ガンッ!

「きゃっ!?」
 どこからともなく銃声が響いた。近い。それもそのはず、撃たれたのはピアスとグレイの間だ。2人の間を貫くようにして、一発の弾丸が飛んでいく。
「わっ……だ、誰? 誰が撃ったの? 一体誰が……げげっ」
 咄嗟にアリスを離して飛びのいたピアスが、弾丸の飛んできた方を振り返って、そして青くなる。
「……騎士か。どういうつもりだ?」
「どういうって……ははは、双子君達を倒してアリスを追いかけてきたら、アリスを捕まえてるねずみ君と、それからトカゲさんが見えたからさ」
 撃ったのは、どうやらエースだったらしい。珍しく銃を持っている。その形を剣に戻しながら、エースは爽やかに笑っていた。
「俺、騎士だから人攫いは見過ごせないし、それに……」
 今度は剣を構えると、エースはそれを思いっきりグレイに振り下ろした。
「……トカゲさんと遊べそうだったし、ね。さっきのトカゲさんとの勝負、引き分けのまま終わっちゃったし、続きをしようよ?」
 ナイフでその軌道を逸らし、エースの攻撃を受け流したグレイに、そうエースは笑った。



  続く