インペリアル・カジノ 10



「ううむ……」
 ボリスの宣言後、キングは難しい顔をして考え込んだ。糸のように細い目で分かりにくいが、カードを引くか否かで、かなり悩んでいるらしい。
 ボリスの手次第では勝てるが、負けるかもしれない。
 その微妙なラインを見極めるように苦悩していた様子のキングだったが、やがて同じようにスタンドを告げる。
「もう1枚は4だよ」
「げげっ! マジかよ!」
 ぱらりとめくられたカードに、ボリスは「うっそだぁぁぁぁ」と崩れ落ちていく。かわりにアリスがカードをめくれば、そこに描かれていたのは……3。
「ええ? 3なら引いても良かったんじゃ……?」
 さっきは12でスタンドしたキングに驚いたが、今度はボリスが13でスタンドしているだなんて。ボリスにしては随分と慎重な手だ。もうちょっと攻めるタイプだと思っていたのに……。
 だが、それはボリスなりに考えた結果だったらしい「ああ、難しいなぁ」とぼやきつつ、体を起こしたボリスはアリスを見上げる。
「そもそも、まずそこが厳しいんだよアリス。俺がブラックジャックするには8を引かないとダメだろ?」
「うん、そうね」
 21から10と3を引いたら8。簡単な引き算だ。
「ところが。ここまでに何のカードが何枚出たか、アリス覚えてる?」
「へ?」
 言われてありすは目を丸くした。ええと……5や6や7や……そういった、真ん中くらいのカードが多く出ていたような気はするけれど……。
「5と7は全部出てたし、4と6と7と8も3枚まで出てた。ま、最後の4はもう王様のところにあったわけだけど……」
 ボリスの手札は13。ブラックジャックや、それに近い数字を出すためのカードは、もうそのほとんどが出きってしまっていたのだ。下手に引けばバースト、その確立は十分に高い。
「王様が20を引いてる、って可能性が一番高かったんだけど、そうだったらもう手も足も出ないのは一緒だし。それなら、バーストするよりはスタンドして……って思ったんだけど。あーあ、そこで4じゃなくて2を引いてくれてたらな〜。でなけりゃ6や7辺りを引いてて、逆に俺が20だと誤解してもう1枚行ってくれれば〜……」
 残念そうに、しょげるボリス。
 その姿を見たビバルディはキングに向き直る。
「ええい、大人げの無い。猫があんなに悔しがっておるではないか。何故負けてやらんのだ」
「ええっ? いや、しかしだなビバルディ……」
「……せっかく勝てたキングに、それはちょっと冷たいと思うけど……」
 とほほ、と哀愁漂わせるキングの姿にアリスもちょっと同情してしまう。
 しかしビバルディは聞いちゃいない。
「ああ……可哀想に……そうじゃ、わらわが慰みになんでも買ってやろう。猫よ、何がいい? やはり猫缶か? それとも何かおもちゃの方がいいだろうか?」
「あ、いや俺は……あっ、あんなところに帽子屋さんが!」
「帽子屋じゃと!?」
 ボリスは誰もいない方を指差していた。しかしビバルディにとって、その名前は聞き捨てならないもの。彼女が振り返っている隙に、ボリスは「じゃ、また後でね」とアリスの肩を軽く叩いて走っていってしまう。
「ああっ!? 猫よ、待たぬか! 恥ずかしがらずとも良い!」
 それを追いかけてビバルディも人混みの向こうへ消えてしまう。
「…………」
 残されたのは私と、それからせっかく勝利したのに、これっぽっちも祝ってもらえていないキング。
「え、っと……おめでとうございます」
「ははは……今の今まで忘れていただろう」
 うっ。
 思わず口からギクリと出そうになるのを、アリスは全力でこらえる。
 図星だ。
「やれやれ。勝った方がいいだろうと思ったのだが、これでは果たして、運がいいのか悪いのか……」
「……え?」
 小さくこぼしてカードを片付けていくキングに、今度はアリスが驚く番だ。
 今、キングはなんて言った?
 まるで勝つことも負けることもできたが、あえて勝った……そう言っていたかのように聞こえる。
「……まぐれじゃなかったの?」
「……まぐれで、あんな引きがあると思うかね?」
 マジか。
 おずおずと聞いたアリスは、別の意味で驚くしかなかった。今の口ぶりではまるで、まぐれどころか、カードの配分に何か細工すらしていたかのような…………。
 …………していたのか?
 キングにそんな真似ができるとは到底思えないが、無表情に淡々と後始末(その言葉が相応しい気がしてきた)をしているキングを見ていると、ちょっと納得できそうな気がしなくも無い。
「帽子屋ファミリーの主催なら止められることも無いだろうと思ってね。現に、そこの彼にも止められなかった」
 ちらりと視線を向けた先は、アリスに付き添ったままのエリオットだ。
「……バレなけりゃ、イカサマはイカサマじゃねぇからな」
「エリオットは気付いてたの?」
「まあな。俺は仕事柄見慣れてるし。でも当事者じゃねぇのに口を挟むのも違うだろうし……」
 別にエリオットがイカサマをした訳ではないのだが、まるでそれを弁解するかのように後ろめたそうにしているエリオットが、なんだか妙に可愛くて、ちょっと和む。
「そう……意外。キングってそういうことするタイプだったのね……」
「驚いたかね?」
「そりゃあもう。どこでそんなに腕を磨いたの?」
「いやあ……………………昔ね」
 相手がすっかり白状しても信じられない気持ちでいっぱいだが、それよりも何よりも好奇心の方が勝る。尋ねるアリスに、キングはたっぷりと沈黙を挟んで、ただそう一言だけ答えた。
 この人……王様になる前は何していた人なんだろう、そういえば……。
「まあ、君が賞品だと聞いたから、今回は久々に……」
「え゛っ!?」
 付け加えるように続けられた言葉に、アリスの身が飛び跳ねる。
 ま、まさかとは思うけど、この人まで……!?
「違う。……わしは、君にそういう興味は無い」
「あ、そ、そう……」
 ごくりと生唾を飲み込むアリスだったが、流石にそこまで極まった話では無かったらしい。咄嗟にアリスとキングの間に割り込もうとしたエリオットも緊張を解く。
 むしろ逆に、そう冷ややかに言い捨てたキングの様子に、思わず安堵を感じてしまうくらいだ。
 ……こう吐き捨てられて安心するとか、冷静に考えるとおかしいんだけど……。
「だが、ビバルディは君のことを気に入っているからね。……とても」
 キングは色の読めない声で呟くと、じっとアリスの方を見た。糸目のキングにしては珍しく、その目は鋭くアリスを見据えている。一片の感情も浮かんでいない視線と表情が、逆に…………不気味だ。
「別に私は、君をどうこうしようと考えている訳ではない。ビバルディが君を気に入っている、それだけに過ぎないとも。……さて、ビバルディを追いかけなければな」
 トランプを戻したケースの蓋を閉じ、キングは立ち上がる。
 そ、そういえば、そうだった。
 あの様子ではビバルディがどう暴走するかわからない。ボリスを追いかけて何をしでかすか……何か、とんでもないことをしそうなら、ビバルディを止めなければ。
 アリスもすぐさま後を追う。
 その時にはもう、キングの様子はいつも通りの気弱で、頼りない様子に戻っていた。だからアリスは深く考えないように、と自分に語りかける。
 ――追求するのは、怖いこと。深く考えなければ……知らないままなら、きっと自分は安全だから。

「「あ」」
 かくしてビバルディが消えた方へ向かったアリスたちが見つけたのは……何故か、何故かボリスとではなく、ブラッドと向かい合っているビバルディだった。
 ……ボリスはどうやらビバルディを撒いて逃げ切ったようだが。そのボリスが口にした出まかせが言霊になったかのように、ビバルディとブラッドが鉢合わせしたらしい。
「なんじゃ、帽子屋ではないか。姿を見かけぬと思ったら、どこでコソコソしておったのだ」
「コソコソなどしていないとも。私はずっと、堂々とこの会場にいたさ」
「ほう。ならばお前も一戦どうだ? ボロボロに打ち負かし、その鼻っ柱を叩き折ってやろう」
「せっかくのお誘いだが、遠慮しておこう。女のヒステリーとは見苦しいものだ。私が勝ったとして、その後でそれに付き合わされるなんて、やってられん」
「なんじゃと?」
(ボ、ボリス……あんたが、あんなこと言うから……!)
 2人の間はすっかりブリザード。周囲の人々は、どんどん距離を取っている。その様子はエースとグレイの傍にいた人々どころではない。
 しかし、そんな人々の輪を突っ切って、2人へ近付く人物がいた。
「――なら、私と勝負していただけますか? ブラッド=デュプレ」
「ほう」
 カツカツと踵を鳴らしながら歩いていったペーターは、立ち止まるなりそうブラッドを睨みつけた。その顔を、愉快なものを見たというような顔で、ブラッドは楽しげに見返す。
「いいとも、ハートの城の宰相殿。臣下が代理を務めるのであれば、女王も不足はあるまい。その勝負受けようじゃないか」
 愉快そうに笑ってブラッドは頷き返した。席へ着こうとするブラッドを、見つめるペーターの顔は相変わらず厳しいままだ。それが緩む気配は一切無い。
 そういえば……。
「えっと、ねえエリオット。確かこの前、ペーターって……」
「ああ……あの野郎、いきなりブラッドの部屋に仕掛けてきやがったんだ」
 その様子を見つめていたエリオットの表情もまた厳しい。右手は胸元、上着の内側へ忍ばされている。おそらくはいつ、何があったとしても、すぐさま銃をぶっ放せるように……だろう。
 そういえば……そんな話、あったな……。
 詳しい状況などはあまり聞いていないけれど……だとしたら。
 ペーターは、その決着をつけるつもりなのだろう。



 続く