インペリアル・カジノ 08
アリスのダーツの経験は、何度かパーティやお茶会のちょっとしたお遊びで投げた事がある程度。それも、決して器用な方では無いアリスのこと。成績はさして良いものでは無かった。
「ああ……」
今回投げたダーツもそう。中央から逸れた矢は、かろうじて外周の大きな枠の1つに突き刺さった程度だ。
(ナイトメアの方はどうなったのかしら?)
チラリと横を見たアリスは、しかし、上には上がいることを知る。
「……? ナイトメア、あんたのダーツは……?」
隣の的にダーツは刺さっていなかった。
的の、周辺の壁にも、ダーツが刺さっているようには見えない。もしかして落ちてしまったのだろうか、とも思ったが(ダーツは時々うまく刺さらずに落ちてしまう事がある)、床にもそれらしきものは見あたらない。
はて、一体……?
首を捻りながら隣のナイトメアを見れば、重苦しい空気を纏ったナイトメアが固まっている。
「……あれだ、あれ」
答えをくれたのは後ろで見ていたエリオットだった。あれ、と彼が指差した先は……天井、である。
(え?)
つられるようにして頭を上げたアリスは、途端、有り得ないものを見た顔になる。
ダーツが一本、天井に刺さっている。
ぷらんぷらん。
落ちてこないだけマシというべきなのか、後始末が大変そうだと嘆いておくべきなのか……。
「こっ……これは、そう、そうだ。そうだぞ、練習だ! ダーツというものを投げるのは初めてだからな。こうして力加減を確かめるために、あえてこのような投げ方をだな……!」
「……普通、練習だとしても、あの的を狙ってそんなところにダーツが飛ぶことは無いと思うわ」
「うぐっ! ああ胸がいた……ぐはぁ」
アリスの指摘は、よほどナイトメアの胸(ハート)に突き刺さったのだろうか。ナイトメアは両手で心臓の辺りを押さえると……吐血した。
「えええ~!? だいじょーぶなんですか~? これ~!?」
どうやらダーツ担当の使用人はナイトメアの吐血に不慣れらしく、彼らにしては珍しく慌てている。
「あー、うん。平気、平気よ。このくらいの吐血なら、割といつものことだから……」
ナイトメアの吐血具合に段階をつけるなら、この吐血は1、初級レベルだ。
このくらいなら大したこと無い……と、すっかり慣れてしまった自分もどうかと思うけど……。
「うう、気持ち悪い……だ、だが、ここで逃げるわけには……」
「誰も逃げとか思わないから。無理しないで止めておきなさい」
青ざめた顔をしながら血を拭うと、そのまま次のダーツを構えようとするナイトメア。アリスは強い口調で制止をかけるが、ナイトメアは「いやだい、いやだい」とでも言わんばかりに首を振る。
……体弱いくせに、血まで吐いてるくせに、なんでそこで意地を張るんだ……。
「悪いこと言わねぇ、やめとけ? な?」
エリオットも流石に気の毒に思ったのか、まだ途中だからチップは返してやるし、と破格の対応をしてくれようとするのだが、
「いーや! 止めない!」
意固地になっているのか、ナイトメアはそう強く言い捨て(そして見ているこちらが苦しくなりそうなくらい咳き込み)、ぜーぜーと荒い呼吸を繰り返しながらダーツの的に向かうのを止めない。
「……もう、好きなようにさせてあげましょうか……」
グレイがいれば力ずくで押さえ込んで引きずって行ったかもしれないが、アリスにそれはできない。
てゆーか、他の誰にもそんな真似できない。
ふるふると震えながらも腕を構え、ナイトメアは渾身の力を込めた(込めているように見えた)。
そして、ナイトメアの動きだとは思えないほどの力を込めて、俊敏に、ナイトメアが腕を振る!
びゅん!
カッ!
「当たった!」
「ええ、今度はちゃんと……壁にね」
エリオットの歓声に力なく頷き、アリスはぐったりと呟く。
思わずエリオットが叫んでしまったのは、天井にダーツを飛ばしてしまうような人間が、二投目ではちゃんと的と同じ方向にダーツを突き立てたことに感心したからだろう。そう、一投目がとんでもない有様だったことを考えれば素晴らしい進化だ。……たとえ、今回もダーツは的をかすりもしていなかったとしても。
ちなみに当の本人であるナイトメアは、ダーツを投げきった後そのままバランスを崩して転倒し、その衝撃でまた咳き込んでいる。
床に血が散らばっているが……うん、まあ、今度はレベル2くらいかな……。
「うぐぅ……げほっ、げほげほげほっ。わ、私のダーツは、どうなった……?」
「あー、はいはい。当たった、当たったわ」
壁にだけど。
……嘘は言ってないわよね。うん。
「それより、あっちの椅子に座って少し休みましょう」
レベル2だと思っていたらレベル4くらいまで悪化したので、さすがにこのままはまずいと思い、アリスは空いている席へナイトメアを連れて行く。
まあ、放っておけないし……。
そうして、ナイトメアが少し落ち着きを取り戻した頃、エリオットが一応、といった顔で用紙を持ってくる。それにはアリスとナイトメアの点数が書かれていた。
40対1、と。
(……多分これ、ダーツ係さんの温情よね。1点……)
「がはっ! アリス、君はダーツが得意だったのか……。まさか私の40倍もの点数とは……!」
断じて得意ではない。
ナイトメアがとんでもなく下手だっただけだ。
悔しさから再び吐血するナイトメアの背中をさすってやると、すぐに病状は落ち着いたようだ。
「ここまでの大差をつけられるとは……悔しいが、完敗だ。アリス、君には後で約束どおり、スコーンの詰め合わせを進呈しよう」
「あ、ありがとう……」
律儀に約束を果たしてくれるつもりのナイトメアに、アリスは俯きながら礼を言った。
その、なんだ。
こんなんで奢ってもらうなんて、あまりに申し訳なさ過ぎて俯くしかなかった。
「じゃ、じゃあ、私は他も見てくるから……」
そのいたたまれなさから逃げるように、アリスは別の卓を目指す。
「……大変だな、あんたって……」
「はは……」
しみじみと呟くエリオットに、アリスは乾いた笑いを口にするしかない。
まあ、でも……いいところ、は沢山あるのだ。
あんなんだけど。
「――あら? あそこ、何かしらね」
気を取り直して周囲を見回したアリスは、ふと不思議な光景に首をかしげた。
なんだか、あの卓の一角だけ周囲から遠巻きにされているらしい。
どうやらディーラーなしでもプレイできるゲームを、参加者同士で遊ぶための卓が並ぶ一角のようなのだが、これだけ人がいて、他の席は全て埋まっている様子だというのに、そこだけぽっかりと空間が出来てしまっている。
(一体、どうしたのかしら……?)
ちょっとした興味から近付いたアリスが目にしたのは。
「ねえ、トカゲさん。まだ?」
「……黙って待ってろ」
「ハハハッ。トカゲさんって案外遅いタイプなんだね。あんまり時間をかけ過ぎていると、普通は相手に嫌われちゃうんじゃないの?」
俺は別にトカゲさんが早くても遅くても、どっちでもいいんだけどさ、関係ないし……と朗らかに笑っているエースと、それを不機嫌そうに睨みつけるグレイ。
ブツブツと何かを零したようだが、アリスの所までは届かない。それを聞いたエースは表情をぴくりとも変えないまま、短く何かを囁くが、やはりそれも、周囲のざわめきにかき消されて判別できない。
エースの前には、伏せられたカードが1枚。対するグレイは手札を見ながら、出すカードを思案しているところのようだ。
エースだけを見れば陽気にプレイを楽しんでいる真っ最中に見えないことも無い……のだが、グレイが放つ空気はピリピリしていて、到底そんな様子には感じられない。
「……すげぇな」
「うん……」
周囲が遠巻きにしているのも分かる。
今のあの2人の空気は、正直怖い。おそらく上手く聞こえなかった部分の会話も、穏当なものでは無いだろう。
普通の人間だったら引くに決まってる。
(……グレイとエースって、仲良くないのね……)
グレイにしては珍しい、意外なくらいの姿に、アリスはそれを思い知る。
まあ理由は分からなくもないけど……とは思う。エースのような人間を快く受け入れられる人間自体が、そもそもあまり多くないだろう。そういう意味で、ユリウスはとても偉大だ。
(変なことにならないといいんだけど……。……ならないよね?)
張り詰めた空気に、思わず不安になってしまう。
何かあったら止めなければと思いながら、アリスは2人のゲームを見守ることにする。
「あれは、何の対戦をしてるのかしら?」
「CLOVER&HEARTじゃないか? 手札がそうだ」
エリオットの言葉に、アリスは驚く。
(2人まではまだ少し距離があるのに……エリオットには、手札のカードが読み取れているの?)
アリスには、カードの枚数ですら4~5枚くらいだろうと曖昧にしか読み取れなかったくらいだ。
エリオットはよほど目がいいらしい。……動物だからだろうか。
ともあれ、CLOVER&HEARTならルールは分かる。元いた世界にも似たようなゲームはあったし、こちらに来てからも何度か遊んだ。ゲームの流れが分かっていれば、状況の変化も察しやすい。もし何かあっても、間に割って入りやすい……はずだ。多分。
「……いいぞ」
「おっ、やっと出す準備ができたみたいだね。それじゃあ……いこうか」
そんな中、煙草をくわえたままグレイがカードを伏せる。にこやかに笑ったエースもまた自分のカードに手を掛け、一斉に2人のカードがめくられた。
続く