インペリアル・カジノ 07



 どこかへ引っ込んでいたブラッドが再び現れると、プレゲームと談笑で賑わっていた会場は徐々に静けさを取り戻した。開会の挨拶が始まり、招待状に書かれていた内容をなぞるように今日の趣旨が改めて説明されていく。やがて賞品……アリスの紹介も行われた。
(は、恥ずかしい……)
 一斉に皆の目がアリスに注目する。穴が入ったらそこに逃げ込みたいくらいだが、生憎とそのようなものはここにはない。せいぜい、体を半分くらい、脇に立つエリオットの陰に隠すくらいが限界だ。
「ん? どうした?」
「あ、いや……。……気にしないで」
 怪訝そうなエリオットだが、理由など言えるはずが無い。そうこうしている間に話は先へ進み、アリスに浴びせられていた視線が外されていくと、ようやくホッと息をついた。

「さて、勝者を取り決める方法だが……勝敗数だけで競うのでは、対戦相手の質や、1プレイに要した時間によって格差が出てしまうだろう。そこで今回は、このような方法を取らせていただくとしよう」
 言いながらブラッドが手にしたのは金色のコイン。賭けに用いられるチップの山が並んだテーブルへ近付き、それを鷲づかみにする。
「カジノならば、やはり勝敗はこれで決するべきだろう。終了時刻までの間に、このチップを最も多く稼いだ者を優勝者とする」
 元手は、いくらでもいい。いかに勝ち、多くのチップを増やすかで勝敗を決する。最終的に保持していたチップから購入に用いたチップを引き算した後の枚数が、最も多かった者が優勝となる。
 それがブラッドの掲示したルールだ。
 ゲームによってレートはまちまち。一攫千金を狙うも、堅実に増やすも、それは各々の考え次第だ。
 パッと見ただけでは、他の参加者がどれだけ勝っている状態なのか分からないのもポイントだろう。自分の成績は分かっても、他人の成績までは読めない。他の参加者と比較して、自分が今どれくらい勝っているのか、それとも負けているのか……判別が付かない状態で次のゲームにベットするのだから、それはある意味で高いゲーム性を持ち、参加者同士の駆け引きをもたらすことにもなる。
 上手いルールだ。
(こういう所に頭が回るのがブラッドよね……)
 さすがブラッドだと感心するしかない。
 後は実際にゲームをプレイするだけ。ブラッドが最後に開会を宣言すると、プレゲームの卓が片付けられ、いよいよ本番。
 帽子屋ファミリーの使用人達が着いた卓に多くの人が集まり、歓声や悲鳴を交えながらのゲームが繰り広げられていった。
「盛り上がってるみたいだなー」
「……そうね」
 その様子を眺めながらエリオットが満足げに頷いている。準備に奔走した彼からすれば、こうしてイベントが上手く進んでいる様子を見るのは喜ばしいのだろう。
「? どうした? なんか……元気ないな」
「うん、まあ……なんていうか……ね。見てるだけって、ちょっとつまらない……」
 アリスは今も特等席……と言えば聞こえはいいが、離れた場所に用意された豪華なだけの椅子に座っているだけ。皆がゲームに興じる様子を、ただ遠くから見ていることしかできない。
 遠すぎて、どんな状況になっているのかイマイチよく分からないのだが、そのせいで余計に気になってしまう。人間の心理とは厄介なものだ。
「あー……そうか、そうだよな。よし! じゃあ見に行ってみるか!」
「いいの?」
 エリオットは、わしゃわしゃと自分の髪をかき上げると、そうアリスに笑いかけた。それはあまりに呆気なくて、アリスの方が思わず聞き返してしまった程だ。
 ここはアリスの席。エリオットだって、だからこそここに付き添っているというのに。
「まあ……ずっとここに座ったままじゃ、あんたがつまらないってのは、確かにそうだろうからな。俺はこのままでも気にならないけど、あんたは違う。それなのに、ずっとここにいろっていうのも乱暴だからな。ま、俺がずっと付き添ってりゃ、この席を離れても大丈夫だろ」
 にっかにっかと笑いながら、暗に席を離れた場合に襲撃のリスクが高まることを示唆するエリオット。
 それは……ちょっと心配だけど。
 でも、それよりもアリスは好奇心と、自分もまたこの集まりを楽しみたいという気持ちの方が勝る。
「じゃあ、お願いしちゃおうかな」
「おう、任せとけ! あんたの知らないゲームもあるだろうから、そういうのは言えよ。ちゃんとルール解説するからさ」
 ならまず、あっちの端の方から見てみるか、と指差すエリオットについて、アリスもまたプレイ会場へと向かっていった。

 用意された卓の多くはカードでのプレイに興じるものだった。親がついてポーカーやブラックジャックなどを繰り広げている卓もあれば、参加者同士でチップを賭けて、対戦型のゲームに興じている者達もいる。
 その他といえば――。
「ぐっ……次だ次!」
 悔しげな声を響かせて、がたがたっと立ち上がる音が聞こえる。あれは……。
「ナイトメア?」
「ああ、アリス……」
 間違いない、あの後姿はナイトメアだ。近寄れば、ナイトメアが情けなく肩を落としながら振り返る。
「え? もしかして負けたの?」
 まさかナイトメアが。
 人の心を読み取れるナイトメアが、負けるだなんて。
 信じられない気持ちで尋ねたアリスだが、ナイトメアは盛大な溜息と共にそれを肯定してくれる。
「そんな……ナイトメアが負けるなんて。一体どんな相手がディーラーだったの? グレイ並みに強靭な人がブラッドの他にも帽子屋屋敷にいるだなんて……あっ、もしかしてブラッドが自ら……!?」
「違う」
 あれだよ、とナイトメアが指したのは、他よりも多くの人が集っている、大き目の卓だった。その中央に置かれていたのは――ルーレット、だ。
 ディーラーがベットを締め切り、軽快な語り口でルーレットを回す。やがて回転が止まり、ボールが飛び込んだ目が当たり。それはアリスの世界とまったく変わらないルールだ。
「あっはっは。あんたの能力も、これ相手じゃ使い物になんねぇだろ? ナイトメア」
「まったく、参加できるゲームにここまで制限を掛けてくるとはな。確かに、これでは思考を読めても意味は無いが……」
 耳を揺らし、してやったりという様子のエリオットに、ナイトメアは苦虫を噛み潰したような顔をする。
「制限って?」
「ディーラーの思考が読まれたらマズいゲームは参加禁止。運頼みのゲームと、ナイトメア本人の力量のみで競うゲームだけは参加OKにしたのさ。でないと、こいつとなんて勝負にならないからな」
「おかげで私が参加できるのは、このルーレットの他はハイ&ローと、あとはアレだけだ。参加できるゲームが少なすぎて寂しいもんだぞ」
 と、ナイトメアが指差したのは隣にあるダーツ場だ。
「ゲームは知的遊戯だが、ダーツは肉体を用いる遊戯だ。私は病弱なんだ、なんだってたった3つしかないゲームのうちの1つが、こんな体を使うゲームなんだ……!」
「あら、意外ね。ナイトメアってああいうの得意そうなイメージなのに」
 わなわなとダーツ場の方から体を背けるナイトメア。だが、アリスの呟きに「え?」と振り返る。
「……そうか?」
「ええ、なんとなくだけど。あなたのこと、夢だけで会ってた頃は神秘的なイメージを持っていたから、そこからの連想かしらね」
 こうしてクローバーの塔に滞在するようになって、仕事にしろプライベートにしろ、こうして現実でも頻繁に会うようになってからは、その神秘的なイメージも弱まりつつあったけど……。
 最初のイメージがあるせいだろうか。飄々とダーツを投げて命中させてしまいそうな、そんなイメージがある。
「そうか……う、うむ。ふはははは。そういう事なら挑戦するだけしてみようか。もしかしたら、私には私も知らなかったがダーツの才能があるというような事もあるかもしれん!」
「え?」
 アリスはただ、思い付きと印象から好き勝手にそんなイメージを持っていただけだ。しかしナイトメアは何を勘違いしたのか、根拠の無い意味不明なセリフと共にダーツ場へ向かい始める。
「いやでも、あの……ナイトメア、ダーツの経験は?」
「無い」
「……未経験者がいきなりダーツに挑戦しても、的に命中させるだけでも難しいと思うわよ?」
 まさか、と思いつつ尋ねたアリスは、ナイトメアがきっぱりと口にした返答を聞き、ああやっぱりと思うしかなかった。
 ダーツは、そこまで甘くない。いくらなんでも、それで上手くいくとは思えない。
「あのさ、ナイトメア。あんた病弱なんだから、あんまり張り切って動き回るのは……」
 はしゃいで、とは言わなかったアリスは、自分で自分をえらいと褒めてやりたい気分だ。そのくらい、ナイトメアは見るからに、明らかにきらきらとした顔でうきうきとダーツをしに向かっている。
「なに、少しくらいなら大丈夫だとも!」
 笑い声と共に自信満々に言い放つナイトメアだが……。
 ……その自信は、どこから来ているのだろう。
「アリス、君もやるか? やるならチップは私が一緒に払うが」
「ああ、いやそういう事なら必要ないぜ。アリスは正確にはプレイヤー側じゃないからな。チップをもらう訳にはいかねぇよ」
 振り返ったナイトメアに、それまで黙っていたエリオットが割り込む。確かにアリスは賞品なのであって、プレイヤーではない。エリオットは部下に一声かけると、1回分としてセットされていたダーツを取り、アリスに渡してくれる。
 まだ投げるとは言ってないんだけど……まあ、いいか。
 せっかく好意で用意してくれたのだから、返すのも悪い。
 アリスはナイトメアと並んで、隣の的の前に立つ。
「ではせっかくだ、アリス、勝負といこうじゃないか」
「そうね、何を賭けましょうか」
 ナイトメアはチップを賭けているが、それはアリスとの勝負とは無関係なオッズだ。2人で勝敗を競うのならば、こちらも何か賭けて遊ぶべきだろう。
 せっかくのゲームなのだから。
「そうだな……なら、勝者は、下の広場で売っているスコーン屋で、一番大きい詰め合わせセットを敗者に奢ってもらう、というのはどうだ? あそこのスコーンは君も好きだろう」
「あら、いいわね」
 少し考え込んだナイトメアが挙げたのは、塔のすぐ傍にある広場で人気のスコーンワゴンの店だった。あそこのスコーンはとても美味しく、ナイトメアもアリスもお気に入りだ。
 一番大きな詰め合わせセットは9個入り。あの店の全てのスコーンが1種類ずつ入っているのだが、何よりも欠点はその人気の高さ。販売時刻は予告されているが、いつだってすぐに売り切れてしまう。その入手困難なスコーンの詰め合わせセットを、入手してプレゼントするのが賞品なら、悪くはない。
「では決まりだ」
 同意が取れたところで2人は改めて的へ向かい……ほぼ同時にダーツを投げた。



 続く