インペリアル・カジノ 06



 いろいろあったものの、論争に一応の決着が付いた後、アリスはビバルティやナイトメア達と別れ、改めて席に付いた。
 両脇には、さっきまでと同じようにディーとダム。ちょっとつまらなさそうなのは、ゴタゴタが落ち着いてしまったせいだろうか。
「……暇? 別に、ここにいなくてもいいのよ? 二人に付き添ってもらわなくちゃいけないような危険なこと、そうそう起きないだろうし」
 ちょっと仰々し過ぎると自分でも思っていたところだ。でも2人は口々に「ええっ!?」「暇だなんて! そんな事無いよ!」と首を振る。
「もしかして、お姉さんの方こそ暇だった? お姉さんを暇にさせちゃうだなんてダメだね僕達」
「そうだね兄弟。お姉さんが暇に飽きてしまわないように、僕達、ちゃんとお姉さんを楽しませてあげなくちゃいけなかったのに」
「え? いやあの別に、そんな事は気にしなくていいのよ?」
 双子達がアリスを楽しませる手段とは、往々にして危険とスリルに満ちている。それも命がけのだ。この室内でもそんな事が起こるのかはわからないが……油断してはいけない。
 丁重にお断りするアリスだが、双子達はアリスの意向をまったく気にしていない。
「そんな訳にはいかないよ、お姉さん。僕達、お姉さんのホスト役なんだから」
「でも兄弟。ここには大した道具が無いよ。どうやったらお姉さんに満足してもらえるだろう?」
「道具は、あくまでも道具だよ兄弟。そんな物が無くたって、僕達自身でお姉さんに楽しんでもらえばいいのさ」
「あっ、そうか。冴えてるね兄弟」
(……何が『冴えてる』んだ……?)
 アリスを挟んで交わされる会話に、どことなく怪しい響きを感じなくもない。双子達が大人になっているせいだから? いや、おそらくそれだけが原因ではあるまい。
 双子達は何を考えているんだろう……あ、いや、気になるけど知りたいわけじゃない。知りたくない知りたくない。できればずっと知らないままでいたい。その方がきっと、幸せだ。
「――兄弟、どうしたらお姉さんは喜んでくれると思う?」
「こういうのはどうかな? 兄弟」
 だから、ゆっくりと性質の悪い笑みを浮かべた2人が身を寄せてきても、アリスは視線を逸らせて逃れようとする。でも、ゆっくり近付いてきたディーがアリスの手を掴み、ダムの顔がアリスが視線を逸らそうとした方へ先回りして。
(あれ。これって……)
 逃げられない?
「あーっ、あーっ!?」
「……チッ。うるさいな」
「やかましいよピアス。邪魔しないでくれる?」
「そうだよ。僕達、今お姉さんといいところなんだから」
 すっと、何か冷たいものが背筋を走った次の瞬間。ふるふると指先を震わせながら、こちらを指差して青くなっているのはピアスだ。ありありと邪魔が入ったという顔で振り返りながらも、ディーとダムは何気なくそのまま、ますますアリスへと密着してくる。
「あーっ、あーっ!? 何してるんだよ!? アリスから離れてよっ! ア、アリスは俺のなんだよ? 俺のなんだから俺に勝手に近付いたりしたらダメなんだからねっ!?」
「誰がお前のだって?」
「違うだろ。……ああ、なら、かわりにお姉さんは僕達のにしよう。ね?」
「何が『ね?』なの……」
 バタバタ走ってくるピアスを睨みつけて、にっこり笑顔を並べた双子達にアリスは顔を引きつらせる。彼らをひっくるめて「やかましいなぁ」とひとまとめに一刀両断したのはボリスの声だ。
「お前ら、そういうの『どっちもどっち』って言うんだよ。……ところで、なんだってアリスは、そこで、そんな事になってるわけ?」
 ボリスからしてみれば、先日のあの流れで、アリスがこんな豪華な特別席についている意味が分からないのだろう。ピアスもハッとした顔で「そうだ、そうだった!」とアリスに向き直る。
「アリス賞品だなんて嫌だって言ってたのに、なんだってこんな所でこんな風に座ってるの? もしかしてボス達に脅されてる……?」
 ピアスの目は不安そうに案じるようにアリスを見ている。
 もしそうなら……と小さく続けられた声の、思いがけないその低さに、アリスは慌てて「ち、違う。違うわ、そうじゃなくてね……」と畳み掛けるようにして事情を説明していく。
「へぇ……あの女王様が……」
 とても意外そうな声をボリスは上げるが、さっきアリスも似たようなことを思ったので、あまり人のことは言えない。
「でもそういう事なら、あんたも一安心だね。まあ、それでも変な奴が優勝しちゃうと、面倒な事になるかもしれないけど」
「それは……まあ、そうなんだけど……」
 そうならない事を祈るばかりだ。そもそもアリスは今日、一体どのような面子が呼ばれているのか正確なところを知らない。優勝するのが友人達の誰かならまだいいかもしれないが、まったくの初対面の人だったりしたら、それはそれでやりにくそうだ。
「……じゃあさ、俺、そのバカンスに飼い猫として一緒について行こうかな。いい?」
 それならあんたも多少は気が楽じゃない? と猫のように目を細めてボリスはせがんでくる。
「いや……あんた、猫じゃないし……いや猫だけどさ……」
「ええ? 俺は猫だよ?」
 相反する言葉を紡ぐアリスを見ながら、ボリスはおかしそうに笑う。
「……そういうわけにはいかないでしょ」
「どうして? ペットは同伴でも別にいいと思うんだけど」
 そうして細めた目のまま、アリスの肩へ手を伸ばしてくるボリス。だが、それをべしっとダムがはたき落とした。
「ダメだよ。ダメ」
「そうだそうだ。ダメに決まってるだろう? せっかく優勝できても、ボリスみたいなオマケがついてきたら台無しだろ」
 ディーも同調して二人一緒になって頷いている。
「え? まさか、あんた達も出る気なの……?」
 ディーとダムは帽子屋ファミリーの一員。言ってしまえば主催者側だ。それなのにゲームへ参加するというのだろうか。
「そうだよ。お姉さんが賞品に貰えるんだったら、ね、兄弟?」
「もちろんだよ兄弟。せっかく会場に来てるのに参加しない手は無いよ」
 うんうんと頷くダム。どうやら参加制限があるわけではないらしい。……いや、あっても参加する気なのかもしれないけど……。
「というわけで、ボリスやピアスには負けないよ?」
「そうそう。お姉さんは僕達の物にするんだからね」
 ねっ、とアリスを挟んで笑い合う双子達。遠目に見れば無邪気な光景なのかもしれないが、決してそんな生易しいものではないことをアリスは知っている。
「ダメダメ、ダメだよっ。アリスは俺のっ。だからディーやダムには絶対あげないよっ。もちろんボリスにも! 誰にもあげない、アリスは俺のなんだからねっ。俺が優勝して、アリスは俺の家に招待するんだからねっ」
「お前の家って……あれにかぁ?」
 あわあわしながらも意気込みを見せるピアスに、ボリスが顔をしかめた。
(……ピアスの家……そんなに凄いところなのかしら……)
 その反応に、アリスとしては戦々恐々だ。
「ボリスが? お前が僕達に勝てるわけないだろ。お前なんか僕達の足元にも及ばないってこと、たっぷり教えてやるよ。ねえ兄弟」
「そうだね兄弟。ピアスごときに僕達が負けるはずが無いよ。こんな臆病者のネズミ、ロクに賭けの仕方なんて知らないに決まってる」
「言ったな! こ、これでも俺、ネズミ仲間の中では強い方なんだからねっ。いっつも勝ってるんだから。ディーとダムが相手でも負けたりしないよ。それで、優勝してアリスを連れて帰るんだ」
「へえ……ピアスにしては珍しいじゃん、そこまで言うってことは、よっぽど自信あるんだ。へー……」
 それまでディーとダムの方ばかり向いていたピアスが、舌なめずりするようなボリスの言葉に少し怯む。びくびく、という擬音がピッタリだ。
 ピアスは怯えた様子でボリスを振り返る。
「ふーん。そこまで言うなら、ちょっと興味あるな、その腕前。……あんたを連れて帰っていいなら、俺もちょっとやる気出してみようかな」
「え? いやあの……!」
 雲行きが怪しい。
 しかし止める間もなく、「最近手に入れたコレクションも見せたいしさ」とボリスは舌なめずりするように笑う。かと思えばディーやダムが対抗し始めて、すっかり対立の構図が出来上がってしまっている。
「なら早速やろうぜ。ほら、もう始めてる連中もいるみたいだし」
「望むところだ。行くよ兄弟」
「お、俺だって! 絶対負けないからね! あっ、だから待っててねアリス!」
 卓の方を指差すボリスに続き、4人はバタバタとアリスの前から去っていってしまう。
 残されたのはアリス1人。静かになってホッとするような……少し寂しいような……。
(いやいやいや。寂しいとか感じるなんて……)
 無い無い、無いわ。いくらなんでも。そうアリスは誤作動を起こした自分の胸に強く呼びかけ、ひとり頷いてみせる。
「……あれ? あんた1人か? 門番共はどうした?」
 そこへエリオットがやってくる。いつの間にか、アリスが1人になっていることに気付いたのだろう。
 あれよ、とディーたちが向かった先を指せば、エリオットは眉を寄せて髪をかきあげる。
「なんだぁ? あいつら、仕事サボって遊んだりしやがって。くそ、一発いや、二発三発ぶっ放して連れ戻してやる……!」
「ちょっ、待ってエリオット!」
 早撃ちの要領で、いつの間にか銃を構えているエリオットを慌てて止める。
「私は別に護衛とか要らないし、いいのよ? ずっと2人に張り付かれてると疲れちゃうし……遊びたいなら遊んでいてくれた方が、正直気が楽だわ。だから、ね? その銃をしまって頂戴」
「そ、そうか……? あんたがそう言うなら……」
 強い口調で語るアリスの勢いに、エリオットは銃をしまってくれた。
 ホッとする。こんなところで銃撃乱闘戦など冗談ではない。
 部屋だってボロボロになってしまうし、催しだって勿論パーだ。どのような阿鼻叫喚が繰り広げられ、後片付けに手間が掛かるかを考えると……思い留まってくれて本当に良かった。
「けどよ、あんたは大事なお客だし、今日に関してはもっと重要な意味合いもある……んだろ? 俺、あんたが賞品だなんて話、さっきまで全然知らなかったから驚いちまったけどさ」
「あら、そうなの?」
「おう。面白いアイディアがあるってブラッドが楽しそうに何か計画してるのは見てたけど……」
 ……あんな招待状をばらまく一方で、腹心のエリオットには内緒にしているだなんて。
 一体何を考えてるんだ、あいつは……。
「まあ、とにかくさ……招待客も色々だし、もしあんたに近付いて、何か悪さするような奴がいたら困るからな。門番共の代わりに、俺が傍についててやるよ」
「え? でもエリオットは他にも色々仕事があるんじゃ……?」
「大丈夫大丈夫! 大体のことは、あいつらに任せておけばいいしな!」
 エリオットは帽子屋ファミリーのナンバー2。あのブラッドがボスであることも手伝ってか、エリオットはいつも忙しそうにしている。今日だってきっと、実務の責任者として様々な事柄を取り仕切っているのはエリオットだろう。
 けれど、エリオットはニカッとアリスに笑いかけてくる。あいつら、というのは帽子屋屋敷で働いている部下の面々だろう。確かに、彼らはゆるゆるとした雰囲気を纏っているものの、有能で意外と機敏だということはアリスも知っているが……。
 ……いいんだろうか? 本当に。
「それに、あんたを1人にしておくのは嫌なんだ。俺が」
 真剣な眼差しで告げたエリオットは、「あんたと一緒にいると俺も楽しいしな。だから気にしないでくれ!」と満面の笑みをアリスに向けてくる。
 にぱっと明るく朗らかなその笑顔は、どうにも眩しい。そして……。
(……耳が……)
 ぴょこ、ぴょこりとエリオットの頭で長い耳が揺れている。
 この揺れ方は知っている。機嫌がいいときの状態だ。楽しいという言葉に偽りは無いのだろう……。
「……ほんとに……」
「ん? なんだ? 何か言ったか?」
「ううん。なんでも」
(ほんとに……可愛いウサギさん)
 思わず口から出た呟きを、拾い上げたエリオットにしれっと首を振る。
 思わず苦笑してしまうくらい、エリオットは本当に「可愛いウサギさん」だ。そんなエリオットいるのも悪くないかもしれないと、そう思ってしまう自分自身に、アリスは更に苦笑を深めた。



 続く