インペリアル・カジノ 05



「……ほう」
「まあ、お前も一度この子の名を出してしまった以上、引けに引けぬのであろうな」
 空気が凍りつく。けれどビバルティは厭わずに、ほほほほ……と軽やかに笑ってみせる。
「だがこれではお前の催しとやらも始まるまい。揉め事を当事者だけで纏めるのは難しいもの。こうこじれていては、話し合っても上手くいくまい。ここは第三者であるわらわが間に入り、仲裁してやろう。なに、普段は城の裁判をすべて取り仕切っておるのだ。調停ならば任せるがよい」
「……第三者って、どう見てもアリスの味方じゃないですか。大体あなた、裁判なんて言っても、いつも死刑しか……」
「ペーターさん。静かにしててよ? 騒いだら俺、ペーターさんを斬らなくちゃいけなくなる。本当は大切な同僚にそんな事したくないけど、女王陛下からの命令だから、どうしても従わなくちゃいけないんだ。だからさ、大人しくしててくれよ」
「あなたも白々しい……!」
 ビバルディの後ろで会話を交わしているのはペーターとエースだ。ペーターがいつになく大人しいのは、どうやら、ビバルディに余程強く釘を刺されているかららしい。
 しかし、あのペーターがビバルディに何かを言われて大人しくしているとは……。何かよっぽどの事があったのだろう。
 エースは……面白がってるだけだな、あれは。十中八九。間違いない。
「ビバルディ……?」
 しかし、今とにかく気になるのは、ビバルディが一体どんな発言をするつもりなのか、だ。
 おずおず見つめると、彼女は任せておけと言わんばかりに頼もしげな表情で頷く。
「アリスの主張は、自分の身柄などという重要なものが、このようなゲームごときの景品とされるのは憤慨の極みであり、挙句に未来永劫その者のものとなるようなことは許せない……と、このようなものでよいか?」
「う、うん」
 そうね。大体そんな感じだと思う。
「対して帽子屋はアリスに協力してもらうという承諾は得たのだから、アリスを賞品にすることは何の問題は無いと。そういう主張だな?」
 ブラッドは黙ったままで何の返事もしない。が、沈黙は是と見なしてビバルディは話を続ける。
「ならば話は簡単じゃ。永劫などという条件付けだから問題なのであろう? 期限を設ければ良い」
「は?」
 思いがけない提案すぎて、アリスの頭が付いていかない。
 その間に、ビバルディの言葉は続く。
「ナイトメア。お前、アリスにこの会合が済んだら長期休暇を与えよ。期間は、そうだな……ざっと20時間帯というところか」
「あ?」
「なっ、なんでそんな命令をされなければ……」
 グレイの顔色が瞬時に変わり、隣のナイトメアが抗議をしよう……として、ビバルディの一睨みに思わず身をすくませている。
「まあ黙って聞け。――アリス、おまえはその休暇を、優勝者の元で過ごすものとする。優勝者はアリスが滞在するに相応しい屋敷、もしくは部屋を用意し、アリスを客人として丁重にもてなすこと。卑劣な振る舞い、下衆な振る舞いは禁じる。基準は『アリスがそう感じるかどうか』とし、アリスがそう断じた時点で、その滞在を切り上げ、終了させても良いものとする。
 ただし食事はその優勝者と共に取ること。食事の際に優勝者がアリスになにかを語りかけるも、説得するも自由だ。それ以上の拘束を強制することは禁じる」
 すらすらと裁定を下していくビバルディ。その姿はどうにも凛々しく、アリスは混乱した頭ながらも思わず見とれてしまう。
「20時間帯ののち、アリスの身柄は速やかにクローバーの塔へ戻すこと。ただしアリスと優勝者との間で納得のいく結論が出た場合に、アリスがそのまま優勝者の元に身を寄せ続けるのは自由であろう。つまり、アリスの同意あらば、優勝者がアリスの身柄を得ることは有り得るというわけだ。無論脅迫や監禁の類では無い事を確認するため、クローバーの領主たるナイトメア、おまえにはアリスから直接それを確認する権利があるものとする」
 以上、とビバルディは皆を見やった。
 ……ええと。
 アリスは今の内容を噛み砕いて考えてみることにした。自分が賞品であるという点は変わらないが、それはどうやら『アリスが20時間帯の休暇を自分の領土で過ごすしてくれる権利』に規模が縮小されたようだ。
 20時間帯といえば、アリスの世界ではおよそ1週間くらいに相当するだろうか。休暇としては長めだが、バカンスとして考えるなら、そこまで不自然というほどの期間でもない。
 アリスは客人として丁重にもてなすことが約束され、不当な扱いをされた場合は期間を切り上げて帰ってしまって構わない。
 そして休暇が終わったら塔に帰る。だとしたら、ただの旅行のようなものだ。食事を共にするという条件はあるが、滞在先で世話になっている人と一緒に食事を取るのは、そうおかしなことではない。アリスだって元の世界で親戚の家や友人の家に出かければそうだった。
 アリスが認めれば、アリスがそのままそこへ滞在する目もあるというルールのようだが……まあ、これは無いな。アリスはクローバーの塔以外の場所に滞在するつもりはなかった。あるとすれば時計塔だが……クローバーの国では決して起こりえない出来事なのだから、考える必要は無い。
 嘘の証言をアリスにさせ、無理矢理滞在させ続けようとしても、ナイトメアが確認するのならば無意味だ。ナイトメアの力があれば、真偽の判断はたやすい。
(……えっと、これ、悪くない条件……かしら。もしかしなくても。えっと、仕事を休まないといけないから、そこだけナイトメア達に迷惑をかけちゃいそうだけど……)
 アリスはちらりとナイトメアの方を見る。
 もしかしたらアリスは何かを見落としているのかもしれない。そもそも、ビバルディがそうそうアリスの不利になるような真似をするとも思えないが、もしそういった事があっても、ナイトメアやグレイが気付いてくれるはずだ。
「……驚きましたね。女王陛下、あなたにしては……」
「なんじゃ? わらわはいつもこうであろう」
 が、まず先に感嘆の声を漏らして、アリスを後押ししてくれたのはペーターだった。
 ペーターは人格に問題があるが、聡いことは聡い。その彼が頷くのならば、信頼度はあがる……ような気がする。ペーターがアリスに不利となる意見に頷くなんてこと、それこそ有り得ない。
「まあ、お前の意見はいい。どうじゃ?」
 ビバルディの視線はナイトメアを向いている。アリスが半信半疑、不安の入り混じった視線を向けると、ナイトメアはゆっくり頷く。
「確かに、それならばアリスにとって悪い条件ではない。グレイ、アリスの仕事の調整はできるか?」
「ええ。……これまで色々と熱心にやってもらいましたからね。会合になればまた忙しくなりますし、合間に長めの休暇というのは悪くないかもしれません」
 どうやらナイトメアだけでなくグレイからもお許しが出たらしい。
 2人が賛同するなら、ますますいい話のように思えてくる。
「帽子屋、お前は?」
「フ……仕方あるまい。それで手を打とう」
 やれやれ、と溜息交じりながらも、ブラッドも頷く。そこに先程までの緊張感は無い。嘘や偽りではないのだろう。もし、そうであればナイトメアが指摘するだろうが、彼は沈黙したままだ。
「では、これでよいか? アリス」
「ええ……ありがとう、ビバルディ」
「なに、おまえの困っている姿は見るに耐えんからな。……それに、わらわが優勝したら、当分はおまえと一緒にいられるということになるだろう?」
 くすくすとビバルディは笑う。
 そうか、そういえば、ビバルディが優勝する可能性もあるんだった……。
「でも、城ならいつも遊びに行っているじゃない」
「だが今回は違う。ずっと滞在するのだからな。大違いだ」
 一気にほぐれた空気にほっとして、アリスはビバルディと笑いあう。
「…………」
 アリスは知らない。気付かない。対照的に、男性陣が何故か黙り込んでしまったことに。
 唯一いつもと変わらないように見えるのはブラッドだけ。聞こえるのはただ、ブラッドがいつものように喉を鳴らして、薄く笑う、あの声だけだった。



 続く