インペリアル・カジノ 04



 時間帯が変わってすぐに訪れたこともあってか、アリス達が一番乗りの格好となったようだった。室内にはまだ、帽子屋ファミリーの姿しか見られない。
「よーこそ〜」
「いらっしゃいませ〜」
 出迎えてくれたのは帽子屋屋敷の使用人達。その中の1人は、アリスが帽子屋屋敷へ遊びに出かけた際によく顔を合わせ、時にはちょっとした雑談を交わす仲にあるメイドさん。彼女がにっこり笑って代表でアリス達の前に立った。
「お待ちしておりましたぁ〜。ナイトメア様とぉ、グレイ様はぁ、あちらのお席へどうぞ〜。アリスお嬢様のお席は〜、こちらです〜」
「ちょ、ちょっと待った。何故アリスだけ別の場所へ行かせようとするんだ!」
 すいっとアリスと他の2人の間に入ろうとするメイドさんを遮り、ナイトメアが吠える。
「それは〜、お2人がゲームの参加者で〜、アリスお嬢様は違うからです〜。不正その他の防止のためー、参加者とそれ以外の方は〜、席を分けさせてー、いただいております〜」
「だっ、だがっ! 私はアリスの保護者だ! アリスの滞在するこのクローバーの塔の領主だ! アリスの様子を監督する義務と責任があるっ!」
「はあ〜。でもぉ、ルールですので〜……」
 メイドさんの説明には一応妥当性があるように聞こえたがナイトメアは引かない。
 正直、この年になって、しかもナイトメアごときに保護者を主張されるのは複雑な心境だが、ここまでの経緯を考えると仕方ないだろう。ナイトメアも必死に頑張ってくれているのだろうし、正直、アリスもできることなら2人とあまり離れたくはない。
「……まあ、席のことは置いておくとしても、だ。その前に主催に挨拶がしたい。これは会場を貸しているクローバーの塔、ひいてはクローバーの領土の代表者としての意向でもある」
 うぐぐ、と更に吠えようとしたナイトメアを制して、グレイはすらすらと口にする。
 なるほど、上手い。
 ……そう思った途端、ナイトメアがありありとしょげているが、そこに気を遣っている場合ではない。
「それでしたら〜……」
「なんだ? モメ事か? ……って、あんたらか」
 押し問答に気付いたのだろう。やって来たのはオレンジの髪に、ぴこぴこと揺れる二本の長い耳の主――帽子屋ファミリーのナンバー2、エリオットだ。
「なんだ? うちの奴がどうかしたか?」
「いや、主催者に挨拶をと……」
「ちょうどいいエリオット! アリスを我々と切り離して一体どうするつもりだ!?」
 グレイが交渉を試みようとしたところで、勢い良く身を乗り出していくナイトメア。私とグレイは思わず額を押さえた。視線を交わすまでもなく、私達の思いはきっと同じに違いない……。
「どうもこうもねぇよ。あんた、ブラッドに協力して、今日のイベントを盛り上げてくれるんだろ?」
「え、いや……」
 一体ブラッドからどのように話を聞いているのか。エリオットはきらきらした目でアリスを見てくる。
 否定しようとするものの、その暇を与えずエリオットはまくしたてる。
「だから、あんたには特別席を用意するようにってブラッドのお達しでな。ほら、見てくれよ、あれ!」
 エリオットが振り返った先には、一脚の豪奢な椅子。
 そして、その両脇には……。
「……僕達って門番だったはずだよね、兄弟」
「その通りだよ兄弟。それなのになんだって、こんな仕事をさせられなくちゃいけないんだろ。時間外労働だよ、由々しき事態だ」
「特別手当は出るのかな……?」
「たとえ特別手当が出たとしても、契約に無いイレギュラーな命令には従う必要無いはずだよ兄弟」
「でも兄弟。イレギュラーな内容が、お姉さんの世話係だっていうのは悪くないんじゃないかな」
「それはそうだけどね兄弟。こういった事は最初にしっかりしておかないと……あ」
 ブツブツと言い合っていたのはスーツ姿の青年が2人。
「お姉さんだ!」
「あっ、お姉さん。僕達、お姉さんが来るのを待ってたんだよ」
 それは大人に姿を変えた帽子屋屋敷の門番、双子のディーとダムだった。
「うっせーなお前ら! 塔には門なんてねぇんだから、会合期間中はたーだ遊んでるだけだろ! たまには会合期間中に仕事したってバチは当たらねぇだろうが!」
「うるさいのはお前だよ馬鹿ウサギ」
「そうだよそうだよ。僕達は門番が仕事なんだ。門が無い以上、仕事する必要なんて無いに決まってるだろ」
「そんな子供みたいな言い訳があるか!」
「だって僕達子供だもーん」
「バッチリ大人の姿してるじゃねぇか……!」
 叱りつけるエリオットと反論する双子たち。室内は一気に騒々しくなる……まあ、いつもの事だ。
 が、今はこっちの本題を忘れてもらっちゃ困る。
「いや、だからね? 私はそんなつもり……っていうか、これ、何?」
 しかしアリスも目の前の有様を無視することは遂にできなかった。
 こんな……こんな、この部屋で一番豪華で立派な、ハートの城にある椅子並みに凄い椅子に……座れっていうのか? こいつらは。
「お姉さんの椅子だよ。お姉さん、今日のイベントを手伝ってくれるんでしょ?」
「そうだよ。僕達、お姉さんのために一生懸命運んできたんだ」
「ここに座って、僕達に傅(かしず)かれているのがお姉さんの役目だって、僕達聞いてるよ?」
「そうそう。丁重にもてなすようにって、ボスに言われてるんだよ」
 はい、とディーがアリスの右手を掴み、反対側の自分の掌に乗せる。そのまま敬うように小首を傾げてくるディー。
 ダムは「さあ座って?」とアリスの体を椅子の前へ押しやると、とんっ、と軽い動作でアリスを椅子の座面へ追いやる……有り体に言うと、軽く突き飛ばして無理矢理座らせる。
「お姉さん、何がいい? 飲み物は紅茶以外にも色々揃ってるし、美味しいお菓子や食事もあるよ」
「何でも言って? 僕達、なんでもお姉さんにしてあげるから」
 ディーが食事などの並ぶテーブルを指しながら言えば、ダムがまだ空いているアリスの左手をディーと同じように取る。
 そうして、うやうやしくアリスへ寄り添いながら、手の甲へキスを落とす二人。
(うわぁ……これは)
 傍から見れば、見目麗しい2人の青年を左右にはべらせている女主人、あるいはお嬢様……と見えないこともないかもしれない。
 すごい。ベタベタすぎるシチュエーションだ。
 アリスには正直反吐が出るとしか思えないのだが、普通の女の子ならば喜んじゃったりしちゃうかもしれない。
「なっ、なななな!? アリス、早くこっちへ戻ってきなさいっ! まさかとは思うが、喜んでいたりしないだろうなっ!?」
「何言ってるの! あんた、私の考えてること読めるくせに、なんでそんな事も分かんないの……」
 大きく手招きするナイトメアにアリスは怒鳴り返す。だが立つことは許されない。何気なく、にこやかにうやうやしく振舞いながらも、彼らはがっちりアリスの両腕を押さえ込んでしまっている。
「えっと……ディー? ダム?」
「ダメだよお姉さん。僕達ボスから、お姉さんが席を立ってどこかへ行っちゃわないように、しっかり見張っておけって言われてるんだ」
「そうそう。だからお姉さん、じっとしていて? お姉さんが無理にどこかへ行こうとするなら……ね? 僕達、困っちゃうよ」
「……脅迫するのは止めなさい。あんた達の悪い癖よ?」
「えーっ? 脅迫なんてしてないよ。ね、兄弟?」
「そうだよ、お姉さん」
 そう言いながらも、双子たちは室内なのに持ったままの斧をちらちら、ちらつかせている。
 相変わらずの脅迫ぶりである。
「……その手を離せ。うちのアリスが困っているだろう」
 そこに低く響き渡った声。双子たちは無表情で振り返ると「いやだね」と声を揃えた。
「大体『うちの』って何?」
「確かにお姉さんはクローバーの塔に滞在しているみたいだけど、トカゲさんにそんなこと言う権利は無いんじゃない?」
 双子たちが見つめ返すのを、2人よりもよほど色の無い瞳と表情でグレイは睨みつけている。首からチラリと覗く、蜥蜴のタトゥーを無意識のうちにかなぞるように触れ、反対の掌が上着の裾を辿る。
 瞬間。
「そこまで。お前達、武器を下ろしなさい。お客人も抑えていただけるかな?」
 グレイが目にも留まらぬ速さでナイフを引き抜き、双子達が咄嗟に臨戦態勢を取って構えたところへ、実に不快な声が割り込んできた。
 ブラッドだ。
「あっ、あんたね……!」
 顔を見た瞬間、アリスは怒鳴りつけたい事が山のようになったのだが、咄嗟に言葉になって出てこない。あまりにたくさんありすぎて、うまく言葉になってくれないのだ。
「でもボス!」
「いいから」
 その間にブラッドは双子達を制止し、ステッキを手にグレイと、それからナイトメアに向き直る。
 睨みつけたままのグレイに、いつものように飄々としたまま。
「……グレイ」
 重々しく開いたナイトメアの声に、グレイはようやく構えを解いた。
 だが、返答次第ではまた、いつでも同じように……いや、それ以上の行為に出ることも辞さないつもりなのだろう。その目は、相変わらず厳しい。
「おやおや……。会合期間中には諍いを起こさない。それがこの『会合』の、数少ないルールだったはずだろう?」
 ルールを盾にされれば、まして主催者側のナイトメア達だ。彼らも、そう強くは出られない。ただ無言のまま睨み合い、空気がピンと張り詰める。
「それはさておき、うちの部下が失礼を働いたようだ。申し訳ない」
 わざとらしくお辞儀をするブラッドに、アリスは思わず怒鳴った。
「失礼なのはあんたもでしょっ。なんなの、あの招待状は! 人を勝手に賞品扱いだなんて……!」
「勝手? しかし、いかなる協力も惜しまないと言ってくれたのは君の方だろう? お嬢さん」
 やっぱり。
 ブラッドはやはり、アリスのあの発言の揚げ足を取るつもりらしい。
「確かに協力をするとは約束したわ。でも、自分を賞品にするだなんて事に同意したつもりはない」
 きっぱり言い切るアリスに、おやおやと笑うブラッド。その間ではエリオットが「えっ、えっ?」とアリスとブラッドを見比べながら戸惑っており、双子達は双子達でなにやら囁き合っている。
「しかしだ、これは実に素晴らしい目玉賞品なんだよ。誰だってこぞって参加したがるだろうし、参加の姿勢にも熱が入る。なにせ、珍しい余所者のお嬢さんが景品なんだ。……そそるだろう?」
「そそるか!」
 何の話だ、何の!
 大体、自分で自分にそそるとかなんの冗談だ!
 しかしアリスは深呼吸をして気持ちを落ち着ける。感情的になってはいけない。それではブラッドの思う壺。彼の手玉に取られてしまいかねない。少し気持ちを落ち着けて、改めてブラッドを見据えて口を開く。
「賞品だなんて人権を無視した行為、絶対に同意できないわ。本人が拒否しているのに、それを無理強いするだなんて、あなたの方が主催者としての資格を疑われかねないんじゃないかしら」
「ふふ……なるほどね……」
 かすかに細められた目が「そう来たか」と語りかけてくる。
 朗々と語るアリスの声は、周囲の使用人達にも届いているだろう。アリスがこのままこの主張を続ければ、このあと訪れるだろう、他の招待客の耳にも自然と入るはずだ。そうなればブラッド……ひいては帽子屋ファミリーそのものの評判も落としかねない。
 彼らはマフィアだ。落とすほどの評判も無いかもしれない。それでも決して、何も失わないということはないだろう。
 少なくとも、マトモな招待者が話を聞いて参加を拒否すれば、ブラッドはいい面の皮だ。恥をかかされる羽目になる。そのような事態になることをブラッドはよしとしないはず。
「しかし現に君はこの会場に来て、こうして席についているじゃないか。ん?」
「……っ!」
 席についていることこそ、全てを承諾している証――そうブラッドは言外に口にしている。
 この場にまだ、他の招待客がいないこともアリスにとっては分が悪い。両脇に付き従うディーとダムはブラッドの部下だ。アリスに好意を持っていてくれていたとしても、上司であるブラッドの命令があれば、アリスの口など、他愛もなく塞いでしまうかもしれない。
 この場を辞すのは簡単だが、そうすれば不在のままアリスの身柄は賞品にかけられる。
 ナイトメアやグレイは、全力でアリスを守ろうとしてくれるだろう。しかし、そのような動きがあれば、今度はクローバーの領主とその腹心が、塔で行われた催しのルールを反故にするような振る舞いをしたと、悪評でも流す気に違いない。
 壊す側よりも、壊される側の方が、分が悪い。
 ――どう、しよう。
 アリスが藁をすがるような思いで、必死に辿れそうなものを辿ろうとした、その時。
「見苦しい」
 端的に言い放ち、ばっさりと切り捨てたのは、いつだって凛として美しい声の主だった。
「……ビバルディ?」
「おまえに会うのは久々じゃな、アリス。ほら、そんな帽子屋ごときのせいで顔を曇らせるでない」
 会いたかったよ、と目を細めて微笑む様子は、いつもの、アリスには少しだけ優しいビバルティのものだ。会場を訪れたビバルディは騒ぎに気付き、すぐアリス達の方へやって来たらしい。
 その表情はすぐに改められ、厳しい視線がブラッドを刺す。
「わらわの大切なこの子を「賞品」などと呼ばわった挙句、当の本人からも拒絶されるとは。……無様じゃな、帽子屋」
 そこに嘲笑の色が浮かぶのを、誰も見逃しはしなかった。



 続く