インペリアル・カジノ 03



「……どうぞ。入りたまえ」
 エースが用件を口にする様子は無い。このまま黙っていても埒が明かないと入室を促せば、いつものような笑みを浮かべたエースが入ってくる。会合期間中だからなのか、その格好はいつもよりも少々堅く見えるが、エースはエースだ。
 と、入口にはスーツ姿の女性が1人。彼女は表に立ったまま、軽く視線の合ったアリスに会釈してくる。彼女の顔には見覚えがあった。ハートの城へ遊びに出かけたとき、何度か会った事のあるメイドさんだ。
 しかし、エースがメイドさんと連れ立って歩くだなんて珍しい。彼女達に城内を案内してもらえば、少なくとも城の中で迷うことは無くなるだろうに、エースはその道案内を嫌っていて、彼女達とは決して一緒に歩こうとはしないからだ。
「ん? ああ、俺は1人で良かったんだけどね。女王陛下が連れて行けってうるさくてさ」
 アリスの視線の先に気付き、エースはそう溜息をつく。
「ビバルディが?」
 意外な展開に驚く。ということは、エースはビバルディに言いつけられてここへ来たのだろうか。
「そう。ちょっと用事を命じられてしまってさ。でも俺1人で行かせたら、道に迷って満足に役目を果たせないからって言うんだよ。俺、こういう道案内役とかと一緒に歩くの好きじゃないのに、嫌になっちゃうよなぁ。俺だって、たまには迷わずに目的地へ行ける事もあるのにさ」
「『たまに』しか成功しないじゃないの……」
 その『たまに』は、本当に本当に稀な出来事だ。100回やって1回も無いくらいのレベルじゃないだろうか。1000回試せば1回くらいあるかもしれない。
 いくらメイドを道案内に付けたとはいえ、ビバルディもよくそんなエースに用事を言いつける気分になったものだ。
 それとも、そこまでしてでもエースに言いつける必要のある用事だったのだろうか……?
「まあ、俺もこの件は気になってたから、これはこれでいいんだけどさ……」
 言いながらエースの目が細められる。
 背筋がぞっと冷たくなるのをアリスは感じた。エースは笑っている。確かに、笑っている。でも目だけが笑っていない。冷酷に、歪められている。
「――アリス。こんな物が俺達の所に届いたんだけど? 何か知ってる?」
 そう言ってエースが出したのは、ついさっき見た覚えのある封筒と同じ物。
「ハートの城の連中にも届いたのか」
「そうだよ。夢魔さん達も同じものを貰ってるみたいだね。――で? どういう事なのかな」
「賞品になるだなんて事を承諾したつもりは無いわ。勝手に書かれていたのよ。私だって、さっき2人からこれを見せられて驚いたところよ」
 とはいえ完全に自分に過失が無いと言い切れる状況でも無いところが複雑だ。
 いや、もちろん悪いのはブラッド。ブラッドなんだけど……。

「アリス!」
 その時、派手な音を響かせて、執務室のドアが開け放たれた。
 飛び込んできたのは強烈なピンク。ボリスだ。後ろから一緒にピアスがついてくる。
 よく見れば、扉の向こうは廊下じゃなくて別の部屋だ。おそらくボリスの能力でドアと空間を繋げてやって来たのだろう。
「アリス、どういうこと? 君は俺が拾った落し物だから、俺の物のはずなのに、何でこんな事になっちゃってるのさ!? 俺の物なのに俺に無断で勝手に賞品になっちゃうだなんてどういうこと!?」
 ずだだだだ、とアリスへ詰め寄る様子から、彼らもまたブラッドから招待されたらしい事が分かる。
「あれ。ちょっと面白い取り合わせだね」
「ネズミくん。アリスは別に君のものってわけじゃないと思うけど?」
「ぴっ!? わっ、わわっ!? 騎士、騎士だ! なんで騎士がいるのっ!?」
 そんなピアスに呆れ顔をしながら悠々とボリスが歩いてくる。確かに、クローバーの塔の顔ぶれの中に、エースが混ざっているのは珍しい……気がする。
 そのエースはといえば、いつもの「にこやかだけど目は笑っていない爽やかな笑顔」をピアスに向けている。どうやらエースの存在が目に入っていなかったらしいピアスは、その途端、可哀想になるくらい青褪めて震え始めた。
 ……何、この反応。ピアスは余程エースが苦手なのかしら。
「ケンカは止めなさいよね。エース、ピアスが怯えているでしょう?」
「ええ? 俺は何もしてないじゃないか。……それよりもアリス、君の事を「自分の物」呼ばわりするような奴を庇うだなんて、正気?」
 俺としては、騎士として女性に身勝手なことを言い放つような奴を捨て置けなかっただかなんだけどね、などと口にしているエースの意見はもっともだ。もっともなのだが……。
 ピアスのこれは、いつものことだし。そりゃあもう初対面の時からずっと。それに比べればエースの方が余程……。
(……また小動物オーラにやられちゃってるのかしら、私。エースには耳とか付いてないしな……)
「で? どうなってるわけ?」
 ついエースの頭を見つめてしまうアリスと、そんなアリスの反応に黙り込むエース。
 それはさておき、と話題を本題に戻したのはボリスだった。アリスは溜息をつくと、彼らに先程ナイトメアやグレイと語り合った経緯を説明し始める。あらかた話を聞き終え、ボリスは溜息交じりにやれやれという顔を、ボリスは「えーっ、えーっ!?」とハラハラした顔をして、アリスに向き合い、そして。
「ふーん。君って隙が多いよな。そんなんでよくこの世界で無事に生きていられるよ。ほんとに」
 エースは相変わらずな爽やかさながらも容赦なく言い放ってくれる。心の底から感心しているというように聞こえつつも、ぞくりと底冷えするような感覚……。
 ……あんまり深く考えないようにしよう。
「騎士さん達はどうするつもりなわけ?」
「どうするも何も、俺は女王陛下に詳しいことを調べて来いって命令されただけだからなぁ。でも、まあ……そういう経緯なら、放っておくのもちょっと、ね。騎士としてはさ」
「あんた普段これっぽっちも騎士らしいことなんてしてないだろ……まあいいや。あんたが騎士らしいかどうかは置いておくとして。でも俺も同意見かな。アリスの意向を無視して、っていうのは、ちょっと戴けないよね」
「ボリス……!」
 ナイトメアやグレイに続いて、アリス側に共感してくれるボリスに思わずアリスの胸が熱くなる。
 ああ、持つべきものは友人よね……!
「そ、そうだよ。そうだよね。アリスは別にボスの物でも何でもないんだから。むしろ俺のなんだよ。俺が拾ったんだから俺の物。なのに勝手に賞品だなんてとんでもないよね!」
「……あんたの物でもないわよ?」
 ピアスは相変わらずだし、エースは胡散臭いけど……。
 何にせよ、こうしてアリスの肩を持ってくれるのは嬉しいことだ。
「大体、賞品として手に入れても意味なんて無いじゃん。こういうのはさ、やっぱり、自分の手で何とかしなくちゃ」
「へえ……分かってるじゃないか猫くん。うんうん、こんな真似は無粋だよなぁ。帽子屋さんも、一体何を考えてるんだろうな?」
 ……多分。
 ちょっと会話の雲行きが怪しくなっているような気がするけど、多分。
「あー、そういえばエース。あんたビバルディの命令で来たって言ってたけど……」
 話を逸らしておこうかとアリスはふと、思い浮かんだ顔のことを聞いてみることにした。
 純白の白いうさぎの耳と、どうしようもなく破綻した性格と腹黒さが同居する、あのペーターが、そういえば何故かここに来ていない。
 こんな事があって、しかもビバルディから命令まで出たというのなら、エースなんてさておいて自分自身が飛んで来そうなものなのに……。
「ああ、ペーターさんね……本当困っちゃうよなぁ。招待状を見るなり飛び出して行っちゃうんだから。おかげで女王陛下の命令がこっちに来ちゃってさぁ……」
「飛び出す? でもペーターならここへは来てないわよ?」
「そりゃそうだよ。ペーターさんが向かったのは帽子屋さんのところだから。これを受け取るなり「ブラッド=デュプレ……!」って、わなわな震えながら招待状を握りつぶして飛び出していったぜ」
 ああ、そういうこと……。
 ……そっちも気にはなるが、ロクな状況ではなさそうだ。
 アリスは、とりあえずそっちを気にするのは止めることにした。色々考えたり憂鬱になったりするのは、自分の身に降りかかった状況についてだけで、いっぱいいっぱいだ……。
 同時刻、ブラッドの部屋の辺りで激しい銃撃戦が繰り広げられたが、かろうじて死体が転がるような事態には発展しなかったらしい……というのは、のちにアリスが同僚の口から聞いた情報である。

 そうして、結局。
 次の会合を帽子屋ファミリーはこぞってすっぽかし、彼らを追及する機会を失ったまま、ブラッドが指定した夜の時間帯がやって来た。
 それまで、アリスの身にも何一つ、今回の件に関する出来事は起こらないまま……。
 あの男は本当に、何を考えているのだろう?
「本当に行くつもりなのか?」
「行くわ。行くしかないでしょう。ブラッドは本人が来ていないからといって前言を撤回するようなタイプじゃないし……私が不在のままでも優勝者を決めて、勝手に賞品を贈呈しかねないわ。行って直接拒否するしかないでしょう。これ」
 心配そうなグレイにアリスは盛大な溜息をつく。
(それでもダメだったら――ダメそうな気はするけど――その時は、死ぬ気で何とかナイトメア達に優勝してもらうしかないな……)
 とにかく、今は行くしかない。
 アリスはグレイとナイトメアに左右を挟まれながら、カジノの会場となる部屋へ向かうのだった。



 続く